北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ナタクマという土地で

2010-01-08 23:27:19 | Weblog
 年末年始に掛川の友人であるSさんから頻繁にメールが届いた。彼の生家である古民家をこの年末年始に壊しているのだという内容で、時々刻々と変化する彼の家の様子が写真付きの携帯メールで届けられた。

 彼の家は掛川の隣町、森の石松で有名な森町で町の中心からさらに数キロ山奥の刃熊(ナタクマ)という集落にあった。私がこの地を訪れたのは2005年1月30日のこと。昔のブログで検索を掛けるとその当時の記事が出てきた。人間何でも残しておくと記録も記憶も蘇るので便利だ。

 そしてそのときのことは今でもとても印象に残っている。

 築400年の古民家と言うが第一印象として全くそう見えなかったのは、何度も修繕を加えられていたからだろう。しかしそれでもやはり、最近になって茅葺き屋根の修繕は手が届かないらしく茅葺きの上にトタンが張られて保護され、それでもなお屋根の一部には穴が空いていた。

 同行した友人のKちゃんは「直すなら今だよ。これ以上痛むと直せなくなる。もったいないよ」を連発していたが、それがこの年末についに最後の時を迎えたというのだからあのときを思い出すとちょっとぐっと来る。

 ナタクマの集落の人たちが里へ下りていった理由を尋ねると、それは家の長男の就職先が浜松や掛川などの都市部になり、そこへナタクマに住んでいる親を呼び寄せるという構図で、一軒、また一軒と山を下りていったのだそうだ。

 Sさんにお願いをしてこの集落へ連れて行ってもらったのは、これからの日本が迎える人口減少とその先に起こるであろう集落移転と集落消滅がどういう形になるのかをこの目で見たかったという希望だった。

 実際にその地に立ってみると、400年続いたというこの集落もただ静かに佇んでいるだけで何も語りはしなかった。ただこの変化を見て行きなさいとだけ言われたようだ。その土地が何かを教えてくれることはなく、ただ自分が何かを感じるしかないのだろう。

 ナタクマでは各家が山を下りる時に皆杉の木を手入れを断念した茶原に植えて行った。杉の木がまだお金になった時代の話だ。

 しかし結局今度は植林した杉の木を手入れする人もなく、明るく美しかった茶原も木の下で暗く荒れ果ててしまった。ナタクマとはナダクマ(=灘隈)だったらしく、遠州灘が見えるぎりぎりのはじっこというような意味だったらしい。その遠州灘は確かに見えたけれど、もはや木の陰にかすかなものでしかなかった。

    ※    ※    ※    ※

 ナタクマの土地で感じたのは、生産と居住を同じくしていた頃の土地の意味の変質だった。その土地に住み、その土地で生産活動を行い、数軒の家々が助け合い補い合うことで成り立っていた経済基盤としての土地は、別に暮らすようになった子供達の経済活動の方が上回るようになり、それに期待するほうがより良い暮らしになったのだ。

 日本中でナタクマのような生産と居住を一にしていた時代から、生産と居住を別々に行う方が効率的な時代が到来しつつあったのだ。

 ナタクマはそうして子供達にとって居住の土地ではなくなり、やがて親にとっての生産の土地でもなくなってしまった。

 日本人が自由な移動手段を手に入れ始めたのもこの頃だ。線路による大量輸送時代から自動車を持ち始めることで移動と交流がますます活発になった。

 移動能力の小ささという限界こそが人々をその土地に縛り付けている力だったのに、そのタガがはずれてしまえば、人々はより良い生活を求めて生まれ故郷をあとにする。

 誰を攻めるわけでもなく、自らがより良い生活を求める向上心が社会を変えただけのことである。古いパソコンや古い服が捨てられるように、古くて使い勝手の悪いものは捨てられる運命にある。

    ※    ※    ※    ※

 日本中で中心市街地が衰退しているのも同じことだ。

 移動手段がない頃には商業機能が集積していてくれることが便利であり楽しさを生み出す力になったのだが、モビリティ(=移動能力)が向上したことで郊外に大きな駐車場を持って商業機能を集積させたショッピングセンターという形式が登場し、そこへ行く方が便利で良質な生活を楽しむことができたのだ。 

 中心市街地や中心商店街へ行かざるを得なかった時代が終われば、生活を良くしたい向上心は市内の狭くて高く、気を遣う集合住まいを離れることを選択して郊外の一戸建てに移し、気楽で駐車場も庭もあるようなモノに囲まれた生活を指向したくなるのは当然だ。

 ここでも中心市街地の持つ土地の意味が変わったし、古くて使い勝手の悪い場所はよほど強い思いと力が続かない限り見捨てられるしかないのだ。


    ※    ※    ※    ※

 さて、そこで衰退してしまった土地はこれからどういう意味を持ち、また反転攻勢に転ずるなどということが出来るのだろうか。

 時代が変化して日本中というマクロな視点から見ると、だまっていたら廃れるのは明らかだ。場所の立地性や土地柄のブランドが人々を惹きつけるところは存在するだろう。単純に経済的物量が増えることでそれを引き受けるだけの受け皿という機能だけであればそうした受け皿機能は次第に廃れて行くに違いない。もはや人口も減り経済も拡大が難しい時代なのだから。
 
 これから起こることは「選択と集中」と言う言葉に象徴されるような魅力あるところが選択されて、そこへ集中するという現象になるだろう。「魅力」とは「好かれる」という事に他ならない。

 そして魅力というのはその場所自体が持つポテンシャルもあるけれど、人間の知恵でデザイン出来るものだと思う。日本中に愛されなくても良いのだ。ほんの少しの人だけでも支持してくれたり強く愛してくれる場所でありさえすればよいのだ。

 だがその魅力作りに失敗したところは衰退せざるを得ず、そこには知恵と思いの戦いがある。
 
 魅力とはあくまでも人が感じる分野の問題だ。何かがあっても人に評価されなくてはダメだ。そのためにはまず自分が好きでなくてはだめだ。自分だけが好きでも良いかもしれない。なぜ自分はここが好きなのかを考えて、その喜びを少しずつ一緒に楽しめそうな周りの人たちにも分け与えて、楽しさと喜びのお裾分けが良い。

 そんな輪が少しずつでも広がって行けばそれはやがて土地の魅力と言うよりも、その土地を巡る人たちの魅力になって行く。

 何だって良い。最後は人がそこで嬉しくなるかだ、幸せになるかどうかだ。どれだけの幸せを手に入れて幸せでいられるのかが問題だ。そんな幸せをお裾分けしても良いと思うような友達がいることがポイントだ。嫌いな奴とは一緒にいたくないし、嫌な奴をわざわざ幸せにしてあげることもないよね。

 本当は秘密にしたいくらいだ。こんな面白さはどうせ他の人には分かりっこないのだ。それでもばれちゃあ仕方がないけれど。

    ※    ※    ※    ※

 ナタクマの集落にはお宮があって、御祭神は道案内の神である猿田彦の神さまだった。

 答えに至る道など教えてもらえなくても、取りあえず進む道の先になにかがありますようにと祈るのがよいかも知れない。

 Sさんの基地が出来たらまた遊びに行きたいものだなあ。

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