先月から病気療養中だった義父が本日早朝に亡くなりました。
2月の中旬に体調を崩して救急車で病院へ運ばれた義父でしたが、その際の診断は胆管結石による胆管炎。
胆嚢から胆汁を供給する胆管に石が詰まって胆汁が逆流し炎症を起こし全身症状になっていたものです。
何しろ95歳という高齢でそもそも手術すること自体が心配されたのですが、幸いなことに経験多く腕の良いドクターで内視鏡でなんなく胆石の除去手術は成功でした。
見舞いに行っても手術直後の義父は元気で、食事はおかずを全部食べてリハビリの真似事もやってみたりして「すぐにここを出るからね」と家に帰りたくてうずうずしていました。
ところがその後に肺に炎症が広がっているのが見つかりました。
すぐにでもリハビリ系の病院に転院する計画は崩れて、そのまま全身症状の改善を図る治療に移りました。
しかしもともと70歳くらいまでは煙草を吸っていた義父。
そのせいなのか普段から少し呼吸を苦しそうにしているところもあった義父の肺の中は、長年の炎症が治った後に広がる肺線維症や肺胞が潰れて大きな空洞になる肺気腫が広がっていました。
そこに肺炎を発症したのですが、これがいろいろな薬を試してみても炎症が収まらず肺の機能がますます低下し血液中の酸素が不足して苦しがるようになりました。
正常な人なら血中酸素飽和度は98以上あるのですが、それが90くらいに下がり、最後にはマスクから治療限界の毎分10リットルの酸素を送り込んでも飽和度がそれ以上がらないところまで行きました。
そのため全身に酸素を送ろうとして心臓は拍数を上げて無理をするようになり心臓にも負担がかかるようになりました。
昨日の夕方に迎えに行ったときは心拍は毎分90回で酸素飽和度が90という数字で、意識も薄れている義父を見て不安に感じた妻が病院の許可を得て病室に寝泊まりし付き添っていたのでした。
私はいったん家に帰ったのですが、夜中の1時過ぎに妻から電話があり「看護師さんからそろそろ身内を集めた方が良いと言われた」とのことで、取るものもとりあえず病院へ駆けつけました。
病室には妻の兄夫婦と義母もいて5人で「みんな来ているよー」ともう意識のない義父の耳元で声をかけ続けましたが、午前3時7分に臨終となりました。
夜通し義父の最期を看取りながら私の目が見ていたのは半分は義父の姿で、半分はモニターの数字でした。
次第にモニターに現れる心拍数が50に届かなくなり、一分間の呼吸数や酸素飽和度などの数字がゆっくりと下がっている様子を見ながら(モニターの数字というのは『生きていることを見える化』しているんだな)と薄ぼんやりした頭で考えていました。
モニターは、時間の経過とともに次第に数値が下がって行きましたが、その最後はドラマのようにすべてがゼロになって「ピーーー」という音が出るのではなく、危険を知らせるアラート音が強く鳴り響き、それを合図に看護師さんが来てくれるというものでした。
ずっと面倒を見てくださったドクターが朝の3時だというのに立ち会ってくださって義父の最期を看取ってくださいました。
享年95歳。 大往生と言えば大往生ですが、最後まで退院して家に戻りたいと言っていた義父の願いが果たされなかったのは残念でした。
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そこからは看護師さんによる遺体の処置、連絡を受けて駆け付けた葬儀社に遺体を委ね、一度自宅の方で安置するようにしました。
義父の「家に戻りたい」という願いをこういう形で果たしてこれから先は葬儀に向けた様々な手続きの始まりです。
喪主は義母、施主は義兄ということですが男手として周辺のお手伝いやらなにやらを行うことになり、早朝からの葬儀社とのやりとりを見守っています。
今日の午後にはお寺のお坊さんが来て自宅で枕経を上げていただき、親族一同が集まって賑やかな中で厳かな時間が過ぎてゆきました。
ご報告ですが、妻も私もある程度覚悟していたこともあって気持ちを崩すことはなく元気に過ごしています。
私や妻との知り合い友人の皆様も多くいらっしゃいますが、お気持ちだけ頂くことにして、お花やご香料などの過分なるご配慮はご遠慮願いたく存じます。
今は故人の冥福を共にお祈りしてくださいませ。 合掌
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