穏やかな冬の一日です。これくらい穏やかな日が続いてくれれば冬も過ごしやすいですね。
そうはならない、と分かっていても、そう言いたくなる小寒の頃。今日は藪入りです。
【年賀状の偶然】
道南のあるまちから知人のAさんが訪ねてきてくれました。
型どおりの年賀の挨拶の後に、「いやあ、ごめんなさい、住所を間違えて年賀葉書が戻ってきてしまいました」とのこと。
転勤生活を繰り返していると、往々にしてそういうことが多いものです。
「ところで…」とAさん。「送って頂いた年賀状に、佐藤一斎の言志録の一文があったでしょう?」
「はい、今年は言志録から一節を借りて、それを使わせてもらいました。それがどうかしましたか?」
「いやね、年末にあの一節を別な人の文章でみていたんですよ。それが偶然にも、全く同じ一節だったものですから、不思議だなあと思いましてね」
* * * *
今年の私の年賀状はこのようなものにしました。
言志録から『一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂う事勿(な)かれ。ただ一燈を頼め』という一節を借りたのです。
死期の近いお釈迦様に、弟子のアーナンダが「わたしたちはこれからどうしたよいのでしょうか」と尋ねたときに、お釈迦様が「これからはあなた自らを燈火とし、あなた自身を拠り所とするのです。他を拠り所としてはなりません」とおっしゃったことからきたものです。
やがてすがれなくなる誰かを失うことを嘆き悲しむのではなく、そこから先は自分自身の足で立ち、自分自身が向かうべき方向を決め、力強く歩まなくてはならないのです。
そのときに頼りになるものは自分自身だけだよ、ということをお釈迦様は優しく教えてくれています。
自分の心に燈火を灯せるような生き方をしたいものですね。
* * * *
「ほう、そうですか。それはまた不思議なこともあるものですね。私と同じ一節を書いた方ってどんな方ですか?」するとAさんは少し考えて、言葉を選んで、「うーん、まっすぐな人ですよ…。でも、まっすぐすぎるかも知れませんね」
何事も中庸が肝腎。今年の私も、極端に走り過ぎない程度にまっすぐでいきたいものです。
そうはならない、と分かっていても、そう言いたくなる小寒の頃。今日は藪入りです。
【年賀状の偶然】
道南のあるまちから知人のAさんが訪ねてきてくれました。
型どおりの年賀の挨拶の後に、「いやあ、ごめんなさい、住所を間違えて年賀葉書が戻ってきてしまいました」とのこと。
転勤生活を繰り返していると、往々にしてそういうことが多いものです。
「ところで…」とAさん。「送って頂いた年賀状に、佐藤一斎の言志録の一文があったでしょう?」
「はい、今年は言志録から一節を借りて、それを使わせてもらいました。それがどうかしましたか?」
「いやね、年末にあの一節を別な人の文章でみていたんですよ。それが偶然にも、全く同じ一節だったものですから、不思議だなあと思いましてね」
* * * *
今年の私の年賀状はこのようなものにしました。
言志録から『一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂う事勿(な)かれ。ただ一燈を頼め』という一節を借りたのです。
死期の近いお釈迦様に、弟子のアーナンダが「わたしたちはこれからどうしたよいのでしょうか」と尋ねたときに、お釈迦様が「これからはあなた自らを燈火とし、あなた自身を拠り所とするのです。他を拠り所としてはなりません」とおっしゃったことからきたものです。
やがてすがれなくなる誰かを失うことを嘆き悲しむのではなく、そこから先は自分自身の足で立ち、自分自身が向かうべき方向を決め、力強く歩まなくてはならないのです。
そのときに頼りになるものは自分自身だけだよ、ということをお釈迦様は優しく教えてくれています。
自分の心に燈火を灯せるような生き方をしたいものですね。
* * * *
「ほう、そうですか。それはまた不思議なこともあるものですね。私と同じ一節を書いた方ってどんな方ですか?」するとAさんは少し考えて、言葉を選んで、「うーん、まっすぐな人ですよ…。でも、まっすぐすぎるかも知れませんね」
何事も中庸が肝腎。今年の私も、極端に走り過ぎない程度にまっすぐでいきたいものです。
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