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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

え、あの孔子先生が…!

2011-03-10 23:32:39 | Weblog
 昨日の「くしろ夕日ハイボール」の続き。

 私のブログを読んで何人かの職員が、「そうですか、じゃあ私も飲みに行こうかな」と話しかけてきてくれました。

「そう、それが大事。そうやってみんなが地域の話題や出来事に共感して楽しむ。そして地域の話題として大いに盛り上がると楽しそうで幸せな地域になる。そうするとよその人たちが楽しそうなことに惹かれてやってくるというわけですよ」
「そうですねえ、よし、今日飲みに行こうっと」


    ※     ※     ※     ※     ※


 論語には「子曰く、近者説(※)遠者來(近者悦べば遠者来る)」とあります。 (※説の音は悦として解釈)

 すなわち近い人たちが楽しんで悦べば(悦ぶような政治をすれば)、遠くの人たちは(それを慕って)やってくる、と言うのです。

 観光戦略で遠くの人を誘致するのには、キャンペーンとして「良いところだからどうぞ来てください」と叫びますが、その良さや楽しさを我が事としなくてはその声に重みがありません。

 まずはわが町に改めて関心を持って思い切り楽しんでみることから始まるのであって、これこそわが町を生涯学習するということの実践に外なりません。

 念仏を唱えている暇があれば実践をすることです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 ところで、人間の心理がたっぷり詰まった論語ですが、聖人君子の代表選手のように思われている孔子さまがたった一回だけ人をぶつシーンがあります。

 憲問第十四に「源壌(げんじょう)夷して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶることなく、老いて死せず。是を賊となす。杖を以て其の脛を叩つ」とあります。

 この意味は「(孔子の昔からの馴染みである)源壌がうずくまってまっていた。すると先生は『幼い時はへりくだらず、大きくなってもこれといったことをせず、年寄りまで生きて死にもしない。これこそ(人を害する)賊と呼ぶのだ、と言って杖でその脛を叩いた」というものです。

 大変厳しい言い方ですが、徳の塊のような孔子先生も案外熱いところがあるというのが面白い。

「世の中っちゅうもんはねえ…」などと評論家っぽいところがある印象の孔子先生、よほど腹に据えかねていたのか、それともわからずやに腹が立ったのでしょうか。

 まちづくりにも無関心な人をつかまえて、「ふざけんなよ!しっかりやれよ!」とつっかかるくらいの熱さとパッションが必要なのかも。 
 
 

 よもや孔子先生に叩かれないように、今生をしっかりと生きたいものですね。
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1 コメント

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Unknown (syaraku)
2011-03-11 10:59:55
然り!
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