北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

時代を超えてくるものは

2008-04-18 23:32:58 | Weblog
 帰りぎわに北海道の建設系コンサルタントに努めるAさんとばったり遭遇。

「これはこままささん、今からちょっとだけお訪ねしてみようと思ったんですよ」
「そうですか、一瞬の時間差があっても今日は会えなかったところが、しかし会えた。こういうこともあるものです。まあ一杯行きましょう」

 とにかく、こういう不思議な偶然は大事にした方がよいのです。

 今日の東京は雨。同じ建物の地下へ潜り込んで雨に当たらずに居酒屋へ直行です。

    ※    ※    ※    ※

「さてさて、最近の北海道の状況はどうですか」
「ご存じのとおり、道路特定財源が4月から動かなくなってしまっていますから、道路関係は建設業も舗装の業者さんもすっかり参っていますよ」

「でもそういう声がなかなか世間的には聞こえてきませんよね」
「まだみんな潰れまいとして必死に頑張っているから、変化が見えないのでしょうね。これが会社が潰れ始めて初めて分かるというのでは、政治とは何とも鈍感だと思いますね」

「まだ北海道ももちこたえられそうですか?」
「業者さんはとにかく公共事業で契約が取れると、その契約書をもって行けば銀行は信用があるということでお金を貸してくれます。それでたとえ目先の仕事からの収入がなくてもなんとか耐えしのげるんです。しかしそもそもの工事が発注されなくて契約もされないとなると、どこからも資金を調達できません。どれだけ耐えられるものか…」

「変化が急すぎると思いませんか。もう少しゆっくりとした変化ならば、業態の変化もあり得ると思うのですが」

 するとAさんは、「ある産業が、動きながら業態を帰るということが出来るでしょうか。その昔は炭鉱が産業の花だった頃は、大学のエースはみんな鉱山や炭鉱に進みそこへ就職したものです。しかしその時代は30年しか続かなかった。炭鉱が駄目になった後に栄えたのが公共事業でしたが、炭鉱に生きた人たちが公共事業へ業態転向したということはほとんどなかったんです」

「なるほど」
「時代は残酷ですが、後から新しく勃興した産業がそれまでの流行の産業を乗り越えて栄えて行くし、そこに登場するのは新しいプレイヤーなのではないでしょうか。もし今の公共事業の時代が去るのだとすれば、次には時代を担う新しい産業が起き、それには新しいプレイヤーが参加してくるように思えてなりません」

「その次に来るものはなんだと思いますか?」
「それは分かりません。金融業なのか、ITなのか…、しかしひとつの時代を支えたプレイヤーが転向できるようなものではないのだと思うのですよ」

 なんとも厳しい意見ですが、そう言う歴史の見方もあるのかもしれません。

 自分がこれから生きて行く道はいかにあるべきか。貴重な考えが聞けました。やはり偶然にあったのではないような気がします。

 時代を超える産業と、乗り越えられる産業ですか。うーむ…。

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