職場で、自分の所属する課の職員に対して、ほぼ毎週のつもりで、課長たる私からのメールによって、考えるところを伝える試みを始めました。
釧路市役所で副市長だったときでもやらなかったことですが、それは、市役所では部下と言っても範囲が広すぎたのと、必ずしも所属長というわけではなかったので、分ではないと考えたからです。
しかし再び元の職場で課長となると、明確に課員がいて、この部隊の活動に対して責任を負うことになります。
課の職務としては、機械部隊と電気通信部隊がいて、それぞれに専門的知識とスキルを駆使して職務を遂行しているわけで、専門的な分野での指導はできませんが、組織としての振舞いに対しては目を配り気を配る必要があります。
特に最近はかつての非違行為に端を発した、コンプライアンス(法令順守)に対して組織としての自覚を高めなくてはならないのですが、逆にそれが行き過ぎて「法令さえ守っていれば言われないことはしなくても良い」というような職場風土・気風が蔓延しても困ります。
職場では決めたルールがあっても、守られない状態を放っておくと、守る人が馬鹿を見たり、「守らなくても大したことはないんだ」という気のゆるみが見られるようになるものです。
樽や桶にはタガがあってこれで形をとどめていますが、使っているうちにこれが緩むのは当たり前で、それ自体は悪いことではありません。
問題は緩んだタガを締め直さないことで、それを放っておくと樽や桶はバラバラになってしまうので、ここからこうした不具合を整え直すことを「タガを締める」と言います。
そして今この瞬間、タガが緩んでいるかどうかを、見極めて対応することが必要なのですが、ただそれだけでは、組織を「守って」いるにすぎません。
管理職につきつけられているのは、さらに組織を活性化させより高い成果を得るということです。
一人一人の決まりやルールを守るという意識を高めながら、組織として前向きな意欲は正しく評価してその機運を高め、パフォーマンスを上げなくてはいけません。
「法令を守りなさい」とだけ言っていれば良いのであれば管理職なんて楽な立場です。そこからいかに前向きな気持ちを引き出して成果に繋げるかが難しいのです。
そんなわけで、そうした組織活性化のための様々な取り組みの一環として、今般、職場での課員宛てメールを配信する試みをしてみようというのです。
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内容は、会議や講演などで見聞したことの伝達を始め、気が付いた諸注意が中心ですが、意欲が湧いてくるような古典の物語りなども良いかなと思っています。
どんな話があったかなあ、と昔読んだ古典の類を引っ張り出して読み直してみていますが、一度読んだくらいでは忘れている話ばかりでなんだかがっかりしています。
そんななか、陽明学を唱えた王陽明の言行録である「伝習録」を読み直してみました。
すると「一棒一条痕 一掴一掌血」という言葉に再開しました。
これは、王陽明が「諸君には聖人になるのだという志をしっかりと立ててもらいたい」と述べた後の言葉で、「時々刻々、これ一棒一条の痕、一掴一掌血をまちてはじめて能く我が説話を聴き、句句力を得ん」と言った部分です。
この意味は、「いついかなるときも、一棒痛打しては一条の痕がつき、ぐっと掴んだら掌のあざがつくほどに徹底的に努力してこそ、はじめて私の話をとくと聴いて一句一句が身に浸みてものにできるのだ」ということ。
人間なにか志を立てた時は、それくらいの気概をこめてやらなくてはだめなのです。
さて、自分にてらしてどこまでできるでしょうか。
「一棒一条痕 一掴一掌血」とは、厳しい言葉ですが目標にしたいと思います。