駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

王家に抱く夢

2015年06月29日 | 日記
 週末に遠征して『王家』を観、平日は日比谷で『1789』を観る日々が始まると、舞台としての密度というか完成度の差に愕然とします(もちろん演じる生徒のせいではなく、作品の構造として、もともとのポテンシャルとか出来として、という話です)。もちろん後者の方が素晴らしい。てか『王家』はぶっちゃけ一幕にした方がいいとすら思います。
 でも、箸にも棒にもというワケではなく、もっとああしたらこうしたらと改善プランがどんどん出るくらい(どんどん出ちゃダメなんだけど)もともとの良さ、見どころはあるし、なんと言っても贔屓が出ていることもあり、見限れず、遠征しない週末なんか寂しくて仕方ありません。
 そんなこんなで、最近ちょいとつらつら考えてしまったことなどを、手遊びとして書いておきます。

***

 ヴェルディのオペラ『アイーダ』のソリストは、ラダメスと二組の父娘、神官くらいです。
 アイーダの兄ウバルドはキムシン創作によるキャラクターなのでしょう。
 宝塚歌劇化するにあたり男役が演じるキャラクターが必要だ、ということもあるし、オペラにはないファラオ暗殺のドラマを担う存在としても必要とされたのかもしれません。
 しかしウバルドは、アイーダの兄ということはエチオピアの王子のはずなのだけれど、それにしてはあまり大事にされていないというか、ちょっと不思議な立ち位置にいるように見えるキャラクターです。初演で微妙な番手の男役スターが演じていたせいもあるのかもしれません。
 今回は押しも押されぬ二番手スターがウバルドを演じていますが、性格としても役割としても初演を踏襲する作りになっているので、そのちょっと不思議な違和感は未だに払拭されていない気がします。
 そこに何か、憶測というか推測というか邪推というか夢想というか、そんなものが生まれる余地があるように思えるのです。
 要するに、ウバルドというのは王子とはいっても庶子で、母親はエチオピア王アモナスロの正妃ではなかったのではないか。アイーダはアモナスロと王妃の間に生まれた正統な王女だけれど、ウバルドはその異母兄にすぎないのではないか。エチオピアには王と王妃の間に生まれた正統な嫡子が、アイーダの同母兄である皇太子が別にいるのではないか。彼こそが世継ぎだと考えられているのではないか、だからこそウバルドはああした行動に出たのではないか…
 そんな、夢の、お話です。

 この時代のことゆえ、エジプトでもエチオピアでも王には正妃の他にたくさんの妾妃がいて、どこも多産で、しかしこの時代のことゆえ子供たちはなかなか育ち上がらなかったのかもしれません。
 エジプト王家では無事に成人したファラオの子供はアムネリスただひとりだったのかもしれません。エチオピア王家でも、幼いころにはアイーダにもウバルドにも他に兄弟はいたのかもしれません。
 カマンテやサウフェはエチオピア王家の家臣ということになっていますが、成人してから王家に仕えたのではなく、貴族の子弟として、王の子供たちの学友のような存在だったのかもしれません。幼なじみ、遊び相手、乳兄弟、お付きの従者、というような。
 そしてもしかしたら彼らは、皇太子の側近だったのかもしれません。そして王女アイーダのことも妹のように慈しみ面倒を見、ともに遊び学んで暮らしていたのかもしれません。ウバルドはあとからそこに加わったのかもしれません。

 ウバルドの母親は妃として王の後宮に迎え入れられる身分ではない、宮廷で働く下女や端女だったのかもしれません。王の手がついてウバルドを産み、しかし妃として遇されることもないまま同じ身分の男と結婚したか、実家に帰ったか。王も男児といえどあまたいる庶子をいちいちかまわなかったのかもしれません。
 母親が死に、あるいは実家が断絶することになって、少年ウバルドはやっと宮廷に迎え入れられることになったのかもしれません。
 皇太子も王女も、半分しか血のつながっていない兄弟がいることに慣れてはいたでしょうが、ある程度歳がいってから家族に加わったこの少年には、当初ちょっと距離を置いていたのかもしれません。あるいはウバルドの方がなかなか馴染もうとしなかったのかもしれません。
 皇太子はウバルドを目の敵にしたのかもしれません。ふたりはそりが合わなかったのかもしれません。皇太子の近習だったカマンテもサウフェも、皇太子の意を酌んでウバルドを遠巻きにしていたのかもしれません。アイーダだけが分け隔てなく、ウバルドに優しく声をかけ続けたのかもしれません。

 先の戦争でエジプトがエチオピアに侵攻したとき、それでもウバルドは、王と皇太子を戦火から逃がすべく矢面に立ち、奮戦したのかもしれません。このとき初めて、ウバルドは家族のために働いたのかもしれません。このとき初めて、カマンテはウバルドを認めたのかもしれません。
 ウバルド、カマンテ、サウフェはエジプトの虜囚となり、アイーダもラダメスに捕らえられ、ともにエジプトに連れられていったのかもしれません。
 エジプト王宮で、奴隷として扱われるわけでもなく、しかし人質としても中途半端なままに、ただ捕虜として収監され無為な日々を送る中で、やっとウバルドとカマンテの間になんらかの交情がなされたのかもしれません。
 そして彼らはともに、アイーダの心がラダメスに傾いていくのをすぐに察知したのでしょう。

 アモナスロはウバルドにファラオを暗殺させ、鳩を飛ばしました。エチオピアでその鳩をその腕に止め、再戦に立ち上がったのは皇太子だったのかもしれません。エチオピアの未来は彼が紡ぐはずだったから、ウバルドは喜んで家族と祖国の犠牲になるつもりで死ねたのかもしれません。
 皇太子にはすでに正妃も、小さな跡継ぎ息子もいたのかもしれません。アモナスロはそこに国の未来を賭けていたのかもしれません。
 けれど新ファラオとなったアムネリス率いるエジプト軍の猛攻に皇太子は敗れ、アモナスロは絶望に狂い、国土は蹂躙され、そうしてエチオピアは滅んだのかもしれません。世継ぎは逃げ延びたのでしょうか。
 いずれ誰かがこの世継ぎの少年を担ぎ上げるか、誰か自身が王を名乗って兵を挙げ、国を興し、再び戦争は起きるのでしょう。アムネリスがケペルを婿に迎えて平和な時代をひととき作ったとしても、その子供の時代には再び国は乱れ、戦争に巻き込まれていくのでしょう。
 戦いに終わりを、この地上に喜びを、そう望み願いながらも、人がみな等しく認め合いお互いを許せるような時代は今なお訪れていません。ラダメスとアイーダは愛と祈りの国に旅立っていけたのかもしれません。しかしウバルドの、カマンテの、サウフェの魂は今なお暗いこの世を彷徨い続けているのです。
 何度やり直しても、やっぱり人は同じことをしてしまうのでしょう。それでも夢見ることはやめられない、今度こそは、次こそは、違う未来を、明るい世界を、戦のない世を築きたい…と。そのとき初めて、彼らの魂は解き放たれるのでしょう…

***

 …というわけでエチオピア宮廷での少年時代の三人の物語で薄い本が作れそうだよね!って夢想の話です。誰かー!!




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『メアリー・ステュアート』 | トップ | 宮部みゆき『過ぎ去りし王国... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事