駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『琥珀色の雨にぬれて/Celebrity』

2012年09月22日 | 観劇記/タイトルか行
 神奈川県民ホール、2012年9月19日ソワレ。

 1922年、秋のある朝。パリ郊外にあるフォンテンブローの森を散策していたクロード・ドゥ・ベルナール公爵(柚希礼音)は神秘的な美しさをたたえたひとりの女性と出会う。大勢の紳士淑女を相手に自由に振舞う森の妖精のような彼女に、一瞬にして惹きつけられるクロードに、ジゴロのルイ・バランタン(十輝いりす)が声をかけ、彼女はマヌカンのシャロン・カザティ(夢咲ねね)であると告げる…
 作/柴田侑宏、演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城、吉田優子、寺田瀧雄。1984年初演。その5演目。

 私が生で観たのは2002年の3演目、残念ながらチャーリーの休演によるオサ代役版でした。そのときの感想はこちら

 いやあ、ネネちゃんのベスト・アクトではあるまいか。
 私はただただ彼女のスタイルの良さを愛でるというダメなタイプのファンなので、正直演技としてどうとかはあまり求めてこなかったのですが(^^;)、このシャロンはとてもとても良かったと思いました。
 男役10年とよく言われるけれど、娘役だって10年だよねえ、さすがでしたよ。
 登場シーンはまさに森の妖精。ふわふわの白いお衣装着て、はかなげで、でも美しさと朗らかさに満ち満ちていて。小さい頭が素晴らしかったこと!
 その後も列車の場面やフランソワーズ(音波みのり)とのやりとりや最後の湖畔の場面まで、本当に良かったです。
 そして当人もニンじゃないのではと悪戦苦闘したろうと思われるチエちゃんクロード、これも良かった。私がもともとキャラクターとしてこういうボンボンタイプが意外に嫌いじゃないというのもありますし、チエちゃんだって作るとしたらもっと骨太な男臭いタイプのキャラクターの方が得意だということはわかっていますが、要するに当人自身はこういう素直で普通の人間だったりするわけじゃないですか。そういう部分が嫌味なく自然に出せればいいわけで、それができていたと思いました。

 しかし、前回観劇の感想を読むと私はこれを「地味な大人のドラマ」だと感じたようですが、地味なんてことはまったくないよね、鮮やかな大人のドラマでした。
 逆に言うと、本当に本当に大人っぽいドラマで、今後ますます再演しづらくなるのではなかろうか、と思ってしまいました。だって私にはルイもミッシェルもシャルルも全然足りなく見えてしまったんですよ。この作品が求める大人の芝居ができる生徒は今後ますます減るだろうし…もちろん前回観劇のときの私のように、こうした作品を「地味」と感じる観客はますます増えるだろうし…
 ああ、問題だわ。
 フランソワーズとエヴァはまあまあに感じたんだけれどなあ。あとジョルジュは良かったと思いました。とにかく背が高いのがいいよね、要するに押し出しというか存在感があることが重要なキャラクターだからね。
 ところで主題歌は常にペイさんの声で再生される私の脳内ですが(CD愛聴しています)、エヴァの歌はみわっちのあのパンチのある歌声で甦るんだよなあ、不思議。
 ともあれチエちゃんクロードが佇むところにあの前奏が流れてきたとき、全身の毛穴がわっと開きました…

 プロローグは美しかったけれど(衣装の色目の構成が素晴らしい)、ちょっと長く感じたかなー。私が早く芝居を観たいタイプだということもあるかもしれませんが。
 このときのまさこルイの存在感は良かったんだけれどなー…

 続いて、「現在」の場面。
 このときのクロードはそうは言っても特に中年に作っているわけではなくて(たとえば『ダンセレ』のときのような)、ちょっとあれっと思ったのだけれど、その変わらなさがクロードなのかもしれないな、と観終えたあとには思えました。
 マオを褒めるような洒脱な口くらい、「ゴタゴタ」の前でもおそらくクロードは言える人だったんですよね。だからこれは彼の「成長」を表すものではない。
 このときのクロードが、まだミッシェルと仕事をしているのか、フランソワーズと結婚生活を続けているのか、あるいはひとりなのか、それはわからない、見えない。見せない演出になっているのだと思う。
 そして境遇がどうであれ、クロード自身はあまり変わるところがないのだ、ということを見せているのだと私は思いました。
 もちろんあの「ゴタゴタ」は今もなお彼の心に残っている、大きな出来事でした。彼のその後の境遇を大きく変えたものかもしれない。しかし人間はそう簡単には変わらないし、変わらないからこそもつれるのだなあ…という気がしました。

 そして回想へ、秋の森の朝へと場面は移ります。
 シャロンとタンゴを踊るルイがシャロンの首筋にキスしようとして拒まれるくだりに、私はちょっと驚きました。
 シャロンのパトロンはこの時点ですでにジョルジュ(十碧れいや)だとばかり私は思っていましたし、主人の目の前でその持ち物に手を出すような真似は普通は慎むんじゃないのかな、と思ったので。
 何よりルイはジゴロで、そりゃシャロンの取り巻きでもあったかもしれないけれど、要するに同業者というか同じ方向を見ている仲間で、お互い同士でくっつくようなことはしないんじゃないの?と私には思えたのですね。
 でもそのあとルイはクロードを牽制するわけですし(そしてクロードとの間に謎の共闘宣言と奇妙な友情が生まれる…柴田先生って本当にロマンテイストですよね。彼らが争うべきなのはお互いではなくたとえばジョルジュなのにね…若造ってバカだよなあ、可愛いよなあ)、やっぱりある程度本気で好きなんですよね。でもなんでなんだろうなあ?
 最後にシャルルとエヴァに頭を下げに来たときにやっときちんと出ますが、彼はジゴロでもありますが本業はダンサーというか、ダンスで身を立てるためにパトロネスを探してジゴロをやっているようなところがあったわけです。おそらくそれがちょっと行き詰っていたりして、彼も悩んでいたんでしょうね。それで見つけてしまったのがシャロンという逃げ道であり、だからこそふたりで逃げてしまうようなことまでしでかしてしまったのかもしれません。

 でもとにかくまさこの声というかしゃべり方には癖があるしさあ、私にはなんかちょっとアレレ?だったんですよねえ…

 そして場面はクロードの館へ。
 ここでアレレだったのはドイちゃんのミッシェル。ダンスが上手いのは知っていましたがそういえばちゃんとした台詞って私はほとんど聴いたことがなかったかも…
 もうホントに発声がダメで立ち居振る舞いが危なっかしくて、誰この下級生、と思ってしまったよ…(ToT)
 この時点では気のいい友人で兄貴分でフィアンセの兄、でいいんだけれどさあ、最後の最後に大仕事があるわけじゃないですかこのキャラクターには。
 出てこないけどこの人もとっくに結婚していて、それなりに家庭を上手くまわしていて、その上で浮気のひとつやふたつはしているのかもしれない。していなくても世間とはそういうものだと知っている。だからクロードとシャロンのこともそれで片付けようとする。
 大人の知恵です。そしてそれがクロードをなおさら傷つけた…
 あの場面、そんなふうに全然見えなかった! クロードより大人に見えなかったもん、年下の青年がきゃんきゃん言っているように見えちゃダメなんだよ~!(><)
 ソフィーと踊る一年後の団欒場面なんかは感じがよかったんだけれどなー…

 ちなみにタンゴを巡るクロードとフランソワーズを始めここでの四人のやりとりは本当に素晴らしい。柴田先生って本当にすごい。
 そしてフランソワーズは、もちろん貴族の令嬢なんだけれど、年配の人間は眉をひそめるような最近の流行のタンゴを習おうとしているようなところもある、今どきふうとまでは言わないけれど気概のある女の子なんですよね。そういう造詣も好き。
 だからただ泣いたりしていない。車運転してニースへ駆けつけちゃうわけです。
 アスカが好演だった記憶がある…スカステ放送かな?

 さて、フルールの騎士場面。
 シャロンとジョルジュはビジネスの話をしています。
 ジョルジュはパトロンというよりはやはりビジネスパートナーというか、単なる出資者に近いのかもしれません。要するにシャロンをただの愛人扱いはしていないというか。もう少し上品に遇している。のちのニースでも鷹揚にルイに譲ったりしているしね。
 でもだからって、ジョルジュがシャロンを搾取していないということではない。というか、彼もやはりシャロンを正当に、まっとうに扱ってはいないのです。それをしたのはクロードだけだった。だからシャロンはクロードを愛するようになったのです。

 シャロンは美しいだけの女です。
 だからこそ、その美しさを、ただそういうものとして扱ってくれる相手を望んでいた。
 でも、男は何故か、そういう美しさを汚そうとしますよね。たとえば金で囲って愛人にし、トロフィーのように見せびらかし、あげくやることはやって、そうして見下し、貶め、それによって自分の男を上げた気になる。
 酔って絡んだコルベールほどでなくても、一見紳士的に見えるジョルジュですら、結局は同じなのですよ。
 ルイは美しい人でシャロンと同類だから、違うかもしれないけれど。だからシャロンは彼と逃げたのだけれど。
 クロードは、シャロンの美しさをただそのままに捕らえ、愛し、賛美し、尊重しました。タンゴが踊れなかったから彼女の手を取らなかったけれど、踊れたとしても手を取らなかったのではないでしょうか。美しいから、素晴らしいから、侵しがたく、手も触れられない。ただ離れて見守る、崇める、愛する。
 美しさしか持たない者が本当に求めることは、その美しさと引き換えに地位や財産を得ることなどではなくて、ただその美しさを美しいと、それでいいのだと認められること、なのではないでしょうか。
 変質を強いられることなく、あるがままに受け止められること。それでいいのだ、それがいいのだと認められること。
 シャロンにそうしてくれたのはクロードだけだったのではないでしょうか。だから彼女は恋に落ちた…
 ただし私は、クロードがシャロンをコルベールから救ってくれたのはシャロンにとってはたいしたことではなくて、たとえばクロードがいなければルイが助けてくれていただろうし、だからこの時点ではシャロンのクロードへの好意は通りいっぺんのものだったのではないかと思いました。
 シャロンがクロードへの恋に落ちたのは、青列車の展望台で琥珀色の雨の話をし、琥珀の指輪を見せたときではなかったかしらん。だから幻想場面は展望台場面のあとに置くべきでは?とも思ったのだけれど、あれはクロードのシャロンへの恋心を描くものだからあれでもいいのか…
 とにかくだからエヴァの台詞にぴんとこなかったし、エヴァが何故クロードへシャロンとジョルジュの旅行をご注進したのかさっぱりわかりませんでした。
 フランソワーズに言伝したのは本当にたまたまだったのでそれはいい。でも彼女はそもそもはジョルジュの側というか、ジゴロをパトロネスに売る仕事をしているのだから、同じ業界の人間としてシャロンがジョルジュとデキた方が望ましいと考える人間なんじゃないの?
 シャロンの恋心を慮っての行動、ということらしいけれど、余計なおせっかいというか筋違いの行動というか、むしろ邪魔して楽しんでるの?というくらい、私には不可解に思えました。

 ニースのホテルの邂逅場面も素晴らしい。
 フランソワーズはクロードを追ってきて、クロードもフランソワーズを追い、シャロンはルイと逃げる…
 そして一年がすぎる。

 シャロンとルイの暮らしは半年ももたず、シャロンはまたパリで取り巻き連中と浮かれ騒ぐような生活に戻っている。
 クロードとフランソワーズは結婚し、楽しくタンゴを踊ったりもしている。けれど再会してしまったら、もう戻れない…「再会」というか、ここで初めてふたりはしたんだろうな、と思いましたが。美しい場面でした。

 そしてリヨン駅。マジョレ湖へ向かう列車を待つふたり。
 チエちゃんクロードがいいなと思ったのは、こんな状況になっても卑怯な男に見えないところです。妻を裏切り、愛人と旅に出ようとしている。思いつかなかったから、愛してもいる妻に嘘をつきたくなかったから、言い訳もせずに家を出てきた。旅から帰ってきたときのことは考えていない、どこへ帰るつもりなのかも考えていない。帰らないのかもしれないとさえ考えてもいない。
 愛人からしたら、「私と出かけるってことは妻を捨てて私を選ぶ覚悟をしたってことだよね?」とつめよりたいところですが、シャロンがクロードに事前に言う台詞はそういうニュアンスのものではありません。彼女はクロードにまっとうに扱われてそれが嬉しくて恋に落ちたのであり、だから身を引きルイと逃げて、でも再会してしまったのでここにこうして来ているだけであって、彼女もまた建設的な意味での未来など見ていないからです。クロードと結婚したいとか考えていないわけ。ただ彼への気遣いとして、家はどうしてきたの?と尋ねている。
 わからない、考えられない、ただ愛している…
 考えろよ大人なんだから!という茶々を入れさせない生真面目さ、真摯さ、必死さ、恋の情熱と喜び、輝きわたる幸福感を体現して余りある。
 だからこそ、フランソワーズが現れたときのやるせなさ、絶望感がものすごい。そして固まるだけのクロードに比べてシャロンがちゃんと動けるのは…シャロンが賢い女だからでもあるし、社会が彼女を、美しいだけの女を、ただそう扱わずに、大人になるよう賢く動けるよう強いて育ててしまったからでもあるんですよね。幸福なお坊ちゃん育ちであるクロードにはそういうことがない…
 そしてフランソワーズ。「またはないのさ」はルイの台詞ですが、フランソワーズだってそうですよね。今日はクロードは列車に乗らなかった。でもいつまた乗ろうとするかわからない。そして自分は今日は彼を追いかけてきた。しかし次は追いかけないかもしれない。またはないかもしれない。
 いつか壊れる予感に日々怯えながら生きていけるほど、人は強くない。クロードは平気でも、フランソワーズの方から、このあと、結婚生活から下りたかもしれませんね。
 フランソワーズはシャロンほど美しくない。だからこそある程度の賢さがあらかじめ備わり、だからクロードがシャロンに恋してしまうことも理解できるし、そんなクロードと結婚を続けることの苦しさも見えてしまうのでしょう。もちろん、ただ続けるだけならできる。それだけの賢さももちろん彼女にはある。でも…
 彼女の未来は、また別のお話です。

 シャロンが去り、ミッシェルに心ない話をされ、何かが終わると感じながらも、クロードはやはりそれで一気に老成するとか、そういうことはなかったんじゃないのかしらん。
 だからこその冒頭のマオへの軽口なわけです。
 ともあれクロードは、数日後にやはりマジョレ湖を訪れます。そしてシャロンと再会する…
 しかし、「もうゴタゴタはごめんだよ」がなくても、ふたりはやはり今度はもう、ひとつに戻れなかったのではないでしょうか。タイミングって、人生って、そういうものだと思います。
 ところで私はこの場面でシャロンを同伴しているのはジョルジュだとずっと思っていました。「ゴタゴタは~」の台詞はシャルルのものだと思っていた。
 違うんですね。より若い貴族のボンボンとより若い取り巻きジゴロ、なんですね。こうしてシャロンは落ちていくんだなあ…哀れだなあ、すごい話だよなあ…

 クロードがひとり琥珀色の雨にそぼ濡れて佇み、幕。
 残るのはただ、恋の残り香、余韻…


 ショーは…トヨコは決してものすごく上手い歌手というわけではありませんでしたが、その穴を埋めるのがまさこしーらんドイちゃんと、つらすぎた…!
 私はわかばちゃんよりはるこの方が好きなんですが、ヒーロー場面のヒロインはどうもぱっとしなかったな…
 ダイヤモンドハンターのしーらんはとってもキュートだったけれど。ネネちゃんも鬘をいくつか変えてきて素敵だったけれど。
 総じてもともとすっごい好きなショーとかではなかったので、なんかただ呆然と見送ってしまいましたよ(^^;)。
 トップ以外男役に羽を背負わせないお衣装だったため、まさこの二番手羽姿が見られなくて残念…ま、この先一回くらいはDC主演とかが来るよね? それまでお預けか。
 トヨレミ観劇の回で、会場中から大きな拍手が送られていて、それはちょっと感動的でした。



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