駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『パッション』

2015年11月10日 | 観劇記/タイトルは行
 新国立劇場、2015年11月6日ソワレ。

 19世紀のイタリア・ミラノ。騎兵隊の兵士ジョルジオ(井上芳雄)は美しいクララ(和音美桜)との情熱的な逢瀬に夢中になっている。しかしほどなくして彼は、辺鄙な田舎への転勤を命じられ、その地で上官リッチ大佐(福井貴一)の従妹フォスカ(シルビア・グラブ)に出会う。病に冒されているフォスカはジョルジオを一目見て恋に落ち、執拗なまでに彼を追いかけるようになる。クララへの愛に忠誠を誓い、フォスカを冷たくあしらうジョルジオだったが…
 作曲・作詞/スディーブン・ソンドハイム、台本/ジェームス・ラバイン、翻訳/渡辺千鶴、訳詞/竜真知子、音楽監督/島健、演出/宮田慶子。1869年に発表された未完の小説『フォスカ』を原作にした80年公開の映画『パッション・ダモーレ』をベースにしたミュージカル。94年初演。全2幕。

 チケット発売時に、外部公演にこれ以上お金と時間を割けるか、まず心の余裕が持てなくて購入を見送って、でもずっと気になっていて、公演が始まったらいろんな人が観に行っていていろんなことを言っていて感想ツイートを斜めに流し読むようにしていても気になって、そうしたらお友達の代理で行けることになったので出かけてきました。おもしろかった!
 そりゃスッキリする話ではないのだけれど、暗いとか重いとか後味悪い、というのとは違うのではないかなと私は思いました。いろいろ語りたくなるというか、考えさせられるというか。恋愛なるものを一度でも経験したことがある人ならみんな、必ず何かしら感じるところ、思うところがある作品なのではないでしょうか。そういう意味でもおもしろかったし、キャストが達者で、セットのセンスが良く、アンサンブルも絶妙で、台詞が素晴らしくて堪能しました。不思議とストレート・プレイの味わいがある、けれどまぎれもないミュージカルで、そういう点もおもしろかったです。私は好きです。
 事前にあまり予備知識を持たずに出かけたので、三角関係のメロドラマなんだってねえ、程度の安直で浅薄な想像をして出かけました。タイトルは情熱という意味でも受難という意味でもある、というのも聞いていたので、たっちんが心優しい清らかな少女で、シルビア・グラブは機知あふれる美魔女なのかしらん?みたいな、ね。
 そうしたら全然そんなキャラクターじゃなくて、でもこのフォスカが愛を知って確変して美魔女になってさらにドロドロする話なの?としばらく思って観ていましたがやっぱりそんな話じゃなくて、じゃあこの好青年かもしれないけれどごく平凡な若者と言っていいジョルジオがあまりに下手に出てくるフォスカに対してSに確変してさらにドロドロする話なの?とも思いましたがやっぱりそういう話ではありませんでした。
 総じて言うと、ドロドロしていない。ただドライというのとも違うと思いました。リアルで、普遍的で、だからこそどうにもならない、というような恋物語…不思議な感覚で観ました。
 キャラクターに感情移入して観るタイプの作品ではないかもしれませんが、どの立ち位置で観るかによっても、違って見える作品なのかもしれません。まあ演劇というものは当然、多かれ少なかれそういう側面があるものかもしれませんね。

 私は不徳のいたすところながら、異性ではなく恋愛感情でもなく、相手に誤解されて執着されたという残念な経験が二度ほどあるので、まずそういうスタンスでこのお話を観てしまいました。だからまず、フォスカに優しすぎるジョルジオにイライラしました。私だったら倒れた相手を雨の森の中に置き去りにすることになんら躊躇しない、と思ったからです。私にはほとんど無関係と言っていい相手だし、それで相手が亡くなったとしても自分のせいだと思って自分を責めるなんてことは私はしません。仕方なかったんだとか向こうの責任だとか思って、自分を守り甘やかし忘れて生きていきます。私はそういうことができる冷たい人間なのです。
 でもジョルジオは違いました。そりゃ彼にとってフォスカは赤の他人ではありません。上官の従妹だし、好意を捧げてくれている相手でもある。その好意を迷惑に感じることはあったにせよ、病気(死ぬ死ぬ詐欺だな、と冷たい私は思いましたが)に関しては同情や憐れみを禁じえなかったのでしょうし、何よりジョルジオ自身が良識があって優しい青年だったのです。彼の行動は潔くないとかかえって残酷だとか言っても、仕方なかったと思います。
 フォスカがそれにつけ込んだ、と言うのはフォスカに対して公正ではないかもしれませんが、しかしこの性格はどうなんだろうなあ…不幸な育ちで愛し方、愛され方を知らない、とか自分で言っちゃうキャラクターってよくいるけど、いい大人になったんだったらそろそろ自分で学習しなくちゃダメなんだよそういうことは、と私は言ってやりたくなります。世界は開かれているのだから、その気になればもうできるはずなんだから、何をいつまでも被害者ぶってひとりで拗ねているつもりなんだ、と。
 しかもフォスカは両親に愛されて育ったわけじゃないですか。親は子供の美醜なんか問いません。問う親もたまにいるけれど、少なくとも彼らはそうではなかった。フォスカに存分に愛情を注いで育てたのではないですか。
 ただ蝶よ花よと育てすぎたきらいはあったのかもしれません。猫かわいがりしすぎたというか、不美人なのに美人だ美人だと言い過ぎた、というか。でもこれもなあ…たとえ親がそう言って甘やかして育てても、普通の子供なら子供同士の社会で真実を知るものじゃないですか。
 ここでまた自分語りになりますが、うちの親は私を美人だと言って育てることはしませんでした。自分が綺麗だ、可愛いという言葉で他人から褒められる子供ではない、というのはものごころつく頃から感じていましたし、代わりに言われるしっかりしているわね、お勉強ができるんですってねという褒め言葉に私がアイデンティティを置くようになるのに時間はかからなかったと思います。性格的に大人びていて生意気だったり、学校の勉強が苦手でないことに関しては、自覚はあったし事実でもありましたからね。そして世の中には綺麗だ、可愛いと言われる女の子たちがもっと別にいるのだ、ということも幼いながらにわかっていました。
 でも、特に母親は、髪が綺麗だとか脚が細いとか姿勢がいいとか、私のそういう美しさを褒めて育ててくれました。それは一応ギリギリ事実だったと思うし、そしてこんな不美人な娘でも母親にとっては可愛いプリンセスなんだなと思うと、誇らしいやら申し訳ないやらで、変にグレたりスネたりせず、数少ない美点を生かそう…と思って生きてきたのです、私はね。そして今では、単なる容貌の美醜を超えたものが顔にも姿にも出るし、総合的な生き方とか人柄みたいなものが恋人であれ友達であれ相手を惹きつけるのだということを知っています。
 だからフォスカが、甘やかされて育ったとはいえそういう事実を受け止めることなくぼやぼやと大人になり、悪い男に騙されて嘆かれても、私は残念ながら同情できませんでしたし、だからジョルジオにつきまとっていいってことにはならないだろう、と憤りました。でもジョルジオは優しいから、なんなら弱いから、振り切れないんですよね。観ていてイライラしたけれど、でもこういうことってあるだろうな、と思えました。で、どうなっちゃうんだろうこの話、とホントにゾクゾクワクワクしながら追いました。

 一方のクララが、またなかなかよかったです。
 このお話はジョルジオとクララのベッドシーンから始まり、ジョルジオがクララに地方への転任を告げて進み出します。その時点で、ところでこのふたりは新婚夫婦とかなんだろうか、それにしてはやりとりが違うかな?でもこの時代のこの国で結婚前のカップルがここまで濃厚なおつきあいをするものだろうか?などと思っていたら、そこは作劇がちゃんとしていて、彼女が他の男の妻であること、おそらくはまだ幼い子供がいることがゆっくり明かされていくのでした。
 なので私は途中から、クララがジョルジオを忘れて別の若い男とつきあい始め、ジョルジオがキレてさらにドロドロの展開に…みたいな想像もこれまたしました。私は「去る者は日々に疎し」とは名言だなあと常々思っている冷たい人間だからです。
 そうなっても別に、クララがジョルジオを愛していなかったということを意味しないと思うのです。そしてお話の中ではそうはならなかったけれど、結局このあとクララは別の男と恋仲になったと思っています。その方が彼女にとって幸せだったと思いますしね。もちろん結婚生活にも彼女の幸せはあるのでしょう、でもそれとは別に、恋愛は別の幸せをもたらすものですからね、多くの場合。
 ジョルジオの前にも後にも恋人がいたとして、でもそれはクララが夫を愛していないということではないともまた思います。描かれていないし、お話に関係のないことだからわかりませんが、クララが夫をちゃんと愛していたということもありえるし、ただ尊敬しているだけということもありえるし、ただ子供と世間体のためだけに結婚生活を続けていて内心軽蔑しているということもありえるでしょう。どうであれそれはクララとジョルジオの愛には関係がない。それは別のものだからです。
 クララは夫がいて、子供がいて、その状態でジョルジオと出会い、恋に落ち、つきあい続けてきたのですから、その状態が変わるのなら愛も終わることもある、というだけの話です。その場合、遠い任地にいるジョルジオより近くにいる別の男、となるのはわかりやすいじゃないですか。クララが求めているのはそういうことなのですから。少なくとも、「ここではないどこかでならなんとかなるさ」とか言い出すジョルジオでは、駄目です。
 どうして男は、ことに若い男は、こういうことを言い出すんでしょうね? ここではないどこかなんてどこにもないし、なんとかなることなんて何もないのに。クララの心はあのとき折れたのではないか、と私は思ってしまいました。
 そういえば私は、ジョルジオをさらに遠いローマに赴任させようとしたのはクララの夫の差し金なのかなと思いました。夫は妻の火遊びなんか当然承知しているし、それが家庭を侵さないものである限りは目をつぶっているつもりで、でもさすがにちょっと目障りになったのでしょう。クララ自身はジョルジオとの関係をただの火遊びではなく本当の恋だと思っていたかもしれませんが、やはり家庭を壊すつもりはなかったのですから、これでよかったのでしょう。クララはジョルジオを惜しみつつ、次の恋に流れていけばいいと思うのです。

 そしてジョルジオ。
 おそらくごくごく普通の、まっとうな若者なのでしょう。軍人としてはまあまあ有能なようだけれど、職務としてやっているだけで特に楽しいとも思っていないし熱心でない感じとかも、今っぽいというかいかにもな若者というか。ただ、生活のためにもクビになるわけにはいかないしなんならちょっとくらいは出世もしたいという欲もなくもなくて、だから上官の従妹の面倒を押しつけられたときに断りづらかったのでしょう。好かれて悪い気はしない、くらいはあったのかもしれませんし、病気で先が短いだなんて気の毒に、とも思ったでしょう。
 そんなところから始まって、ズルズルいってしまって、事態はどんどん変わっていくし、クララの心は離れていくし、すがってもとりあってくれないし…それで逆にフォスカの中に自分を見るような気になってしまったのかもしれません。すごく明晰に説明されているわけではないし、何かきっかけになる劇的な事件があったわけでもないから、心情の変化は明確にはわからないけれど、でも逆に私には、こういうことってありそうだなと思えました。
 でもやっぱりそこにはプランとか未来とかいったものはなくて、神経症的なフォスカの情熱にただ巻き込まれ流されるままになってしまって、だから結局二進も三進もいかなくなっていっそ決闘で死にたかったんでしょうけれど、残念ながらというかなんというか自分は死ねず相手に大怪我を負わせる形になって事態はますます悪くなり、それでついに乱心したのでしょう…冷たい私はそんなに簡単に病気に逃げこめるものかいな、とは思いましたが。でもフォスカと同じような奇声をあげるジョルジオ、というのは確かに物語のハイライトでしたね。
 結局フォスカは本当は病気でもなんでもなくても意地でも死んだのであろうし(すみません、健康で冷たい私の勝手な解釈です)、だからジョルジオにも病気になるくらいのことはできたのでしょう。
 イヤ別に責めるつもりはないのです。私はジョルジオの幸せも祈っています。これで退役なのかもしれないし、食べるにも困るのかもしれないけれど、退院したらとりあえずローマに行ってみることを個人的には熱くオススメしたいです。着くべき任務がもうなくてもいいのです。ローマはきっと明るい街ですよ、そこにはきっと新しい恋が待っていますよ、それは今度こそ健全で健康なものですよ…そう、私は思うのでした。
 何を描きたかった作品なのかと考えるとなかなか微妙だと思うのですけれど、ある悲しい恋の顛末、とでもいうのでしょうか。でも私は明るい恋もあるそんな未来を思い描いて、まったく後味悪くなく観終えたのでした。
 少なくともジョルジオとクララは生きている。それはこの先どんな未来だって、どんな明るく楽しい恋だって手に入れられるということです。死んだフォスカには、そんな未来はない。それを報いだとまでは、私は言いませんがしかし、これはそういうことを言っている物語なのではないかな、とも思うのでした。

 ヨシオくんが王子様でもなんでもない若者役をそれはそれは好演していて、たっちんがさらにまろやかになった歌声と繊細な演技、あいかわらず美しいたたずまいを見せてくれて、シルビア・グラブが喉にも背中にも負担のかかりそうなしんどい役を素晴らしくやりきっていて、見事でした。
 アンサンブルも含めてとにかくみんな上手いし、難しい複雑な歌をきちんとこなしているし、もちろんハートが伝わるし、素晴らしかったです。繊細でよく吟味された台詞も本当に素晴らしかったです。前日観た某歌劇団の翻訳ミュージカルの台詞がホントーにひどかったからなー…好きな劇場ですし、緊密な舞台を観て贅沢な時間が持てた気分になりました。よかったです。






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