駒子の備忘録

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『ネクスト・トゥ・ノーマル』

2013年09月22日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアタークリエ、2013年9月21日ソワレ。

 郊外の町に暮らす平凡な四人家族は、ある事情を抱えていた。母親のダイアナ(ダブルキャスト、この日は安蘭けい)が長年精神的な病にかかっているのだ。父親のダン(岸祐二)はそんな妻を献身的に支えながらも疲れきっている。ダイアナは息子のゲイブに(ダブルキャスト、この日は小西遼生)に愛情を注いでおり、母から愛されていないと思い込む娘のナタリー(村川絵梨)ハ同じ学校に通うヘンリー(松下洸平)とつきあい始める…
 音楽/トム・キット、脚本・歌詞/ブライアン・ヨーキー、演出/マイケル・グライフ、ミュージカル・ステージング/セルジオ・トゥルヒーヨ、美術/マーク・ウェンドランド、日本版リステージ/ローラ・ピエトロビント、翻訳/小嶋麻倫子、訳詞/小林香。
 2009年ブロードウェイ初演。09年トニー賞、10年ピュリッツァー賞受賞作。全二幕。

 簡単に言うと、ヒロインは息子を幼いときに失って以来、いわゆる躁鬱病というか双極性障害を患っていて、18年がたって薬物治療を続けていても改善が見られず、成長していく息子の幻覚を見続けており、夫や娘は困惑の日々を送っている…という話です。
 複雑な楽曲と、とてもシンプルでスタイリッシュなセットを縦横無尽に使ったなめらかなステージングで、6人の役者が丹念に物語を紡いでいきます。なかなか見せられました。
 特にナタリーを演じた女優さんは、私の中ではテレビ女優さんというイメージだったので、地声でビシバシ歌うのでその上手さに仰天しました。そしてこのキャラクターがまたせつない。
 自分が生まれたときにはすでにこの世を去っていた兄の幻を母親は見ていて、普通にしているときは普通の良き母親なのだろうけれど、テンションが変になると通常の暮らしもままならないほどに混乱し、家族は否応なしに巻き込まれます。成績は優秀なようですが難しい時期でもあり、母親にかまいつける父親からも十分な愛情をえられていないと思っていて、仕方がないんだと頭ではわかっていながらもあがき苦しむ思春期の少女。そして、この先自分もあんなふうに狂ってしまうことがあるのではないかと怯えている…
 共感するとか感情移入するとかではなくて、でも同情してしまうというのでもなくて、ただただその痛々しさがかわいそうでいじらしくて、幸せにしてあげて、と祈るしかないようなキャラクターでした。おずおずと好意を寄せるヘンリーもとても良かったです。

 ネタバレすると、薬を飲んだり飲まなかったりで病状が悪化したダイアナは電気けいれん療法を受けることになり、結果、息子の幻覚は見なくなりましたが、結婚生活の記憶もまだらでほとんど忘れてしまう始末。写真などを見たり思い出話がつながり出して、だんだんと記憶は蘇ってきますが、ダンはゲイブのことを隠したままなので、ダイアナは何か忘れたままな気がする、という思いから離れられません。
 ついにゲイブのことを思い出したダイアナは、再度の電気治療を勧められますが、断ります。忘れるのではなく、つきあい続けることを選択したのです。つらい記憶と、幻覚と、病と。
 けれどそれだとともに暮らす家族を傷つけてしまう。どんなに愛し合い許しあい支えあう家族でも、いやそれだからこそ、傷つけ合ってしまうことがあるわけで、だからダイアナは別れを選択しました。限界に行き着いて崩壊するより前に、発展的に解散してしまった方がいいということなのでしょう。
 確かに子供たちにとってはもはや巣立ちのときでした。ナタリーはダンと出会ったころのダイアナの歳に近づこうとしています。ヘンリーもいる。ナタリーをヘンリーとのダンスに送り出すダイアナは、立派に母親の勤めを果たしました。
 子供がいなくなれば、夫婦もまた他人に戻ることが可能です。たとえ愛し合っていても、ともに暮らすことがあまりに苦痛で不可能なら、それは仕方のないことなのです。
 実はダンにもまたゲイブは見えていました。死んだ子の歳を数えない親はいない。父親だからおなかを痛めてないし子供の死を嘆かないということはない。ダンもまたゲイブの死を悼んでいたし受け入れきれないでいたのです。だからこそ幻覚を見る。ただ彼はその幻覚をずっと無視してきました。そうすることでなんとか日常生活を保ってきたのです。
 でもゲイブもまたダイアナと出会ったころのダンの歳にほぼなっていました。親子というよりは親友の男同士みたいになってやっと、ダンはゲイブの幻覚を受け入れられ、そしてゲイブの死を受け止められ、そして前に歩み出すことを始められたのではないでしょうか。
 ゲイブは生き返らない、病気は完治しない、家族は元には戻らない。だから単純なハッピーエンドではないかもしれません。それでも人生は続いていき、人は生きていくしかないのだから、心にそっと灯をともして生きていく、その光は確かにこの世にある…
 そんな作品だったように私には思えました。

 普通って何かよくわからないから、普通のちょっと隣でいい。
 そう言って、慈しみ合える家族がいる。常にともに暮らしていなくても。それはとても素晴らしいことで、でもたいていの人たちが恵まれているはずのことで、それを感謝しなくちゃいけないな…とかも、思いました。


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