作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70780/
以下、上記サイトよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
北マケドニアの小さな町。32歳のペトルーニャは、とりたてて美人ではなく、恋人はおらず、大学に通ったものの仕事はウェイトレスのアルバイトをしている。
就職面接を受けたところセクハラに遭った上に不採用になってしまったペトルーニャは、その帰り道、司祭が川に投げ入れた十字架を男たちが追いかけ、手に入れた者には幸せが訪れると伝えられる女人禁制の伝統儀式・十字架投げに出くわす。
思わず川に飛び込み幸せの十字架を手にしたペトルーニャだったが、女が取るのは禁止だと男たちは猛反発。教会や警察を巻き込んだ大騒動に発展してしまう。
=====ここまで。
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『ブータン 山の教室』を見に行ったときに予告を見て、面白そうかも、と思って岩波ホールへ行ってまいりました。見てびっくり、ゼンゼン想像していたのと違っていた……。
◆女はだまってトイレ掃除してろ!
まあ、これは一言で言ってしまうと、ザ・フェミ映画です。これは見る人を選ぶ作品だろうなぁ、、、。私は平気だったけど、合わない人はまるでダメだと思うわ、コレ。
予告で見たときは、もっとコメディ要素の強い、カラッとした作品という印象だったんだけど、実際に見てみたら、思いのほか暗くて、ユーモアもないわけじゃないけど、全体にシリアスな印象。なので、正直言って、あんまし面白くはありません。途中、ちょっと退屈だしね、、、。
女人禁制の祭事に、図らずも女性が飛び入り参加しちゃったわけだが、こういう訳の分からん性差別風習ってのはタチが悪い。本作では、男たちがペトルーニャに対していきり立っていたけれど、当の女性がその風習を大事に守っていることも多い。ペトルーニャの母親も、ペトルーニャが十字架をとってしまったことを知って「この化け物!!」とか言うんである。化け物って、、、、アンタの産んだ子でしょーが。
私の母親も割とミソジニーの気が強くて、そのイミフな言動に驚かされたことはイロイロあるが、中でも目が点になったのは、私が結婚するときに「夫婦は対等だから夫に遠慮などする必要はない」とか言っている同じ口で「トイレ掃除は男にさせてはいかん」と言ったことだ。母親とは建設的な会話は一切望めないので、私はその言葉に反論せずスルーしたが、母親はその理由を真面目な顔でこう言った。「夫にトイレ掃除をさせるような妻は夫を出世させることは出来ん」……つまり、サゲマンだと。、、、アホらし。
まあ、結論から言うと、トイレ掃除をさせるさせない以前に、ほとんど一緒に暮らさなかったので、そういう問題自体が発生しなかった。それに、相手が出世しようが、失業しようが、私にはどーでも良いことだった。好きでもない(というより嫌いな)男と結婚しなきゃならない自分の運命を呪いながら、とにかく一日も早く離婚することだけを考えて動いていたので。トイレ掃除がどーのこーのなど、その時は忘れてたわ、、、ハハハ。けれど、ふと冷静になって思いだすと、結構腹が立つ話ではある。
世代的なものもあるかも知らんが、私よりゼンゼン若い女性でも、嬉々として「男を立てる」的なことを言っている人もいるしなぁ。以前TVで見たが、日本の田舎では、地方議会に女性が立候補しようとすると、家族総出で止めに掛かるというのが珍しくもないそうだ。世間体が悪いらしい。この問題は、ホントに根深いし、タチが悪い。
本作で驚くのは、ペトルーニャは、習慣を破りはしたが、別に罪を犯したわけではないのに、警察に勾留されてしまうこと。ペトルーニャは何度も警察官や検事に「私は逮捕されたのか?」と聞くが、もちろん逮捕はされていない。でもって、その警察署に、祭りに参加していた興奮した男どもが押し掛けてくるのだ。もう、頭がおかしいとしか思えないが、彼の地ではそれが現実らしい。
この話には元ネタがあり、実際に十字架を取った女性は、現在はロンドンで暮らしているという。誹謗中傷が酷くて街にはいられなくなったらしい。そっちの方が犯罪じゃないのか?
◆女性に勇気を与える映画……か?
本作で描かれているのは、ある一日の話である。
終盤、ペトルーニャは当然ながら釈放されるんだが、頑なに返すのを拒んでいた十字架を、警察署から出た直後に司祭に返す。ペトルーニャは別に十字架が欲しかったわけじゃなく、「女なんだから(取っちゃいけないんだから)返せ」という理屈に抵抗したということ。
勾留されている間に、ある警察官がペトルーニャの行動を密かに称えるシーンがある。その警察官はなかなか思ったことを言えない自分を顧みて、「君のような勇気が僕にもあれば、、、」みたいなことを言う。そして、一瞬、ペトルーニャと手を握り合って、心を通わせる。釈放される際には、この警察官はペトルーニャに「また連絡するよ」と言っている。
本作についてネットで「女性に勇気を与えてくれる」みたいに書かれているのを見たし、パンフにも同様の趣旨の寄稿が複数載っていたが、私はあまり同意できない。この日の出来事で、ペトルーニャの置かれた状況が変わることはないだろうし、せいぜい警察官の男性と親しくなって、もしかすると結婚とか、、、ということになるかも知らんが、本質的には彼女の中に抱えた問題は何も解決されるわけではない。折角の教育も、活かされる予感はない。
その辺が、むしろリアルだよなぁ、と。勇気を与えてくれるどころか、絶望的な現実を突き付けられているように思えるんだよね。監督のインタビューを読むと、そういうつもりで作っていないのは明らかなんだが。
絶望していないで打破せよ、と口で言うのは簡単だが、ペトルーニャが彼女の納得できる幸せを得るためにどうすれば良いかなんて、私には全く分からない。私はたまたま東京という都会で職を得て(一応)自立できているから、自由だし、彼女のような抑圧は表面的には感じずに済んでいる。けれど、私だってほんのちょっと何かが違えば、自立できなかったかも知れないし、好きでもない男との結婚生活を不本意ながらも維持しなければならない人生だったかも知れない。どの人の人生でも、今に至る色んなことは全て紙一重なのではないか? 昨今流行りの自己責任論は、強者の論理で、安易すぎる。
性別や出自などの属性によらず、構造的な問題に阻まれることなく、自らの意思で生き方を選択できる社会って、やっぱりユートピアなんでしょうかね。本作を見ていて、それが実現されている国って、どこなんだろう、地球上に存在するんだろうか、、、、、と、ぼんやり考えておりました。
セクハラおやじは北マケドニアにも居た。
北マケドニアって元ユーゴスラヴィアだけど、ギリシャの北の方ってなんとなく暗そう(って大昔に見た「旅芸人の記録」からの勝手なイメージですが)。
男のための祭りに女が乱入したら逆上するだろうというのは日本のそのたぐいの祭りを考えれば容易に想像が付きますね。その意味では日本も北マケドニアと大差ないんでしょう。
それにしてもこの話に元ネタがあったとは、ちょっとびっくり。
予告編と印象が違って戸惑いました、、、。
元ネタをニュースで知った監督が、映画化を決意したんだとか。
アンゲロプロス、敷居が高くて食わず嫌いです^^; 旅芸人~は、映画友が好きらしいので勧められるんですが、長いし、、、。見てみようかな。
北マケドニア、よく知らないんですが、国名でギリシャと揉めてたのはニュースで見ました。
そもそもお祭りって女人禁制に限らず、ヘンなの結構多い気がします。それが面白くもあるんですが。
今、Eテレで放映しているロシアゴスキーを見て、あー、あそこ行った!とか、あそこ行きたかったなー、とか、脳内旅行しています(^^)
ロシア語、発音が難し過ぎます、、、。