映画 ご(誤)鑑賞日記

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沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇(1995年)

2017-09-19 | 【ち】



 ソフィ(サンドリーヌ・ボネール)は、街外れの邸宅に住むルリエーブル家に住み込みの家政婦として雇われる。

 ルリエーブル家は、夫妻は再婚で、主のジョルジュ(ジャン=ピエール・カッセル)は娘のメリンダ(ヴィルジニー・ルドワイヤン)を、妻のカトリーヌ(ジャクリーン・ビセット)は息子のジルをそれぞれ連れてのステップファミリーだが、4人の仲はそれぞれ良く、ソフィにも節度ある雇い主一家であった。

 ソフィは、家政婦として家事は完璧だが、誰にも言えない“秘密”を抱えており、この秘密がバレないようにありとあらゆる策を講じるのであった。しかし、それが元で主のジョルジュと次第に関係が悪くなっていく。

 そんなソフィと唯一親しくなったのが、街の郵便局に勤めるジャンヌ(イザベル・ユペール)。ジャンヌにはよからぬ噂があり、ジョルジュは彼女を毛嫌いしていたため、ソフィと親しくしているのを知り、さらに2人の間の空気は悪化する。一方のジャンヌも、ルリエーブル家に対し、裕福さへの羨望が高じた嫉妬と憎悪を抱いていた。

 だが、ある日、ソフィが死んでも知られたくない秘密をメリンダに見破られる。メリンダに悪意はなかったのだが、ソフィは、メリンダの秘密を盾に脅迫行為に出たことで、ジョルジュの怒りを買い、解雇を言い渡される。これを機に、ソフィとジャンヌの行動は常軌を逸していくのであった、、、。 

    
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 『エル ELLE』を見て、ユペール作品を見てみたくなりまして、、、。前から興味のあった本作を見ることに。シャブロル監督作って、、、うーむ、という感じで期待値低めだったんだけど、これは面白かった!


◆ソフィの秘密の正体は、、、

 上記のあらすじで書いた“秘密”とは、“文字が読めない”こと。作中では、メリンダが「難読症なの?」と聞いており、いわゆる教育を受けていないことによる文盲ではなく、障害の1つとして描かれている様子。

 ソフィがこの秘密を隠す様が、もうそれはそれは涙ぐましいというか、痛々しいというか、、、。そこまでして隠さねばならないことなのか? と、見ている方としては他人事なので思うけれど、『愛を読むひと』のハンナも、命と引き換えに字が読めないことを隠し通したことを考えると、これは本人にとってはよほどのことなのだろうと、本作を見て感じた次第。ハンナの、秘密を守り通す言動と、ソフィのそれには非常に相似点が多い。

 ハリウッドスターなどが、自身がこの障害を持っていることを公表しているが、それは、彼らだからこそでき、またする意味があることなのだろうが、なかなか一般市民として生きる者にとっては公にすることに相当の勇気を要するものだということを、よく認識した方が良さそうだということを学んだ気がする。

 そういう前提で見なければ、ソフィの終盤に掛けての行動は全く唐突すぎて理解不能なものになってしまう。しかし、ハンナと同様、命がけで守るべき秘密であるものならば、あの行動は、当然の成り行きとも言える。それでソフィへの同情を抱くこともないし、ソフィの行動が正当化できるものではないけれど、ソフィにとってはそれが正義であったことは理解できると思う。


◆ジャンヌとソフィ、運命の出会い

 こんなに笑顔の多いユペールを1つの作品の中で見るのは初めてかも。しかも、下品な笑い。とにかく、ユペール演じるジャンヌは、どう見てもワケアリの下品な女。

 彼女のよからぬ噂ってのは、実の娘を殺したんじゃないか、、、という疑惑が持たれていること。裁判で無罪になったけれども、ソフィに話したその経緯を聞くと、耳を疑うようなもの。

 「買い物から家に帰って、真っ暗な部屋の入り口で何かにつまずいた。怖くなって蹴飛ばした。暖炉に火が付いていて、買ってきたものを棚に入れたりした後、気付いたら、娘の顔が暖炉に。慌てて娘を抱き上げたら顔が黒焦げだった、、、、」

 ……つまずいて蹴飛ばしたって、4歳の子につまずいたら、瞬時に分かりそうなもんだけど。しかも、蹴飛ばした後に、買ってきたものを棚に入れたりしている、、、。こんなこと言う中年女、かなりヤバいでしょ、フツーに考えて。こりゃ、殺したんじゃないか、と思われるわね、そりゃ。私も、限りなくクロだという印象を受けた。

 でも、実は、ソフィにも怪しい過去があったのよね。介護していた病身の実父を火災で亡くしているんだけど、この火災、放火なんだって。ソフィは外出中で犯人から外れたけど、こちらも限りないクロ。ジャンヌに「殺したの?」と聞かれたソフィは「証拠はない」と答えているんだから、、、。

 この2人は、出会うべくして出会ったとも言える。互いの共通する匂いを嗅ぎ分けて、意気投合したということだろう。

 本作の解説やレビューをいくつか見たところ、この2人が出会ってしまったからこそ、本作のタイトルにもある“惨劇”は起きたということが書かれていたが、果たしてそうだろうか、、、?

 そうかも知れないが、私は、ソフィはジャンヌがいなくても、惨劇=ルリエーブル一家皆殺しを起こしていたんじゃないかという気がしている。ただ、ジャンヌがいたことでそれが容易になったことは間違いないだろうけど。何しろ、ソフィは、秘密を一家に知られているのだ。これが、仮にジャンヌに知られたとしたら、恐らくジャンヌにも殺意を向けたんじゃないだろうかと思うのだが、どうだろうか、、、。


◆ルリエーブル家は、本当に“善意”の人たちか?

 また、いくつかの解説やレビューには、ルリエーブル家のことを“善意の”人たちと書いていたが、果たしてそうだろうか?

 確かに、一見、この一家は善意の人たちに見える。ソフィが車の免許を持っていないといえば「取れば良い、費用はウチが持つ」と言い、またソフィが目が悪いと言えば「眼鏡を買えば良い。費用はこちらで持つ」と言って、眼科に送っていくなど、、、ソフィには概ね親切なのだ。

 厄介なのは、この“一見善意の人に見える”ということだ。よくよく考えると、ソフィが免許を持っていないから取れ、と勧めるのは、その方が自分たちにとって都合が良いからであり、免許を取るためには眼鏡が必要だから買えと言っているのである。何より、ソフィが免許を持っているかいないかを、この一家は、食後のリビングで大声で推測しながら話し合っており、それはソフィが夕食の後片付けをしているキッチンまで丸聞こえなのである。つまり、ソフィに聞こえたら失礼だという意識がまるでない。

 また、作品冒頭で、家政婦の呼び方について、カトリーヌとジルが「女中」と言っているところを、メリンダが「それは差別的だ」とたしなめ、「家政婦さんは?」と提案する。ジョルジュは一旦「名前で呼べば?」と言うものの結局「メイドで良いだろう」などと言っている。この会話は、一見、メリンダの意識が先進的なもので良いことのように見えるが、この家族の根底にある意識が浮き彫りになっている意地悪なシーンだと思う。この一家は、これから来ることになるソフィを「ソフィ」と名前で呼ぶ意識が最初からない。つまり、一人の人間として見ているのではなく、あくまでも自分たちの生活の中で面倒なことをさせるための人、として徹頭徹尾扱っているのである。

 まあ、コレは別に、ルリエーブル家に限ったことではなく、家政婦を雇うような階層の家庭にとっては、ごくごく普通のことだろう。

 そして、ジョルジュとジルの男たちは「美人? こないだのデブとは違う?」「男が美しい女を求めるのは自然の摂理だ」とかいって、そこにメリンダがジルに「童貞を捧げる?」などと返すという、非常にふざけた会話に及ぶ。こういう階層の人々にとって、本音ベースでは家政婦ごときの人格は無視なのである。

 こういう意識が根底にある一家の“善意”は、それを向けられる者には、“偽善”であることが一瞬で分かるのである。

 そして、本作は、ルリエーブル家の人々の言動の端々に偽善が溢れていることを、徹底的に描いていると思う。ここに、偽善を読み取るか否かは、ハッキリ言って見る側の意識によって変わってくると思う。偽善を全く読み取らない人は、きっと根っからの“善い人”なんだと思う。が、私のような屈折した人間には、ルリエーブル家は選民意識を無自覚に持った、偽善臭漂う厄介な人々に見えてしまうのである。

 ソフィには、彼らの一言一言が、上から目線に感じたことだろう。そして、それがますますジャンヌとの距離を縮めることにつながったのだと思う。惨劇は、ある意味、起きるべくして起きたのだ。


◆その他もろもろ

 本作は、タイトルがネタバレであり、つまり、サスペンスにカテゴライズされているが、惨劇が起きるまでの経緯を事細かに見せているのが特徴だ。しかも、説明的ではなく、惨劇に至るまでの登場人物たちの心理劇を描いている。

 ジャンヌとソフィが、教会の慈善活動で、リサイクル品を回収するシーンが面白い。中には、リサイクルなど到底できないようなゴミ同然のものを出す者がおり、ジャンヌはそれを“偽善”と見抜いて暴く。ゴミ同然のモノは、その場でより分け、出品者に突き返すのだ。しかし、教会はそんなジャンヌたちを許さない。なぜなら、許せばそれが偽善であることを教会自身が認めることになるからだ。

 こういう、意地の悪い、しかし、一見ただのジャンヌの粗忽者ぶりを描いただけのようなシーンがあちこちに挟まれ、本作がより面白いものになっている。

 その一番の貢献者は、やはり、イザベル・ユペールだろう。サンドリーヌ・ボネールも素晴らしいが、ユペールの下品さ、捻くれた性格を表わす演技が嘆息モノ。よくぞここまで嫌らしい女を演じられるものである。さすが、ユペール。数々の賞を獲ったのも納得。

 ルリエーブル家の主ジョルジュを演じた ジャン=ピエール・カッセル、息子のヴァンサン・カッセルとあんまし似ていないような気がしたんだけど、、、。私は、息子よりお父さんの方が好きだわ~。カトリーヌのジャクリーン・ビセットも色っぽくて素敵。

 ジャンヌが、森で茸を採って、それを料理してソフィと食べるシーンが好きだなぁ。茸が美味しそうだし、ジャンヌのパンのちぎり方とか、実にジャンヌのキャラをよく表わしていて、なんとなく笑える。あと、リサイクル品を回収しているときの、ジャンヌのスカートが風に捲られて、ジャンヌのパンツ丸出しの姿とか、、、まあ、とにかく、シャブロル監督の演出がいたるところで実に冴えている逸品です。
 

 






ソフィはあの後どうなるのだろうか、、、。




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2 コメント

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でも、2人とも美人過ぎるよね、、、 (すねこすり)
2017-09-21 22:10:06
たけ子さん、こんばんは☆
この映画がブラックコメディに見えるのは、やっぱし2人が下品だろうが何だろうが、美人だからでしょうねぇ。もっと、リアリティのある醜悪な見た目の2人だったら、ホラーになるでしょう、きっと。それはそれで面白そうだけど、、、。
ユペールがこんなに下品に見える映画って、ほかにあるでしょーか? 下品だしヤバいけど、なんか突き抜けちゃっているのであんまり悪い印象もないところが、さすがユペールのなせるワザだと思いました。
「ヴィオレット・ノジエール」見ていないんです! 見なくては。レンタルできるのかしら?
ソフィ、そうですね、シレッとして出所後もあの調子で家政婦やってそうですよね。
でも、その前に、裁判で失読症を暴かれそうで、それが私は心配です、、、。
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狂女たちの儀式 (松たけ子)
2017-09-20 21:13:23
すねこすりさん、こんばんは!
この映画、私もすごく好きです!イザベル・ユペール&クロード・シャブロル監督のゴールデンコンビ作の中では、「ヴィオレット・ノジエール」と並ぶマイ・フェイバレット映画!
いつもはエレガントでクールで理知的で無表情なイザベル・ユペールが、珍しく下品でテンション高くて笑顔が多い役でしたね。イビツで性悪で狂ってるけど、すっとぼけててシレっとしてて軽やかなところが、これぞイザベル・ユペール!な名演でした。ルース・レンデルの原作も好き。
ブルジョア一家の親切ごかしの偽善、無神経さにはイラっとさせられました。だからといって、あんな目に遭っていいわけないですよね~。ジャクリーン・ビセットの美熟女ぶりも素敵でした。
ソフィはシレっと出所して、年老いた姿でまた家政婦やってそう(笑)。
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