映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

グロリア(1980年)

2017-11-06 | 【く】



 ギャングの会計係の男が、組織の金に関する情報をFBIに流していたことが発覚。会計係の男の一家は、長男のフィルを除き皆殺しにされる。

 一家が皆殺しにされる前、フィルをその母親に託されたのが、母親の親友であり、同じアパートに住む中年女のグロリア。このグロリア、かつてはギャングのボスの情婦だった。死を目前に、「フィルをお願い!」と懇願する母親に「子どもは嫌い、特にアンタの子は」などと突っぱねるグロリアだが、結局押し付けられ、渋々自分の部屋に連れ帰る。

 両親や姉を亡くしたフィルはまだ6歳。家族を失い、ダメージも大きく、グロリアに罵詈雑言を浴びせたり、まとわりついて離れなかったりと、グロリアは手を焼くのだが、会計係の男だったフィルの父親が、死ぬ直前にフィルに託したノートを手に入れようとギャングが追ってくる。

 気がつけば、グロリアは、突き放そうとしたフィルを守るために、ギャングに向けて拳銃をぶっ放していた……。嗚呼、もう後戻りできないグロリア。フィルとの逃避行が始まる! 
   
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 "午前十時の映画祭8"にて鑑賞。何度か見てはいるが、最後に見てからもう10年以上経っているはずで詳細は忘れている。やたら、子役のガキんちょが憎ったらしかったのと、ジーナ・ローランズが抜群にカッコ良かったこと、見終わった後“良い映画だ……”としみじみ感じたことは覚えていた。何より、本作をスクリーンで見るのは初めてなので、楽しみにしていたのだけれど、思っていた以上に素晴らしかった。


◆ジーナ・ローランズに尽きる。

 まあ、とにかく、最初から最後まで、グロリアがカッコエエのよ。シビれます。

 登場シーンがイイ。ギャングの襲来にビクビクしている会計係の男が、部屋の呼び鈴が鳴り、ドアスコープから外を覗くと、、、。そこに立っているのは煙草をくわえたグロリア。というわけで、ドアスコープ越しにご登場。

 はたまた、ギャングに、フィルといるところを見つかり、「ノートと子どもを渡せ」と迫られ、どうしようもなくなったら、いきなり拳銃をぶっ放すグロリア姐さん。その撃つ姿勢のなんと堂に入ったことよ。惚れ惚れするほどカッコイイ。

 子連れで逃げているのに、グロリアは、よれよれのジーンズにスニーカーなんてしょぼくれない。10センチくらいありそうなヒールのサンダルを履き、ウンガロに身を包み、颯爽と走ったり、階段駆け上がったり、男に拳銃突きつけて挑発したり、、、。どこまでも、カッコエエのだ。

 撮影当時、ジーナ・ローランズはなんと50歳!! あり得ない美しさ。いえ、決してすごい美人ではないのだけど、皺まで美しく見える、その品の良さ。ギャングのボスの元情婦という役柄だから、どこかやさぐれているものの、下品さは微塵もない。それでいて、グロリアという人物設定と何ら矛盾を感じず、見る者に違和感を抱かせない。

 グロリアの役は、美人でセクシーでアクションがうまいだけの女優ではダメなのだ。グロリアには、並外れた度胸と、頭の良さと、世間の酸いも甘いも知り尽くした諦観と、そしてなんと言っても、諦観とは一見矛盾する“覚悟”が必要なのだと思う。

 本作で、グロリアの“母性云々”という感想をネット上でいくつか目にしたが、こういうところですぐに母性論を持ち出すのはイヤだねぇ。何で母性なのさ。人間としての“情”でしょーが。男が子どもを助けても、父性が言われることはあまりないのに、こういう設定だと、すぐにボセーボセーってのは、あまりにも短絡的過ぎると思う。母性なんて幻想だからね、ハッキリ言って。

 だいたい、当のフィルがグロリアに言っているではないか。「あんたは僕のママで、パパで、家族だ。それに親友。恋人でもあるね!」と。

 そして、グロリアはギャングのボスに、フィルのことをこう言っている。「あの子は、うまく言えないけど、利口で切れる子よ。一緒に寝た男の中じゃ、最高ね」

 これでもまだ母性かね? まあ、それは人それぞれの感じ方なので構わないけれど。、、、とにかく、そんな安っぽい感傷的なものを蹴散らすグロリアの、素晴らしい女性っぷりを堪能していただきたい。

 女の美しさは、年齢ではない、顔の造作の美醜ではない。生き方が全身に現れるのだ。


◆子どもが憎ったらしくなかった、、、。

 冒頭書いたとおり、フィルが可愛げのないガキという印象が強かったんだけれど、今回見て、それが見事に覆された。フィル、なかなかカワイイじゃねーか。

 カワイイにも色々あるが、フィルのそれは、思わず顔がほころんでしまうようなのではなく、顔を見ているとつい吹き出してしまうようなカワイイなのだ。……え、意味分からん? すんません。

 フィルは、小憎らしいことを言ったり、大人顔負けのセリフを吐いたりするんだが、所詮は子どもで、やはり誰かの庇護を必要としている。そして、自分の存在がグロリアを窮地に陥らせていることを分かっていて、そのことに小さい胸の内で葛藤しているのだ。いじらしいではないか! 

 やはり、ネット上では、フィルを憎ったらいしいとか可愛くないとか書いている人がいたし、私も以前はそう感じたのだけれど、今回はそれが間違いだったと思った。というか、私にフィルの可愛さを受容できるキャパがようやくできたのかな、と思う。

 そして、恐らく、グロリアもそれを感じたに違いない。どこからそう感じたのかは分からないが、最初から感じていたのかも知れないし、2人で同じベッドで寝た時からかも知れないし、、、。いずれにしても、子どもが幼いながらに状況を理解して身の振り方を案じていると分かって、大人として心動かされないはずはない。なんとかしてこの子を守らなければと言う庇護欲が働くのは、自然の成り行きだと思われる。

 家族と離れた当初、フィルは、グロリアに「僕は男だ! 一人前の大人だ! 何だって一人で出来るんだ!」ということを何度も何度も言うシーンがあるけれど、字幕ではそう書かれていたけれど、実際のフィルのセリフは、“I am a man !!”を繰り返している。6歳のちっこい身体で、一生懸命、大きく見せようと身振り手振りをして、グロリアに何度もそういうフィルを見て、憎ったらしいとは、到底思えなかった、、、。


◆カサヴェテスの天才っぷりを堪能。

 本作は、脚本もカサヴェテスが手掛けているようだが、この脚本が実に冴えている。

 冒頭から、一家が惨殺されるまでの裁き具合が鮮やか。ものの5分程度で、一家の置かれた状況、グロリアと一家の関係、グロリアとフィルの母親の関係、それらが全てセリフに頼らずにバッチリ描かれている。これは素晴らしい。

 どうしてフィルを母親はグロリアに託したのか。子どもを嫌いと言って憚らないグロリアに。でも、それは、彼女とグロリアの間に、かなり厚い信頼関係が成り立っていたと想像させられる。そして、それで十分なのだ。彼女たちの関係性を描くのに、なにも、10分も20分も必要ない。並の脚本書きなら、そうしただろう。でも、カサヴェテスは、実に鮮やかに、ワンシーンで全てを語らせてしまった。

 また、彼の脚本は、グロリアという女性を見事に描き出している。本作は、ほんの数日の出来事を描いたものだが、これだけで、グロリアのこれまでの生き様が立ち現れているのだ。それを現すのが、やはり“覚悟”の一言のように思われる。すべて、自分で落とし前を付けてきた人生。だからこそ滲み出る美しさ。

 カサヴェテスの脚本・監督と、ジーナ・ローランズの素晴らしい演技によって、本作は名画となったのだと思う。だから、リメイクなんておいそれと手を出しちゃいけないわけ。

 フィルを演じた子役の演技が下手だという評も散見されたが、私は、これは前からそんなことはないと思っていたし、今回見ても、やはり下手だとはゼンゼン思わなかった。というより、非常に、フィルという子どもの性格をよく表わした良い演技であり、演出だったと思うのだが、、、。

 音楽もイイが、時折過剰と思う部分もあり。まあでも、それを補って余りある映像の素晴らしさも特筆事項。オープニングの映像がイイ。空撮から一気にバスへのカメラワークも。ラストのスローモーションも。

 とにかく、やはり映画はスクリーンで見てなんぼ、ということを改めて思い知った次第。





グロリアとフィルの今後が気になる。




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