映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

雨の朝巴里に死す(1954年)

2016-10-14 | 【あ】



 以下、Movie Walkerのあらすじ要約です。

 1954年5月8日、第二次大戦集結に湧くパリで、チャールズ・ウィルス(ヴァン・ジョンソン)は、マリオン・エルスワース(ドナ・リード)とカフェ・ディンゴで出会い、祝賀パーティに招待された。チャールズはパーティで、マリオンの妹ヘレン(エリザベス・テイラー)に出会い、一目惚れ、、、。チャールズはマリオンの恋心に気づかず、ヘレンと結婚。昼は通信社に籍を置き、夜は小説を書きつづけた。傷心のマリオンはクロオドと結婚する。

 ヘレンは華美な生活を送り、妊娠がその生活を中断させたが、ヴィッキーが生まれるとまた元の賑やかな毎日だった。チャールズの小説は空しく出版社から返送され、続いて執筆した第2作も同様の結果に終わった。失意のうちに第3作にとりかかったころ、チャールズは別の女性と知り合い、第3作の失敗がチャールズを彼女との遊びの世界に駆り立てた。

 その頃、遊びに飽いたヘレンはアメリカに帰って生活をたて直そうとしたがチャールズに拒絶された。女性を誘ってモンテカルロ・パリ間の自動車競争に参加したチャールズが、レースに負けて雨のパリに帰って来たとき、カフェ・ディンゴでヘレンとテニス選手ポール(ロジャー・ムーア)の睦じい姿を発見した。チャールズは思わずポールに喧嘩を売り、怒ったヘレンはポールを連れて出て行った。

 深酒して帰宅したチャールズは、前後不覚に眠りこんで、夜半ヘレンが雨に濡れながら玄関の戸を叩いたことを知らなかった。ヘレンはやむなくポールのアパートを訪れたが落ち着けず、雨の中を姉夫婦の家へ行って倒れた。肺炎だった。ヘレンはチャールズに娘ヴィッキーの将来を託して世を去った。

 数年後、アメリカに渡ったチャールズは小説家として成功しており、マリオンが保護者となっている娘ヴィッキーを引き取りに、パリにやって来た。だがマリオンはヴィッキーを渡してくれず、、、。

 ……あー、長いあらすじだった、、、。要約というか、ほとんどコピペですが。、、、まあ、別に見なくても損しない映画ですね、ハッキリ言って。


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 ワイラー監督『嵐が丘』のDVDを借りたら、2枚組で本作も付いてきました。なので、別に見たかったわけじゃないけど見た次第。


◆リズの眉毛はどうしたものか、、、。

 原作は、あのフィッツジェラルドの小説「バビロン再訪」だそうです。もちろん未読です。きっと、原作はもっと奥が深いんでしょうが、本作は、なんだかなぁ、、、という感じの、どーでもよいメロドラマになっております。

 こう言ってはナンなんですが、主役の男チャールズを演じるヴァン・ジョンソンが、全然ステキに見えないのですよねぇ。好みの顔じゃないってのもあるけど、好みの顔でなくてもカッコイイと思う俳優はたくさんいるわけで、ヴァン・ジョンソンは、まったくカッコイイと思えないし、雰囲気もちょっと愚鈍というか、頭が切れるタイプにはまるで見えないのがツラいところでして、、、。

 やっぱし、映画なんだから、リアリティよりも何よりも、見た目でも楽しませてもらいたいわけですよ、こういう作品の場合は特に。

 一方のリズも、まあ確かに美女には間違いないのですが、別にこの作品に限らずですが、どうしても私は彼女の“眉毛”が気になって仕方がないのです。あの不自然に真っ黒な眉毛。描いているのはいいんですが、眉間の生え際とか不自然過ぎだし。黒すぎ、太すぎ、、、ヘンじゃない? 皆さんはそう思わないのでしょうか??? 彼女の写真、どれを見てもあの眉毛でしょ? 年齢を重ねてからの顔もあの眉毛。もともと濃いのだろうけど、それにしても、、、。とにかく終始、リズの顔が映ると眉毛ばっかし目が行っちゃって作品に集中できません。

 リズのことは好きでも嫌いでもないけれど、正直、以前からあまり品性とか知性とかは感じられないなぁ、と思ってはいましたが、本作でも役柄的なこともあるけれど、やっぱり、、、という感じでした。

 むしろ、私はマリオンを演じたドナ・リードの方が美しいと思いましたねぇ。知的な感じもして、品もあるし。リズより断然好きです、私は。

 、、、というわけで、主役2人に好感を抱けなかったので、作品を見る目にもバイアスがかかってしまったかも知れません。


◆ヘンな夫婦で悪いか!

 ヘレンとチャールズがヘンな夫婦で何なんだ!! みたいな感想をネットでちらほら目にしましたが、この夫婦がおかしくなった直接の原因は、チャールズの小説がなかなか日の目を見なかったことにあると思うのです。もし、3本目の小説でデビューできていたら、あの夫婦は、傍から見ればおかしな夫婦でも、それなりに上手くやっていたと思います。

 夫婦なんて、傍からどう見られていても、本人同士が理解し合って納得し合って生活できていれば良いわけで、そういう意味では、ヘレンが夜遊びしていてもチャールズがそれを大してイヤだと思っていないのだから、別に良いじゃん! と思うのよ。

 しかも、母親のくせに幼児を置き去りにして夜遊びとはけしからん、みたいなことを書いている人もいたけれど、夫が面倒見ているんだからいいじゃん。何で母親が夜遊びしちゃいけないわけ? あの映画の中でヘレンが誰かにそう言われているというシーンがあっても良いけど、現代に生きる人間がちょっと時代錯誤な見方じゃないですかね。父親が毎晩酔っぱらって帰って来てもさして責められないのに、母親だと糾弾されるってのは、やっぱしおかしい。2人そろって育児放棄しているんじゃないんだから、どっちが面倒見てようが夫婦が納得していればいいでしょう

 大体、チャールズは小説を書きたいから、むしろ、子どもが寝た後、妻もいない方が集中できて良いくらいじゃないのか? 実際、作品中でもチャールズは黙々とタイプ打っているだけだったし。

 むしろ、自作の小説が評価されないからって、ヤケを起こして他の女性と親しくなるチャールズの方が悪質だと思いますね。

 、、、というか、まあ、ホントにどーでもいいんです、この夫婦のことなんて。それくらい、見ていて心動かされない作品なので。


◆マリオンの屈折した気持ちが哀しい

 強いてグッと来たのは、マリオンです。マリオンは、もともとチャールズのことをちょっと好きだったけれど、一顧だにされなかった。それで他の男性と結婚した、、、。という伏線があったために、ヘレンが亡くなった後、数年後小説家として成功したチャールズがヴィッキーを引き取りに来ても、頑として渡そうとしなかったのです。

 なんか、この時のマリオンの気持ちは、正直、私には分からないけど、でも、自分の気持ちを蔑ろにされたことへの屈折した気持ちが、こういうところに現れるのか、、、と思うと、哀しかった。

 だって、こういう場合、一番考えるべきはヴィッキーの幸せであり、ヴィッキー自身は父親であるチャールズと暮らしたがっているのです。だったら、普通はヴィッキーの望みを叶えてあげるのが、ヴィッキーを愛する者の行動であると思う。でも、そんなことは百も承知のはずのマリオンなのに、それができないのですから。思ったよりマリオンの心の傷は深かったのだということでしょう。なにより、赤の他人ではなく、実の妹と、チャールズは結婚してしまったのですから。

 映画では、夫に説得されたマリオンは、チャールズにヴィッキーを渡すんですが、原作では渡さないんだとか! それも凄い、、、。さすがフィッツジェラルド。ヴィッキーがチャールズの腕に飛び込むラストシーンは、思わずウルッとなりました。






邦題はなかなか詩的で良いですが、ちょっとネタバレかも。




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