映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ヴィオレット―ある作家の肖像―(2013年)

2016-02-19 | 【う】



 ゲイで作家崩れ(?)の男モーリスと夫婦を装って田舎の村で暮らすヴィオレット。2人はパリから戦争を逃れて来たのだった。が、偽夫婦とはいえ、ヴィオレットはモーリスに愛を求めて「抱いて!」と身を投げ出すものの、激しくモーリスに拒絶され、「そんなに苦しいなら小説でも書け!」と吐き捨てるように言われるという惨めな日々を送っていた。

 そして、モーリスは失踪。ヴィオレットは生活の糧にと闇の食品売買をしながら、心の隙間を埋めるべく、モーリスに言われたように小説を書き始める。そうして書き上げた作品を、なんと無謀にも、時代の寵児ともてはやされていたボーヴォワールに「読んでくれ」と押し付ける。

 しかし意外にも、その作品をボーヴォワールは高く評価し、ヴィオレットは晴れて小説家デビューを果たすのだが、処女作はまったく売れず、世間からは完全に無視された。絶望するヴィオレットに、ボーヴォワールはさらなる執筆を勧める。愛情に飢えるヴィオレットは、自らの骨身を抉るかのように書き続け、「私生児」でようやく日の目を見ることになる。

 それは、ヴィオレット自身について赤裸々に綴った小説であった。ボーヴォワールは、このときまで、ウンザリしつつもヴィオレットを生活面でも精神面でも支え続けたのだった。そして、「私生児」では序文も書いたのであった。
  

  
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 見に行こうと思いつつ雑事に追われ、ようやく終映ギリギリに滑り込みセーフで先週、見てまいりました。いつものことだけど、岩波ホールはガラガラでした。

 さて、正直な第一の感想は、「こんなオバさん、そばにいたらヤだ!」でございました。もうね、、、マジで、このヴィオレット、ヤバいです。今時の褒め言葉ではなく、本来の意味でヤバいです。

 処女小説「窒息」(・・・というタイトルだけでもコワい)が売り出された後、彼女は本屋に行きます。しかし、自分の本は置いていない。で、彼女は店員に「ヴィオレット・ルデュックって人の書いた『窒息』は置いてないの?」とキレ気味に聞きます。店員は著者名はおろか、本のタイトルさえ知らんという様子。するとヴィオレットはブチ切れ「この店は売れっ子の本しか置かないのね!!」と言って商品の本を手当たり次第店員に投げ付け、さらに「彼女(ヴィオレットのこと)は才能ある作家で、私は彼女の信奉者なのよ!!」と叫ぶのでありました、、、ごーーん。

 正直、このシーンで私は思わず声出して笑っちゃいまして、近くの人にチラッと「?」な感じで見られてしまいました。でもこれ、笑うところだと思うんですよ。

 だって、もちろん行動はエキセントリックで自意識過剰なんだけれども、ある意味、人間臭いというか、ものすごい正直な人間の行動じゃないですか。普通はこういう行動に出たくても出られないんですよ。誰だって、自分のデビュー作の扱いがどうなっているかは異常に気になるに決まっているし、それを、バレバレなんだけれども他人を装って書店に偵察に行っちゃう。行っちゃうだけじゃなくて、店員に八つ当たりして、著者の宣伝=過剰自己アピールまでしちゃうんだから、“痛い女性”と思うのを通り超えて、共感を覚えてしまったのです。ヴィオレットよ、あなたはエラい!! と。

 まあでも、最初に書いた通り、現実に身近にいたらイヤですよ、もちろん。だから、ボーヴォワールは凄いなぁ、、、と心の底から感心しました。彼女もヴィオレットのヤバさは十分分かっているし嫌悪しているのですが、半面、その文学の才能は冷静に評価していて、なおかつその才能の芽を摘んではならぬと、ヴィオレットの生活面も遠回しに支えるのです。

 本作は、ヴィオレットと母親、ヴィオレットとボーヴォワール、という2本の関係を軸に描かれているのですが、とにかくこのヴィオレット、母親を始め、ことごとく片想いなんですよねぇ、、、。これがちょっと切ないというか、あの性格じゃ仕方ないというか。あそこまでいつも一方通行の想いだと、愛を死ぬほど渇望してもムリないと思います。ようやく振り向いてくれたと思った男は妻子持ちだし、、、。

 母親に愛されなかったことに大きな意味があると本作は描いているように思いますが、愛されなかったこともそうだけど、ヴィオレット自身は自分の出自が私生児であることに強い負の拘りがあるように感じました。それと、容貌のコンプレックス。彼女にとっての2つの負の拘りは、彼女自身を追い詰める。何事もうまくいかないのをそのせいにする。そして、それは母親が悪いと。実際、私生児であることを母親に激しくなじるシーンがあります。

 ま~ねぇ、、、子は親を選べないから、言いたくなる気持ちは分かるんだけど。でも、それは言ってもしょーがないんだよねぇ。もう変えられない事実なわけで。

 思うに、ヴィオレットは、今でいうところのパーソナリティ障害の一種ではないかと感じました。実際、精神病院に入院するシーンもありますし。史実では本人も納得して入院した様ですけど。ホントに、壊れるか壊れないかの境界線上を常に歩いて生きている女性なので、周囲の人間は大変です。

 ヴィオレットを演じたエマニュエル・ドゥヴォスという女優さんは、付け鼻して特殊メイクで演じているそうですが、素顔も大して違わないような。ヴィオレットは常に口がへの字で、不平不満だらけなのを体現しています。容貌コンプレックスのせいか、服装はちょっとメルヘンチックで可愛さ追求系。そのアンバランスさがまた、この女性のヤバさを際立たせている気がします。

 ま、何であれ、彼女が自分の著作物で報われて良かったです。もし報われなかったら、本当に精神的に病んでしまったと思うので。身勝手なヤツだったけど、偽夫婦を演じていたゲイのモーリスは的確な助言をした、ってことですね。
 
 2時間超えの長めの作品ですが、割と長さを感じることなく見られます。




側にいたらものすごく困るオバサンのお話。




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