映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

眼には眼を(1957年)

2016-02-20 | 【め】



 中東のとある国に赴任している白人医師ヴァルテルは、腕が良く冷静で、公私の別を明確にする人間である。

 ある雨の晩、ヴァルテルは仕事を終え、アパート(?)の自宅でくつろいでいたところ、アパートの入り口に1台の車が乗りつけるのが見える。何だろうと思って見ていると、管理人が車から降りてきた男に応対したかと思うと、ヴァルテルの部屋の電話が鳴る。どうやら、今来た男の妻が車に乗っており、腹痛を訴えているので診てもらいたいと言ってきたらしい。ヴァルテルは、しかし、もうオフであることから管理人に応急処置の方法を教え、車で20分行けば病院があることを伝えろと言って電話を切る。男は納得したのか遠目では分からないが、再び車に乗り込み走り去って行った。

 翌朝、出勤途中のヴァルテルは、昨夜の男の車が無人で路上に停まっているのを見掛け、不審に思う。病院に着いた後、当直医だった若手医師から、男の妻は、最初は盲腸だと思ったが、その後、状態が悪化し緊急手術したところ子宮外妊娠と判明し、手術の甲斐なく死亡したことを聞かされる。しかも、車が途中で故障したため、男は妻を連れて雨の中6キロも歩いたことも知った。

 その出来事以降、ヴァルテルの身に不審なことが続けて起きる。どうも、その男ボルタクに尾行までされていることに気付くヴァルテル。遂に、ヴァルテルはボルタクに事情を説明しようと接触を図るのだが、そこから、思いもよらない地獄絵巻にヴァルテルは引きずり込まれていくのであった、、、。

 なんという逆恨み、、、。じわじわと苦しめ、嬲り殺すという、まるでアリ地獄のような恐ろしさ。復讐譚はやっぱり不条理だ。  

  
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 これも「観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88」で紹介されていたので、復讐譚は苦手なのに見てしまいました。

 ヴァルテルのとった行動は、何ら倫理的にも問題ないし、もちろん法にだって触れない、あくまで正当なモノ。ボルタクの車が故障したことなんて、ヴァルテルには何の関係もありません。

 なのに、ボルタクはヴァルテルを恨む。もし、ヴァルテルが遊びに行っていて不在だったら? ボルタクはヴァルテルを恨まなかったんじゃない?

 そう、そこにいたのに、診もしなかったじゃねーか、お前。、、、ってことです。そして、ヴァルテル自身も、そこに負い目を感じてしまっている。これは人間ならそう思うのも当然でしょう。でも、結果がどう変わっていたかなんて、誰にも分からない。ある意味、ボルタクの妻は、そういう運命だったのです。

 大切な人をそういう形で亡くしたら、、、。自分ならどうするだろうかと、想像してみました。確かにヴァルテルを恨むかなぁ。殺してやりたいと思うかも。しかし、車が故障したのはヴァルテルのせいではないし、病院に着いた後、誤診したのは当直医であってヴァルテルではない。私なら、むしろ、恨むのは病院と当直医なんじゃないかなぁ。

 つまり、ボルタクは、腕のいいヴァルテルなら誤診はあり得ない、だから最初からヴァルテルが診ていれば妻は助かった、、、という思考回路だったのか?

 ボルタクの執念深さは、ちょっともう、私の理解を遥かに超えていて、訳が分かりません。大体、ボルタクは夜道で車が脱輪したところをヴァルテルに助けてもらい、しかもそこから自宅まで120キロもあるのに、ヴァルテルは夜中にもかかわらずボルタクと娘を送ってくれたのですよ? 普通、いや、私ならそれでもう、ヴァルテルに対する逆恨みは消えるような気がします。娘もいるのだし、娘の将来のために生きようと思うなぁ、多分。

 でも、ボルタクは違う。同居している親や妹がいるから娘の将来は彼らに託せばいいと考えたのか、自らの命と引き換えに、ヴァルテルを砂漠におびき出し、見渡す限りの砂漠地帯を、水も食料も潰えた後もひたすら歩き回らせるという、、、想像を絶する方法で復讐するのです。自らの死と引き換えの復讐なんて、もう、復讐される方に勝ち目はありません。

 ヴァルテルの行動もイマイチ理解できないんだよなあ。ボルタクの家人に砂漠地帯に病人がいると言われると、遥かな道のりを車で行くのです。これがボルタクの罠だと、普通なら直感しそうな気がするんですが。仮に鈍感でも、そんな遠くまで行かないでしょ、普通。それこそ「悪いが仕事があるので」と言って帰っても良いのに。そこが、ヴァルテルの負い目につけ込んだボルタクの巧みなところでもあるんだろうけど、、、。遠路はるばる行ったのに、当の病人は村人たちがヴァルテルに触らせないし、仕方なく車に戻ると、車のタイヤが外されているという、、、。やり方がえげつなさ過ぎ。

 ヴァルテルも人が良いというか、歩いて帰ると決めた後、「こっちの方が近い、信じるか信じないかはあなたの自由だけど」というボルタクの巧みな誘導に乗っちゃうのだよね。車で来た道を戻れば確実なのに。そんな恐ろしい男の言うことを信じるってことは、そいつに自分の運命を託してしまうこと。冷静に考えれば分かるのに、平常心のヴァルテルなら分かっただろうに、状況的に、ボルタクのおびき出しに乗ってしまったのです。嗚呼。

 「あの山を越えればダマスの町だ」とボルタクに言われ、その山を越えるがそこには砂漠が広がるだけ。怒るヴァルテルに、ボルタクはこう言い放ちます。「一つ山を間違えた。先生だって間違えることあるでしょ?」と。こえぇーー。これぞまさに「眼には眼を」。

 ラスト、ヴァルテルに傷付けられ力尽きたボルタクが、「もう動けない。行って助けを呼んできてくれ、ここをまっすく行けばダマスの町だ」とヴァルテルを先に行かせる。再びとぼとぼ歩きだすヴァルテルの後姿を見て、ボルタクは、何と笑うのです。声を上げて。そして、画面は空撮に切り替わり、ラストシーン、ヴァルテルの行く先に広がるのは、、、乾燥した砂漠の山々。まさに絶望の映像です。

 まあ、この後、ヴァルテルもボルタクも干からびて死ぬのでしょう。

 ボルタクとヴァルテルが、砂漠の谷を渡るケーブルカー(といっても、細いケーブルに、板だけの乗り場がぶら下がっている粗末なモノ)に乗るシーンがあります。もうこれが、怖い!! しかも途中で止まりかけるんです。で、再び動き出した反動で、ヴァルテルの水と食料の入った袋が深い深い谷底へ落ちていくという、、、。もう、今、こうして書いていても掌に汗が出てくるほど怖いシーンでした。

 何となく本作のタッチはクルーゾー作品のそれと似ている気がしました。見ている者をギリギリと追い詰める感じ。終始緊張を強いられるところとか。アンドレ・カイヤットという名前は初めて知りましたが、他の作品も見てみようかな。

 それにしても、、、やっぱし、復讐譚は嫌いかも。松本清張が本作をお好きだったそうで。阿刀田高は、本作を見て書いたのが「霧の旗」じゃないか、と推理しておられます。ううむ、、、。






ラストの絶望の映像、画面の左下にヘリの影が。




 ★★ランキング参加中★★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする