平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
名古屋から、かなごん来襲
午前中、名古屋からかなくんとママが来るというので、新幹線駅のJR掛川駅まで迎えに行った。直前になってまーくんがいっしょにいくというので、助手席に乗せた。行き帰りで見た桜はどこも満開で、早くも散る花びらも見えた。お花見も平地ではこの週末が最後だろうと思った。掛川駅にはすでに「こだま」が到着していて、駅前広場にかなくん母子の姿が見えた。向うからも、じいじの車を見つけ、かなくんが駈けてくる。また一段と大きくなったようだ。かなくん母子は幼稚園がはじまるまでの約10日間ほど、我が家へ逗留するようだ。女房は娘の骨休めだからというが、その間、パパは名古屋へ置き去りで、大丈夫なんだろうか。
午後は一番西の和室に避難して、読書をしていた。かなくんを迎えて、我が家は一段とヴォルテージが上ったようだ。あっくんとかなくんが、がなっているのが聞こえる。太いあっくんの声にはかなくんもたじたじで、まーくんは兄ながら、はじめから勝負は諦めている。まーくんの高い声では、あっくんのど太い声の迫力には対抗できない。もっともまーくんの声の方が子供としては普通である。あっくんの声は異常で、子供らしくない。本人も知ってか知らずか、得意がって、がなる。まーくんの声は喉で出しているが、あっくんの声はお腹から出しているから迫力が違うのである。あっくんは黙って聞いていると、よく耳で覚えた歌を歌っている。まだ歌詞はいい加減であるけれども、歌が好きなのかもしれない。お腹から声を出すという歌の基本が生まれながらに出来ている。
かなくんが持ってきたキョウリュウジャーの剣付機関銃が大人気で、まーくん、かなくんも借りて、機関銃の音を出して目を丸くしている。そのうち、何がきっかけなのか、駆けっこが始まった。小さい家の中、応接から居間、玄関前廊下から応接とぐるぐる駆け回る。あっくんも一歩遅れるが懸命に付いて行く。やがて、居間から8畳の和室、6畳の和室の自分の脇をかすめて、縁側から玄関前廊下と、最長の周回コースに広がった。男の子3人が汗をかきながら大声を挙げて走っている。我が家ながら、自分の身の置き所を失った感じである。
えまちゃんは騒がしさには慣れているようで、そんな騒々しい中でも、目を覚まさずによく寝ている。逆に食事時など、子供たちがダイニングに引っ込み、静かになると、目を覚まして泣き始める。ダイニングに連れてきて、子供たちのそばに置くと安心するらしく、泣き止むから不思議である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「妖怪学の祖... | まーくん一家帰る » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |