平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
上越秋山紀行 下 2 四日目 上の原 2
茶畑で花盛りなのは肥料が足りないためだとか。かつては茶の花は恥ずかしいものとされて、気にしたお婆さんが摘んで回ったという。今はどの茶園も花盛りのように見える。地味な花だが、良くみれば黄色いおしべが白い花弁より目立って面白い。
昨日書き漏らしたが、女房の在所から頂いて来た渋柿、56個を干柿に加工した。これで、合計256個である。
「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。
一、二遍ずつ読み聞かせ、予、この男に云う、さても秋山中に梅の木は壱本もないと聞く。夜前、小赤津で噺には、春は鶯も沢山鳴くげな。鶯ばかりで、梅のない村は面白からず。殊更、小赤津、この上の原、和山、屋敷の村々は、取りわけ平家の後胤(子孫)と聞くからは、文字なども覚えて能(よ)さそうな事なり。里には天神宮を祭りて、梅なき家には梅の花の枝でも備えて祭る。
※ 夜前(やぜん)- 前日の夜。昨夜。ゆうべ。
※ 天神宮(てんじんぐう)- 菅原道真を祭る天満宮。学問の神様。道真が大宰府に流されたとき、
東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ
と詠んで、飛梅伝説ができ、天満宮に梅が付きものとなった。
これ読書の神にて、御宣の歌にも、
※ 宣(せん)- 天子や神が意向を述べること。
梅あらば 賤しきこんな 伏家まで
我立ち寄りて 文字を教えん
※ 伏家(ふしや)- 屋根の低いあばらや。
とあれば、梅の木植へてこの神を祭らば、こんな短尺(たんざく)の文字はわかると教えて、
秋山到處更莫梅 秋山へ到る処、更に梅莫(な)し、
流石天神不祚来 流石(さすが)天神も祚来らせず。
扨社無筆文盲衆 扨(さて)社、無筆文盲衆(おお)く、
短尺逆取見事獃 短尺、逆に取って見ること、獃(おろか)なり。
※ 更に(さらに)- 全く。全然。
※ 祚(そ)- 天からくだされる幸福。福禄。
※ 社(しゃ)-(天神社のある)村社会。
梅に鴬と云う事は、己(うら)も聞(ちい)たが、春は梅はなけれど、里よりも、うぐいすは沢山、戸口まで来る。楳(梅)は里地より三、四層倍寒い処だから、育て申さぬと云うに、能くこの家の様子を見、残る十二軒の家へ立寄りなば、なお興ある事もあらんと、
大黒の 柱も見えぬ ほっ立て家
びんぼう神の 住居とや見る
ほっ立ての 壁の替りは 茅かきて
これや尾花の 宿とや云ふらん
また湯本は川西にて、遥かに秋山の留めなれば、途(みち)急いで往く程に、村家の辺りのみ、例(おおむね)に山畑広々と、或は茫々たる茅野の中に、栃の木の大樹、独立する如く、亭々として、帆柱の立ちたる風情もあり。または朦朧たる大樹原も過ぎ行く。
※ 亭々(ていてい)- 樹木など の高くそびえているさま。
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