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御嶽山噴火とスマホの力


(三岳山より浜名湖方面)


(三岳山より富士山)

(昨日のつづき)
三岳山の山頂でお昼を回ったので、どこかで昼食をと、三岳山を下る。一足先へ下って、三岳神社の駐車場で待つまでもなく、息子が降りて来て、御嶽山が噴火したと、スマホを操作しながら言う。どういうことだ。スマホに出ている。ほんの少し前だという。(噴火は11時52分)噴火の1分前に、山頂はのどかですと、山頂から眼下に見下ろす景色の写真とともに、ツイートしている人がいた。快晴の青空と眼下のコバルト色の二の池が印象的であった。一分後に辺りが地獄と化すことを、感じさせない写真であった。噴火のニュースに、その後どうなったのか、続報を求めるツイートが殺到していた。そのうちに、安否を案ずるツイートに代わる。息子もその後、何度もその人のツイッターをチェックしていたが、本人からの反応は無かった。

その内にツイッターにもユーチューブにも、噴火の画像や、映像が出て来た。しかし、カーラジオは、御嶽山で噴火があったと報じるだけで、続報が出て来ない。ユーチューブの映像では噴煙が立ち上がり、山小屋へ急ぐ登山者に追いついて、辺りがたちまち真っ暗に覆われる様子が、乱れに乱れた映像ながら、映っている。

このあと、のどかに晴れた細江の町で、「遠州高天神記」の取材で、堀川城跡と刑部城跡を回った。堀川城跡は浜名湖畔近くで、石碑と首塚の一画が残るだけの城跡であった。また、刑部城跡は人家の裏山で、金山神社という社がある樹叢が城跡と思われた。

写真を撮り取材を終えて、途中で昼食を摂り、急いで帰宅した。御嶽山の噴火のその後をテレビで見たいと思ったからだ。しかし、テレビは通常番組で、詳しく報じる局は無かった。NHKで噴火の特番が始まったのは、噴火から4時間ほど経った、午後4時頃であった。NHKの取材班が御嶽山の紅葉を撮影していて、頂上の向うから噴煙が突然に表れる映像は印象的だったけれども、その後に映った縦長の映像は、4時間前に息子のスマホで見せて貰った映像そのものだった。

秋の紅葉のシーズンで、快晴の土曜日、正午前である。山頂付近にはニ百人を越す登山客が登って来ていた。突如の噴火に、数十人の犠牲者が出てしまった。予知が出来なかったことについて、学者は噴火についての研究が未熟であると語った。せめて山頂近くに、阿蘇山で見るようなシェルターがあったならば、これほどの犠牲者を出さずに済んだと思うのは、自分だけではないだろう。

それにしても、速報性という面で、マスコミはいまやスマホの力に太刀打ちできない時代になっていると実感した。スマホ恐るべしである。若者のマスコミ離れが進むのも納得できる。

山頂のツイッター、無事に下山したとのツイートを最後に、ツイートを自ら閉じたという。簡単にツイート出来ないような、地獄の経験をして来たのだろうと想像した。
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