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チベット暴動の今後

(庭のツバキ)

中国政府が最も恐れていたことが起きてしまった。14日、チベットで起きた暴動については中国政府の報道管制によって詳しいことがなかなか判らない。チベット側では警察と軍の発砲による死者が80人という。中国政府側では暴動に巻き込まれた市民の死者が最新報道では19人(内警察官1名)となっている。どちらにしても単にデモ行進に留まらず、暴動になった。聞こえる範囲では指揮する組織がいて計画的に行われたものとはとても思えない。もっともオリンピック前だから、騒ぎを起こせば事足れりということなら、あったのかもしれない。

安直に市民に銃を発砲する中国政府が逆に暴動の扇動になったのかもしれない。デモの制圧には、楯を持つ機動隊、放水、催涙弾など、双方を傷つけない手段がいくつもある。民主主義が定着した西欧諸国や日本なら、発砲の前にそれらの手段を用いて鎮めてしまう。言論の自由、集会の自由、示威行進の自由を認めている国ならば、それらが行過ぎて社会不安を煽る場合、どう沈静化させるかというノウハウを持ち訓練も怠りない。

ところが中国では、もともと言論の自由も集会の自由も、まして示威行進の自由なども認めていない。当然それに対処する手段も持ち合わせていない。だからいきなり銃を向ける。銃は外敵に対して向けるもので、内に向けるものではない。中国の弱い部分をさらけ出す結果になった。こう考えたらよく判る。オリンピック期間中に抑圧された人々が会場周辺で騒ぎを起こしたらどうするのであろうか。世界から集まっている客の前で自国民を銃で制圧するのであろうか。何らそれらに対処を考えていない国がオリンピックを開催する資格があるのだろうか。

日本の毒入りギョウザの事件はオリンピックまでは臭いものに蓋をしてしまったことになった。日本側もオリンピックが終わるまでは詮索を中断しているように見える。それを日本語では「武士の情け」という。次に北京の大気汚染が指摘された。マラソン選手で選手生命を終えたくないから、北京ではマラソンに出ないという選手も出て来た。そして今度のチベットの暴動である。

21世紀になって噴出してきた民族主義を押えるためには、大幅な自治と緩やかな統治、つまり合衆国のようは形態か、全体主義国家のような徹底した統治しかない。全体主義国家が民主化されていくと、当然民族主義が台頭して各地に紛争が起きる。かつてのソ連や東欧の諸国では、いまだにそれに苦しんでいる。イラクもフセインという蓋をはずしたら何が起きたか。フセインの圧政を外せば民主主義に移行できると考えたアメリカは、フセインが大量破壊兵器を持っているとして戦いを始めたとき以上に、大きな勘違いをしていたと思う。

ヨーロッパの一部で中国の開会式をボイコットしようと言い始めている。不安な食、大気汚染、そして国民の不満。次に何が起きるのだろうか。このまま平穏にオリンピックが開かれるとはまだ思えない。そんな中国に来月初めに出張に出かける。
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