平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
道聴塗説 その一 2
午後、掛川古文書講座で掛川図書館に行った。今日は「四国お遍路まんだらふたたび」をリクエストの合った二人に渡した。
講座が始まる前、図書館の中で、三才位の女の子が腰掛け型の乳母車から、左足を手すり辺りに引っかけたまま、ずり落ちて、頭を床に付けているのを見た。すぐそばに、乳母車に乗せてきたであろう赤ん坊を左に抱き、パソコンで図書の検索に気を取られている若い母親がいたので、肩をたたいて指差すと、娘の状況に驚いて、助ける様子に、安心してその場を離れた。
想像するに赤ん坊が乗った乳母車がちょっとうらやましくて、空いたチャンスに乗ってみたが、づり落ちてしまった。身動きが出来ないこの状況で、後ろめたさに声も上げられず、見付けた自分に照れくさそうな笑いを見せたといったところであろう。もう一時おけば、騒いでママを呼んだのかもしれない。
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「道聴塗説 その一」の解読を続ける。
まず元祖(法然)は選択集などに、一紙の誓文などの旨にて、往生の業、念仏為本と定め給う。観経の付属の文疏の御択、並びに大経の付属の文、小経の執持名号等の証文に紛れなき事なり。願文の三信、観経の三心は、称名の上に具足すと定められて、口称の外に信心を立てざるなり。
※ 選択集(せんちゃくしゅう)- 関白九条兼実の要請によって、法然が撰述した2巻16章の論文。
※ 往生の業、念仏為本 - 往生の業は念仏を本とす。(「選択集」)
※ 観経(かんぎょう)- 観無量寿経のこと。大乗仏教の経典の一つ。
※ 文疏(ぶんそ)- 注釈。
※ 大経、小経 - 浄土宗・真宗で、「大無量寿経」のことを大経、「阿弥陀経」を小経という。
※ 執持名号(しゅうじみょうごう)- 阿弥陀仏の名号をしっかりと取り保っこと。(阿弥陀経)念仏を称えるのはその方法。
※ 願文の三信(がんもんのさんしん)- 大無量寿経の第十八願文に示された、至心・信楽・欲生の三つをいう。往生の因である信を三つに分けて説いたもので、別々のものではないとされる。
※ 観経の三心(かんきょうのさんしん)- 観無量寿経に説かれている至誠心、深心、回向発願心のこと。
※ 具足(ぐそく)- 不足なく、十分に備わっていること。
※ 口称(くしょう)- 口に念仏を唱えること。
開山(親鸞)は元祖の意を承けて、選択集を相伝し給い、念仏往生の宗旨を弘め、一向専修の一流を相承け給うに、専ら信心を勧進して、唯行の本基を立て給う。信心の外に称名なきこと、真実信心必具名号の御釈、これ顕然たり。
※ 一向専修(いっこうせんじゅ)- ひたすら一つの修行、とりわけ念仏に励むこと。
※ 一流(いちりゅう)- 一つの宗派。
※ 真実信心必具名号(しんじつしんじんひつぐみょうごう)- 真実信心は必ず後続として称名を伴うこと。
この唯信と唯行と、元祖と開山の際(きわ)を、心得違う故に、唯行を執り、またこれは信心を廃し、唯信を取りては称名を捨つるを大失と申すなり。
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