平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
道聴塗説 その一 3
庭に、シダ植物のシノブがまだ緑で残っている。常緑ではなく、落葉するというが、どっこい、まだ緑で残っている。越冬できるのであろうか。注目してみたい。
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「道聴塗説 その一」の解読を続ける。
開山(親鸞)の御意は、聖覚法印の唯信抄に専ら口称を示されて、題には唯信抄と標し給う。鈔の文の如くならば、唯行鈔と申すべきに、唯信と題し給うを、開山その旨を取りて文意を作り給い、専ら信心を示されたるを以って、心得べし。
※ 聖覚法印(しょうかくほういん)-鎌倉時代初期の僧。安居院 (あぐい) 法印。説経、唱導の名人で後鳥羽院の信任を得、安居院一流の基礎を築いた。天台宗の僧であるが、のち法然の門に入り『唯信抄』 (1221) を著わす。
※ 唯信抄(鈔)(ゆいしんしょう)- 聖覚著。法然の「選択集」を受けて、念仏往生は信心が大切であると述べたもの。親鸞は、これの註釈書「唯信鈔文意」を書いている。
※ 口称(くしょう)- 口に念仏を唱えること。
これ唯信、直に唯行なり。信心と口称と、須臾も離るゝべからず。されば、開山の唯信は、専ら称名にあり。元祖の唯行は専ら信心にありと知るべし。
※ 須臾(しゅゆ)- 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。
近く譬えて申さば、駿城の伝馬町に甚兵衛と申すものあり。その家奴に八助とて、七歳の時より主人に養われ、今年四十九歳になれり。甚兵衛は近来、家産乏しく、居屋敷も借金の償いとなり、夫婦娘、三人ともに、親縁の家に寄食して、朝夕の貯(たくわ)うなり。困窮甚しかりき。八助はこれに従い、始終その志を変せず、粉骨摧(碎)身して、忠直の外に他事なり。
※ 家奴(かど)- 家の下男。奴僕。
※ 忠直(ちゅうちょく)-忠義で正直に仕えること。
※ 他事(たじ)- ほかのこと。その人に関係のないこと。余事。よそごと。
三人の主人をはごく(育)み、年月を渉(わた)る処に、この事、詳しく町御奉行所に聞え、遂に江府(江戸)に達して、今年宝暦丙子の正月、公儀より青銅五拾貫文を賜りける。
然るに最初に八助を御奉行所に召され、汝は甚兵衛に事(つか)えて忠節を致したる由、いかなる事を務めたるやと御尋ねありしに、八助は一向、何の忠節を致したる覚えなき由を答え申す。それより段々に町の宿老などへ御吟味ありしに、八助が忠節のこと、数ヶ条を書き付け出だせり。これに依りて、右の御沙汰に及べりとなん。
※ 宿老(しゅくろう)- 年をとり、豊かな経験を積んだ人。老巧の人。
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