平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「甲陽軍鑑」を読む 32
(立ち並ぶマキノキの大木)
「長屋門の見て回り」三ヶ所目は、牧之原市大江の中村家の長屋門であった。中村家は昨年亡くなられた中村肇先生の本家筋に当たるお宅で、この中村家も神主をされて、神社がすぐ近くにある。長屋門はそれほど古いものではなく、半分が二階建てになっている。母屋の脇に、マキノキの大木が立ち並んで、おそらく昔は生垣として母屋を囲んでいたのだろうと思った。
本日午後は、掛川文学講座に出席した。講師より、始めて、高橋泥舟の筆になる短い文書の解読を頼まれて、自宅に帰って案外短時間で解読出来たので、すぐに講師のお宅へ郵送した。
夜は、金谷宿大学の発表会の打ち合わせに出席した。ミニ講座で「三行半と道中手形」と題して、一時間ほど、講座をすることになった。三月七日(土)の午後二時から、夢づくり会館で行う。古文書解読の極く初歩の講義となる予定である。
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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。「霊陽院殿より御使者の事」の項の続き。
さ候て我らも輝虎同前に御請け申し上げたく候らへども、各(おのおの)御覧ぜられ候通り、出家に罷り成り、弓箭を取り申すすべを、早や失念仕り候えば、何方(いずかた)へも罷り出で、国端(くにはし)において、少し鍛錬いたし、その上、御請け申すべく候。只今信玄が公儀へ御奉公には、護摩を修(しゅ)し、御祈念をいたし、御武運長久、御息災(そくさい)、延命の札(ふだ)を進上申すべく候。能(よ)き様に御披露、頼み奉り候とありて、
※ 国端(くにはし)➜ 国境。他国との境あたり。
※ 修す(しゅす)➜ 仏事をとり行う。
※ 息災(そくさい)➜ 病気をしないで、元気なこと。
都よりの両使を馳走なされ、御腰物、馬、遣わされ、やがて返し給いて後、喜見寺仙海法印(ほういん)に、信玄公仰せらるは、公方(くぼう)の両使に、盃の上、肴を挟(はさ)み候えば、その肴を喰うて後、畳にて手をのごい候程、無穿鑿(むせんさく)なるは、公方家、悉(ことごと)く末(すえ)に成りたるに、輝虎、信長退治の御請け申し候、謙信が状を、公方より御越し候。輝虎、武道は形の如く優れたる者なれども、この分別工夫(ふんべつくふう)の四文字なき故、卒爾(そつじ)に請け負い申し候。国を持つ者の申す事は、一日の間に、五日、十日路(じ)へ聞こゆるなれば、むだと物は云わぬ国主の法なりと。仙海法印へ信玄公御物語なり。仍って件の如し。
※ 法印(ほういん)➜「法印大和尚位」の略。僧位の最上位。僧綱(そうごう)の僧正に相当。この下に法眼(ほうげん)・法橋(ほっきょう)があった。
※ のごう(拭う)➜ ぬぐう。ふいてきれいにする。ふき取る。ふく。
※ 無穿鑿(むせんさく)➜ 物事を深く考えない。礼儀知らず。
※ 分別工夫(ふんべつくふう)➜ 物事の是非・道理を判断し、よい方法や手段の考えをめぐらすこと。
※ 卒爾に(そつじに)➜ 軽率に。かるはずみに。
※ 路(じ)➜ 日数を表す語の下に付いて、それだけかかる道のりという意を表す。
※ むだ(徒)➜ しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。無益。
※ 国主(こくしゅ)➜ 国主大名。一国以上を領有する大名。くにもち。国守。
(「霊陽院殿より御使者の事」の項終り)
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