平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
ふくらはぎに筋肉が付く
およそ一年ほど、しいて歩くことをしなかった。ある日、お風呂で自分の足を見て驚いた。筋肉が目に見えて減り、本当の年寄りの足を見るようであった。これではいけないと、この半月ほどで6回、はじめは足慣らしに半日、後半は一日歩く “超散歩” を始めた。本当は毎日1時間ほど散歩を続ければよいのだが、同じところを繰り返して散歩するのは性に合わない。それで始めたのが “超散歩” である。時間が取れた日に、まとめて何時間か歩く。足の向くままに、行ける所まで歩いていってしまう。あまりしっかりとした計画を決めない歩きで “超散歩” と名付けた。
6回分の “超散歩” を整理してみると、
3月26日 自宅から島田駅まで、金谷駅から自宅。4時間 16km
3月27日 自宅から原を越えて菊川駅まで、4時間 16km
3月29日 大井川鉄道神尾駅から神尾山へ登り、自宅まで、4時間 16km
4月 2日 自宅から柏原、千葉山を経て島田駅まで、7時間半 30km
4月 9日 自宅から岳山、粟ヶ岳を経て掛川駅まで、7時間 28km
4月11日 自宅から焼津駅まで、6時間 24km
これは来るべきお遍路の足慣らしでもある。徐々に歩く量を増やしてきたため、足を全く傷めることなく歩けた。豆一つ作らなかった。これは大きな自信になった。
今夜風呂で再び自分の足を見ると、何とふくらはぎに目に見えて筋肉が付いたのが判った。同じように腿にも、目で見てはっきり判らないが、筋肉が付いているはずである。人の筋肉は使わないとやせ細っていくのは早い。反対に少し使えば筋肉が付くのも早い。昔山登りをしていた頃、二週間に1回位山に登っておれば筋肉は衰えないと聞いたことがある。
この6回で、お遍路に出た時に歩きがどんな風になるのか、おおよそ想像できた。最初は無理をしないで、徐々に歩く距離を延していくと、どんな案内書にも書いてある。つまり、その間に足の筋肉も歩くための装備を整えていくのだと思う。歩くことが少なかった都会の人も、そんな風に歩き始めれば、歩きとおすだけの足の準備が出来るのであろう。それが実感として理解できた6回の “超散歩” であった。
心配は次の日曜日、故郷で行われる親父の13回忌の法事である。昔、山登りをしていたころ、正座をするとふくらはぎの筋肉がつかえて、何とも座りにくい思いをしたことがある。いま正座をしてみたが、足の筋肉が痩せていた頃に比べて、ややつかえるけれども、正座がしにくいほどでもない。これなら問題ないだろう。ということはまだ鍛え方が少ないということなのだろう。
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