平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
事実証談 巻之三 異霊部27 清明ヶ塚、犬神と当病神
なでしこジャパンはカナダで開かれているワールドカップの準決勝でイングランドに2対1で勝利し、決勝のアメリカ戦に進んだ。まさかまさかの2大会連続の同一チームとの決勝戦となった。今回はもっと早いタイミングでの敗退を予想していたので、全く脱帽である。欧米のチームの、高さとスピードで圧倒するようなサッカースタイルの中で、なでしこだけが、巧みなパス回しのチームプレーで勝ち上がってきた。どの国も、なでしこ対策に懸命に取り組んできたはずなのに、全く功を奏しなかった。
「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。
ネットで調べると、第59話の清明ヶ塚が現存すると解り、取材に行った。掛川市大渕、国道150号線を御前崎方面から西進して、観光農園サンサンファームの500メートルほど先、海側に少し入った所に「晴明塚」は現存していると判った。6月29日に思い付いて出掛けた。150号沿いに小さな看板があり、そこへ車を止めて、海側へ100メートルほど入った右手に、砂地の上に竹垣で囲われて、赤い石が塚状に集められていた。
第59話
城東郡雨垂村の浜辺に、清明ヶ塚と号(い)いて、浜砂の中に赤き石のみ有る所あり。旱魃の時、そのわたりなる村々より、それに雨請いするに、人々そこに至りて、何をあてどもなく、その石を踏み散らすのみなりとぞ。かくて後に見ればいつしか有し如く、その石集り居りとぞ。如何なる由縁にて清明ヶ塚というと尋ぬるに、むかし清明という人、そのわたりへ潮の入るまじき咒法(まじわざ)せし所なるゆえ、その塚わたりには潮入る事なしと、その辺りの人の物語なり。
※ 清明 - 安倍晴明(あべのせいめい)。平安時代の陰陽師。陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。
第60話
寛政年中にて有りしが、諸社拝礼の祈願なりと、安芸国より来たれる神職の物語に、我国海辺に犬神という物と当病神という物有りて、その家々に伝えたる。その伝えたる家の主の心に付いて、他人に崇りをなすのみか、時々着けり悩ますなど、あるは又、伝えたる者の家なる童(わらわ)、他の家に行きける時、物炊(かし)ぐを見て食わせん事を思うに、早く与えざれば炊き物ならず。
※ 犬神(いぬがみ)- 狐憑き、狐持ちなどとともに、西日本に最も広く分布する犬霊の憑き物。狐の住まぬ四国が発祥の地とされる。同類の憑き物は地方によって様々に呼ばれる。「オサキ(尾先)」(関東)、「イヅナ」(東北、中部)、「クダ(管)狐」(中部、東海)、「ニンコ(人狐)」(山陰)、「ヤコ(野狐)」(南九州)など。
※ 当病神(とうびょうじん)- とうびょう。中国・四国地方に伝わる憑きもの。ヘビの憑きものといわれ、その姿は10~20センチほどのヘビ。
いとゆゝしき物なりといえるを、それは如何なる物にかと、なおよく尋ぬるに、犬神というは小狐なり(遠江にてはくだ狐という。東国にては尾先という物なりとぞ)。当病神というは小蛇にて、常にその家々に畜(か)い置く物なり。たま/\他に出てあやまちあれば、畜い置ける家の主に崇りをなす。また他人それを見て美しと思う時はまたその者に崇るなり。
されど広島の城下に至り、木戸打ち越すと即ち退くなり。こは実に城主の威光に恐るゝならん。四国にも同じき物有りと言いき。また文化七年の比、備中国人にその事を尋ねしに、かの国、小田郡道通社の辺りにも当病神有るよし言えり。同じ物かあらぬか。遠国他境のことなれば、詳かならず。なおよく聞かまほし。(犬神とは犬にもあらぬ小狐をさして、犬神と言えるは犬山椒、犬蓼などいうに同じく、神に等しきをいうか)
※ 道通社(どうつうしゃ)- 岡山県笠岡市にある道通神社。もとは蛇神を祭った社であった。
巻之三終り
以上にて「巻之三 異霊部」は終りだが、この後、まだ5話、追加されているので、このブログではあと数日かかる。
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