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「東京歳時記」を読む

(出久根達郎著「東京歳時記」)

出久根達郎著「東京歳時記」を読んだ。俳句雑誌に連載したエッセイを一冊にまとめたものだという。先人の俳句を一句最初に掲げ、その句とつかず離れずといった内容のエッセイである。日常起きる些細なことを取り上げて書いているが大変面白い。

プロの書くエッセイと、素人が書くものの違いは、プロのエッセイは嘘が混ざっていることだと思う。嘘では聞こえが悪ければ、創作と言った方がよい。事実と創作が区別できないように混ざっていて、一つの作品となっている。読者はついついすべてが実際に起きたことと信じてしまう。テレビのバラエティトークと似たようなところがある。

「東京歳時記」を読みながら、ここは著者の創作だと、見破ろうと追っている自分がいた。いやな性格である。それでも、著者のちょっと創りすぎと思ったところが何ヶ所かあった。ただ指摘は失礼だから止めよう。

素人が書くと事実にこだわりすぎて、平板なものになってしまう。自分もブログでは嘘が全く書けない。出来るのは実際にあった事を、書くか書かないかの選択だけである。だから、面白くない。話を創れば面白く書けるかと思うのだが、際限がなくなりそうで、どうしても踏み込めない。

中に「エッセイの題材」という項ではなるほどと思わせるものがあった。インタビューを申込まれたが、花粉症が酷くてその気になれず、質問を文章で頂いて、文章で答えることにした。エッセイの題材はどんな風に見つけるのかという質問があった。それっ、自分も聞きたいと読み進んだ。

当り前の日常でも、ふと立ち止まって、よくよく眺めると、あれ?面白いなと思うことがある。例えば、夜中にお腹がすいて、カップめんをよく食べる。紙ぶたを半分空けて湯を注ぐ。3分間待つときに紙ぶたが開かないように重石を置くと思うが、手頃な重石に皆んな何を使っているのだろう。それだけでエッセイのネタになる。ちなみに、著者は急須のふたを重石にしているという。自分はカップを包んでいるビニールを切り取るために使ったハサミが重石になっている。

インスタント焼きそばでカップの湯を流しに捨てると、ステンレスの流しが、ビンと大きな音をたてる。まるで流しが熱い!て悲鳴を上げているように聞こえる。あれって、どの家でも同じなのだろうか。ちなみに家でも古い流しは同じように悲鳴を上げた。しかし、最新の流しに変えたら悲鳴は無くなった。

こんな調子で日常のどこにでも題材が転がっていると、次々に実例が述べられて大変参考になった。ちなみに「東京歳時記」のエッセイの長さは約3000文字である。このブログは最低でも1000文字と考えている。ここまでで軽く1000文字を越えた。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
さすがプロ (城崎温泉  力 餅)
2012-01-19 07:31:20
きのさん おはようございます

 きのさんのこのブログ 毎日更新されるので、私達読者としましては毎朝新聞が来るのが楽しみなように、毎朝このブログを見るのが楽しみとなっています。
 更新2000回達成の頃、今回と同じようなコメントをしたと思いますが、きのさんは限りなくプロの作家に近い、否、プロである。
 『東京歳時記』を読んで、プロはどんな題材をエッセイの材料にするのか?・・・なんて発想・・・素人はしません。これはプロの発想です。

 ちなみに私はインスタントラーメンの蓋として、手頃な大きさの皿を使います。ハイ。
 
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