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高校同窓会の帰郷の顛末 3

(円山川の向こう岸に玄武洞が見える)

午後、静岡に行き、駿河古文書会に出席した。車から降りたところで、驟雨に襲われ、折り畳み傘しか持たなかったので、小やみになるまで待った。いよいよ秋雨前線の到来のようだ。

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(昨日の続き)
OSさんに、恩師宅から駅まで送ってもらい、同窓会会場に向かった。電車の時間をチェックしていなかったので、待ち時間が一時間近くあり、バスで城崎に向かった。円山川の左岸を走り、やがて対岸に玄武洞が見えてきた。学生のころ、ここを舞台に、小説を書いたことを、ふと思い出した。もう半世紀も前のことだ。城崎温泉駅からタクシーに乗り継ぎ、会場の招月庭に向う。

明日、関西上陸必至という、強力台風21号を危ぶみ、キャンセルもあって、参加者は60数人と、少し寂しい同窓会であった。恒例の物故者名の発表も、全体の一割強となった。あの時代の空気を共に吸った、懐かしい友の名前が呼ばれる度に、その面影が浮かんだ。もちろん若い頃のそれだ。二年毎に同窓会を行なうと云うが、年々、物故者は増えていく。何とか、ここで名前を呼ばれないように、有りたいものだ。

くじで、GHさんが同じテーブルになり、最初少し話した。この2年の間に、旦那を助手席に乗せて運転中、自損事故を起こし、エアバックが作動して、あばらを何本か骨折したという。寝ていた旦那は無傷だったようだ。二年前の同窓会で進呈した「四国お遍路まんだら、ふたたび」の感想が出せなかった言い訳ようだったが、当方は渡したことも忘れていた。

同テーブルのTN君は10年前から米作りをしていて、「こうのとり米」を作っているという。それ以前から、「こうのとりの郷」でお手伝いに、写真やビデオを撮ったりしていて、「こうのとり米」の米作りの仲間に入ったという。冬から春にかけても、田圃に水を絶やさないようにして、減農薬、有機肥料に取り組み、こうのとりの餌になる小魚やドジョウ、蛙などと増やしながら、人にも安全安心な米作りである。一番大変なのは、除草剤を一切使わないことだという。田の草取りにさすがに人手だけとはいかず、エンジン付きの田の草取機を使っているが、今に乗用型も出来るらしい。野外のこうのとりも増えて、そのように育てた蛙なども、たちまち食べられてしまうらしい。この地域でこうのとりを育てるのも、そろそろ数が限界で、どんどん全国に取り組みが広がって、豊岡で育ったこうのとりが他所で子育てするように、早くなってほしいという。

同窓会の宴も、弥々たけなわになって来たようだ。
(明日に続く)
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