平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
上越秋山紀行 上 29 二日目 小赤沢村 12
一昨日から今日まで、自分の故郷へ墓参に行った。一昨日の夜は、義姉にリクエストして、故郷のバラ寿司を作ってもらった。戦後まもなくの子供のころ、隣保のお日待の行事があって、町席に奥さんたちが集って、バラ寿司を作って、夜は集会場に、各家族皆んなが集って、大宴会になった。食料もお金も乏しい時代に、精一杯の御馳走であった。各戸とも、子供に溢れていて、日本が急速に復興していく時代であった。そんなことを思い出してのリクエストであった。昔の味と比較も出来ないが、美味しく頂いた。
「上越秋山紀行 上」の解読を続ける。
昔、上杉霜臺公、能州責めは、この晩秋の頃にして、野陣の時、武士の鎧の袖を片しきて枕に、近き初雁の声と哦し給いしは、青天井の俤(おもかげ)、かゝる数万の御大将すら、戦国に夜具一つ陣中になき事、想像に堪えたり。
※ 上杉霜臺公 - 上杉謙信。
※ 能州責め - 「能州」は能登の国の別称。天正4年(1576)11月から翌年9月にかけて、越後の上杉謙信軍と能登畠山軍の、能登七尾城の戦いを示す。
※ 野陣(のじん)- 野外にかまえた陣営。野営。
※ 片しき - 袖の片一方だけを敷いて、独り寂しく寝ること。
※ 哦す(がす)-(詩などを)口ずさむ。
※ 想像に堪える - 想像できる。
これに引き競べれは、今宵の寝所は、椽(たるき)あり、畳もあり、薄きと云えども夜具もあり、所添え、月星も見えぬ家の内に、驕心の発せし事も、一天四海、神君の御余光にて、泰平の世に生れ合いし、生れながらの仕附けこそ、據(よんどころ)なしとや言わむ。
※ 驕心(きょうしん)- おごりたかぶる心。慢心。
※ 一天四海(いってんしかい)- 全世界、または日本全国。天下。
秋山夜具獨堪■ 秋山の夜具、独り■(つくろ)い堪(たえ)り、
如蛭一塊更不眠 蛭(ひる)の如く一塊(ひとかたまり)に、更に眠れず、
両袖依狭掛衣類 両袖狭きに依って、衣類を掛けり。
仕附無糸零打綿 仕附け糸無くして、打綿零(おつ)る。
木玉枕悩禿頭頚 木玉枕、禿頭頚(はげあたま)に悩み、
山菅織惚寝莞筵 山菅織り、寝莞筵(ねござ)に惚たり。
終夜持参呑茶故 終夜持参の茶を呑む故、
滅多無正往小便 滅多無正、小便に往く。
※ ■ - (文字不明なるも、「つくろう」とルビあり)
※ 打綿(うちわた)- 繰り綿を綿弓で打って柔らかい繊維にしたもの。
※ 惚たり(こつたり)- 心がぼうっとする。ぼんやりする。
※ 滅多無正(めったむしょう)- 滅多無性。やたらめった。むやみやたらに。めちゃくちゃ。
桶屋は折々この辺へ来て、寒苦も食事も厭わねば、銘々の気質にも寄るらん。予は鶏鳴、旦(あした)を報ずるを待ち、蚤は頻りにさし、樫枕にも殆んどかなしくて、
木つ玉の 樫枕は さしもせで
蚤は我身を さし明かしけり
薄夜着の 処々に うち綿の
ひとかたまりに 寝てもねられず
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