平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
再びの巨木巡礼 17 能満寺の大ソテツ
能満寺、大ソテツは白い塀の中
9月13日、二本目の巨木は、吉田町片岡の「能満寺の大ソテツ」である。県道34号島田吉田線に戻って南東へ進むと、前方右手、山の上に小山城(郷土資料館)が見えてくる。能満寺はその山の南東端の麓にある。参道両側には、ソテツが点々と植えられ、さながら「蘇鉄の寺」である。山門を入ると右手に大ソテツはあった。
乱立する支え柱が少しうっとうしい
平成8年12月14日「巨木巡礼」時の能満寺の大ソテツ
能満寺の大ソテツ(静岡県の巨木153/№2)
「巨木巡礼」時とそんなに変わらないように見える
「巨木巡礼」(1996 .12.14)には次のように記している。
小山城に登るふもとに能満寺がある。その狭い境内いっぱいに大ソテツがある。枝を支える支柱が林立していて景観をそいでいる。
説明板によると、「日本三大ソテツの一つといわれる代表的巨樹である。寺伝によると平安時代の陰陽学者安部晴明が中国から995年、持ち帰って植えたといわれている。また、徳川家康の所望により駿府城に移植されたが、能満寺に帰りたいと夜な夜な泣いたので哀れに思った家康は再び能満寺に戻したという伝説もある。」
案内板には、「高さ約6メートル、根元の周囲約5メートル、五本の大枝に分かれ、最も太い枝は周囲約2メートルで、東西約8メートル、南北約11メートルで、約50平方メートルの面積に広がっている雄株である。」とあった。
上記伝説通りならば、樹齢は1000年になる。大正13年12月9日、国指定の天然記念物である。
左手奥から、自分と同年配の老夫婦が大ソテツの前にやって来て、「50年ぶりです」という。何でもこの近くの出身で子供の頃から親しんできたソテツだけれども、こゝを離れてからは来ることがなかったという。「遠くから来られたのですか」と聞くと、「勝俣」だという。隣り町である。「そんなものなんですね」そういう自分も25年ぶりである。50年ぶりと、25年ぶりが、このソテツの前で出合う確率は、天文学的な数字になるだろう。
読書:「総力 聡四郎巡検譚 6」 上田秀人 著
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