goo

朝鮮通信使来朝御役について - 掛川古文書解読講座

(長命杉と桜 - 第2番極楽寺、
しばらくは、お遍路で撮った写真から載せる。)

昨日、掛川の古文書講座へ出席した。もう4年目になる。5月にあった第1回には参加できず、昨日は第2回目であった。扱った文書は朝鮮通信使が東海道を通るに際し、人馬の御役について過去の実績を述べ、各村々の平等な割付を求めた文書である。(但し、提出元の控え)さっそく、解読した読み下し文を示す。

恐れながら書付をもって願い上げ奉り候御事

一 来たる辰年、朝鮮人来朝に付、村々庄屋ども浜松宿へ罷り出で候様に、先だって、仰せ付けられ畏まり奉り候、然るところに近年助郷村々困窮に及び、
馬数御座なく高百石に壱疋までも所持仕らず罷り在り候、万一正徳年中の通り、御割付の人馬、仰せ付けられ候ては、不足馬雇い立て候儀も、相調いかね申すべく存じ奉り候、殊に御大切なる御役の儀、恐れ入り奉り候、助郷村方の儀は平日往還御役相勤め、難儀仕り罷りあり候、これにより朝鮮人御役の儀、国中に相勤めざる村方も御座あるべく存じ奉り候あいだ、御吟味の上、仰せ付けられ下し置かれ候わば、有難く存じ奉り候御事

一 享保四亥年、朝鮮人来朝の節は通し人馬御請負に仰せ付けられ候、この度の儀も御請負の者御座候わば、右享保年中の通り、通し人馬にて相勤め候様に、仰せ付けられ下し置かれ候わば、助郷一同御救いの筋と有難く存じ奉るべく候御事

一 享保九辰年、長谷川庄五郎様東海道筋人馬勤め方御吟味のため、御通り遊ばされ候節、定助大助打込み、隔年に御定め仰せ付かれ、右辰年以来、隔年に相勤め候、これによりこの度、朝鮮人御役の儀、右助郷村々半高をもって相勤め候ように、恐れながら存じ奉り候、この段、聞こし召し分けさせられ、下し置かれ候ように、願い上げ奉り候御事

右願い上げ奉り候趣、聞こし召し分けさせられ、恐れながら御慈悲の御意仰ぎ奉り候、以上
  延享四丁卯年六月 先年大助郷二十八ヶ村
              庄屋名印


東海道の周りの村々には、東海道の通行を補助するために人馬を出す助郷という御役が課せられた。助郷には常時お役に就く定助(郷)と大きな通行があったときのみ臨時でお役に就く大助(郷)があったが、御役が割り付けられない村もあったり、その割付について度々不公平の是正を求める嘆願書が出された。

享保九年、長谷川庄五郎という役人が来て、掛川宿の実情を調査した。当時、定助が20ヶ村、5,604石、大助が28ヶ村、11,607石であった。定助、大助の区別を無くし、すべてを一緒にして(打込)「助郷」1本にまとめ、46ヶ村、16,771石で、隔年の御役ととするように、負担の公平を図り、負担の重い村の軽減を行った。(2村減ったのは、五明と栃沢が掛川宿から日坂宿の御役に移されたため)今回の朝鮮通信使の通行は、その改定後初めてのものだったと思われる。

村役人が役所へ提出する書類をたくさん見ていると、表現こそへりくだったものであるが、村側の主張をしっかりと述べていることに気付く。長いものには巻かれよという、諦めた態度は全く見えない。駄目元でも言ってみるという、図太さがあって面白い。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 5月20日、... 5月23日、... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。