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百姓が名主を訴えた(前) - 古文書に親しむ

(11月13日、軍神社境内)

江戸時代、名主、組頭、百姓代の村役人は、小前百姓たちが推薦した者に、お上が仰せ付ける形になっていて、代々勤める家も多かったが、決して世襲というわけではなかった。以下は、そういう名主を百姓たちが訴える話である。揉め事がどのような推移で訴訟にまで発展したのか、少し長くなるが、前、後半に別けて取り上げる。読み下し文で示す。

恐れながら書付をもって願い上げ奉り候
一 御領分北沼上村、小前惣代申し上げ奉り候、
発端の儀は北沼上村持林壱枚、長尾村次郎吉へ売渡し置き候処、この度、善右衛門義、小前へは申すに及ばず、同役中へも談じこれ無く、一人了簡に任せ、山論入用金として三両、次郎吉へ当て付け候処、同人義は右出金などは出来難く候故、是非なく、地所代金三両、これを請取り、右地所、善右衛門方へ相戻し候
※ 入用金(にゅうようきん)- その用に必要な金銭。費用。
※ 当付(あてつける)- あてがう。割り当てる。


致し方宜しからず、これにより村方小前には、善右衛門方へ参り、相対に懸け合い候は、長尾村次郎吉より相戻され候地所の儀、小前は申すに及ばず、同役
中へも、一向噺(はなし)これ無き儀、一円承りたき段、申し掛け候処、その利に相詰り、善右衛門、答え候は、村方不承知に候わば致し方これ無し、如何様とも勝手に致すべしと、申され候、これをもって右地所村方へ差し出し候様、仰せ付けられ候様、願い上げ奉り候

または村方山論入用の儀も、三四ヶ年の間、村方より出金と諸入用金高、差引のための仕訳なども、今もって差引なく致し置き候に付、村方小前より、度々右の仕訳致しくれ候様、相頼み候えども、これをもって一向取り用いこれ無く等閑(なおざり)に致し置き候間、右様の儀も明白に致すべき様、願い上げ奉り候

一 当村、字御嶽ヶ谷窪、先年より芝地これ有り候処、隣村南沼上村甚左衛門と申す者、この度、開発仕りたき旨、当村清左衛門相頼まれ、右両人にて、村方へ申し出候に付、一統相談の上、承知仕り、已来、甚左衛門開発致すべき積りにて、書面壱札、世話人へ取り置き申し候、もっとも鍬下三ヶ年過ぎ候わば、作米として六升ずつ、三四ヶ年相納め、その後より米壱斗ずつ納め来り候処、右、善右衛門儀は、御上納仕らず、または村方へも差し出し申さず、今もって自分へ取り込み置き候
※ 鍬下(くわした)- 荒地を切り開いて田畑にするまでの期間。
※ 作米(さくまい)- 年貢米


これにより、以来は、村方より御見取り納め仕りたき心得に御座候ゆえ、この段書面の通り、郷地にて御見、取箇、御上納、仰せ付けられ下し置かれ候の様、願い上げ奉り候
※ 見取(みとり)- 江戸時代、やせた土地や開発後間もない新田などで収穫が不安定な場合、石高をつけずに、坪刈りをして納米高を決めたこと。
※ 取箇(とりか)- 江戸時代に幕府または各領主が田畑に課した年貢。

(後半に続く)
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