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初回の記憶をたどって歩く

(おばあちゃんたちの接待所)

前回は薬王寺から宍喰まで歩いたが、今回はその手前、海陽町の海部に宿を取ったので、少し余裕があった。

昨夕、打つつもりの薬王寺を朝一番に打って、納経所は目の前で開けてくれ、今朝のかわ切りであった。奥の院のことを聞くと近道を説明しかけたので、今回は行かないからと断った。次の最御崎寺まで80kmある話になり、自転車のレンタルで向こうに乗り捨てが出来る仕組みがあれば良いがと思い付きを話す。若い坊さんは否定はしなかった。

立ち寄ったコンビニの主人が店の周りで箒を使っていた。裏の山の斜面に階段を付けて、津波時の避難路が作られていた。その入り口には非常時には蹴破るように書かれて、扉が閉まっていた。津波の避難所ですかと聞くと、最近出来たばかりでと、行政が作ったようだ。そこでもレンタサイクルの話をすると、お遍路をしてみないと出てこないアイデアですね、と参考になったような、なら無いような顔をしていた。

どの辺りまで歩いたところだったか、後でよく調べてみないと判らないが、「元気なおばあちゃんたちおしゃべり広場」と名付けた、お遍路さん接待所があった。前回も気付いたが、誰も居なかった。今日も誰も居ないと思い、500メートル上の山から引いたという水を使わせてもらっていると、おばあちゃんが一人やってきて、接待所の戸を開け、お接待と缶緑茶とお菓子を持ってきてくれた。聞けば、おばあちゃんたち二人がお遍路さんの接待をしたいと思いつき、最初は小さな小屋を、そのうち水車までつけた家を建ててもらった。水車では実際に米がつけるようになっているという。そのうち、おばあちゃんたちのたまり場となり、お遍路さんの世話をしながら、皆んなでがやがややっているという。

次に、牟岐の接待所にも寄った。3年前は80人の人が当番でやっていたが、今は人数も半減し、春と秋、それも午後2時まで、木曜日は休みと負担を減らして続けているという。そこへもう一人若い女性が呼び込まれた。はじめの頃、安楽寺宿坊の食堂で見た女性だった。その後、若い女性二人連れで見かけたがと聞くと、連れは薬王寺で区切って帰った。自分は最後まで歩く予定だという。彼女も2ヶ月の予定でゆっくり歩いている。ちなみに今夜は鯖大師泊まりだと言う。予定が同じ2ヶ月だから、またどこかで出会うことになるかもしれないね、と先に接待所を発った。その女性は、鯖大師前の鯖瀬大福食堂でうどんを食べ終えたところに、追いついてきた。鯖大師宿坊へ泊まる彼女を残して先へ進んだ。


(お遍路さんを見送る珈琲店女店主)

海陽町に入り、JR牟岐線淺川駅を右手に見て通り過ぎた先に、コーヒーショップふくなかがある。前回鯖瀬大福食堂が休みで、空き腹を抱えて入ったコーヒー店で、カレーライスを頂き、歓待された。今はうどんを食べたばかりで、カレーライスというわけにはいかないが、アイスコーヒーでも飲もうと思っていると、かの女店主が手にイチゴを一つ持って飛び出してきて、お接待!と差し出す。一瞬何が起きたのか、判らずに立ち止まり、この女性だと思い出した。3年前の話をして、今日は立ち寄ったと話す。この女性、本当にお遍路さんが好きなようで、聞いていくと、お遍路さんから居ながらにして日本中の話が聞けて楽しいという。小豆餅をお接待してくれ、発つときは前回同様、しっかりと外で見送ってくれた。

今夜の泊りは、みなみ旅館で、歩き遍路3人が客である。聞けば明日も同じ宿だと判り、同宿のお遍路さんの話は明日書こうと思う。
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