平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
再びの巨木巡礼 21 海福寺いちょうの木
海福寺と、いちょうの木
9月13日、相良の根上りマツの巡礼の後、御前崎市の巨木を巡るつもりであったが、すでに時刻が1時半を過ぎていたので、御前崎のなぶら館に行った。食事処はどこも9月末まで休業の張り紙が張られて、一ヶ所だけしか開いていなかった。そこも、窓からのぞくと、満席にちかくて、とても入る勇気がなかった。結果、近くのコンビニでおにぎりを買って、車中で昼食を済ませた。
六本目の巨木は、御前崎市御前崎4434 海福寺の境内にある「いちょうの木」である。カーナビに導かれて、台地上の御前崎の町へ急坂を登った。登りきったすぐ右に、海福寺の広い駐車場があった。
海福寺いちょうの木(静岡県の巨木153/№16)
平成8年10月6日「巨木巡礼」時の海福寺いちょうの木
いちょうの木は本堂前の参道左側に少し斜めに傾いて立っていた。
「巨木巡礼」(1996 .10.6)には次のように記している。
御前崎町役場の近くに海福寺はあった。新しい鉄筋コンクリート製の本堂前、狭い境内を塞ぐようにその銀杏はあった。狭い境内のため、太い幹の割に枝をこじんまりと切られて窮屈そうであった。
主幹が10メートルほどの所で、すっぱりと切られている様子が分かった。「巨木巡礼」当時の写真を見るに、その時も、主幹はすでに縮められていたようだ。本堂の新築時にでも、じゃまになったのだろうか。
このイチョウは雌株で、上部にわずかに伸ばした枝に、ぎんなんが黄色くなっていた。上からは乳垂れが幾つか下り、根元からは太いひこばえが何本も出ていた。
御前崎市のHPなどによると、樹齢は200年ほどで、幹周囲3.8メートル、樹高13メートル、昭和48年10月18日、御前崎市の天然記念物に指定されている。
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夕方、女房と散歩、ところがマスクを忘れた。今更、取りに戻る気にはなれなくて、今日は人通りの少ない土手を、誰にも会わないように願いながら歩いた。幸い最後まで誰にも会わなかった。しかし、この時間に誰も散歩してないなんて、まるで限界集落のようだ。そういえば、この頃は土手の草も伸び放題、放置田畑もだんだん増えて行く気がする。
読書:「雪見酒 知らぬが半兵衛手控帖 11」 藤井邦夫 著
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