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「壺石文」 下 11 (旧)一月十七日

(散歩道のノカンゾウ)

一昨日(カサブランカ)、昨日(オノユリ)と比べて、何と惨めな花の形だろう。咲き初めからすでに紙くずを丸めたような形状である。まあこれでも子孫を残すために虫を呼び寄せるには十分なのだろう。


午後、「古文書に親しむ(経験者)」講座に出かけた。教材は「市野村出入の一件」、後日、機会を見つけて、この場で紹介してみたいと思う。

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「壺石文 下」の解読を続ける。

十七日暁、雪景色ばかり降りて、空晴れたり。

   一入(ひとしお)の 色勝りけり 松島や
        八十島掛けて 雪の降れゝば


煙吹きつゝ、雄島わたりを佇(ただず)み歩きて、

   雄島方 雪に籠りて 法(のり)の間の
        仏を祈る 声あわれなり


坐禅堂と云うもありとこそ。五大堂に詣でて見やるに、色々の水鳥数多、遠近(おちこち)に群れ居て魚を食う。
※ 五大堂(ごだいどう)- 景勝地松島にある仏堂。臨済宗妙心寺派の寺院・瑞巌寺の所属。

  白砂に 深雪(みゆき)積もれる 松島の
        浦路も
(せ)に 集(すだ)く水鳥
※ 塞ぐ(せく)- 流れをさえぎってとめる。せき止める。

日出て後、殿守の男(おのこ)、いざさせ給えとて、殿に案内(あない)す。深く閉ざしたりけるを、鍵もてそゝくりあえて、よう/\に見す。やゝ深く入りて見巡らすに、あてやかに、高やかに、麗しう作りなしたり。
※ あてやかに(貴やかに)- 上品に。優雅に。

観瀾亭という額は佐々木ノ文山と云える博士(先生)の物せしなりとぞ云うなる。このものはしも、故豊臣太閤の覧(ろう)じ給えりける、伏見なる桃山のなりけるを、故陸奥の守政宗公の乞い得て、こゝにさながら引き移して建てさせ給えるなりけりとぞ。
※ 観瀾亭(かんらんてい)- 文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを、二代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したもの。
※ 佐々木ノ文山(ささきのぶんざん)- 江戸時代 前期~中期の書家。唐様や朝鮮系の書体を得意とした。江戸にすみ、榎本其角らとまじわり、風流人としても知られた。
※ しも - 上の語を特に取り立てて強調する意を表す。それこそ…も。…もまあ。
※ さながら - そのまま。もとのまま。


   槙柱 (あかし)伏見の 桃山の
        春や昔の 物語りせよ

※ 槙柱(まきばしら)- 真木柱。桧や杉で作った柱。
※ 証(あかし)- 確かな根拠に基づいて事実を明らかにする。


   雲居より 月見ヶ崎に 移り来て
        あわれ幾世の 秋が経ぬらん

※ 雲居(くもい)- はるかに離れた所。
※ 月見ヶ崎(つきみがさき)- 松島の観瀾亭が移築された場所。
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