平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「駿府御城代々記」を読む 3
裏の畑の柿の木の下で、アカトンボと遊ぶ
指先に止まるものかと思ったが、案外簡単に止まって、
右手だけでピントを合わせて撮った。
明日の2講座の準備は、昨日の内に終わっていた。
午前中、掛川の孫二人が娘と来た。二階の片付けだという。昼はソーメンをゆでて馳走した。6年の次男の食欲旺盛なことに驚かされた。
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「駿府御城代々記」の解読を続ける。
「駿府御城代々記」の解読を続ける。
範氏の弟
今川伊予守貞世 正光寺殿と号。
国範の次男なり。入道して了俊と云う。足利連枝の末
葉故に、三代将軍義満公より筑豊探題に補せらる。
※ 筑豊探題(ちくほうたんだい)➜ 九州探題のこと。
予州に在城して、應安五年廿五歳にて辞退す。伊
予守、または左衛門佐とも云う。
今川上総介泰範
長慶寺殿四品前駿州別駕天山高公と号す。
九月二十四日
泰範の男
今川上総介範政 民部太夫とも、または駿河守とも云う。
遙廣寺殿四品駿州別駕真仁全大禅定門
九月二十四日
今川上総介範忠 治部太夫とも云う。
金林院殿四品駿州別駕遠堂駕公大禅定門
今川上総助義忠
長保寺殿四品前駿州別駕桂山昌大禅定門
四月六日
今川修理太夫氏親 初め龍王丸、また上総介とも云う。
母は伊勢新九郎氏茂の娘なり。北川殿と云う。
※ 北川殿は伊勢新九郎盛時の姉。伊勢盛定の娘。
駿遠参三ヶ国を領す。
増善寺殿四品駿河守高山信公大禅定門
(つづく)
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