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地震取調集 その6 - 古文書に親しむ

(ヒガンバナが咲き出した
三日前には花穂を出しただけであった)

朝から区の敬老会に夫婦して手伝いに出る。会場の準備、記念品の準備、食事の準備、会場の片付けが仕事である。会場では市長が見えて挨拶をされたようだ。75歳以上のお年寄りが10万人の人口の島田市に1万4千人という。市から出る予算は一人当たり900円、掛け算すれば、市全体で1260万円の予算は多いというべきか、少ないというべきか。区はその予算で食事と記念品を賄う。アトラクションで、琴、日本舞踊、川越し太鼓の出し物が有り、1時過ぎに終った。

待ち時間に他の班の班長さんと、これからお年よりはどんどん増えるだろう、昔と比べて最近のお年よりは皆んな元気が良くてよい、もっとも介護が必要な人は出て来れないだろうけれど、などと話した。出席者は80人ほど、市から貰った名簿の6割くらいの出席らしい。

昨日に続いて「地震取調集」の解読より。

安政二乙卯年七月廿六日、右の大風に付、田方粒の早稲方は実入りよく、続き中稲は最早満々たるすず花を懸たる最中の時刻にて、大風に打ち払われば、追々日増し、粒毛黒粒に見え、多くのみのり甚だ悪しき合毛の所、二、三割と引き在り、なおまた晩稲の分はしけ(時化)後より追々すず花をかけ、ひとしお見事なる事、豊収と相見え候事
※ 毛(もう)- いね、むぎなどの実り。

一 末筆に誌し、今般大地震に付、上方辺、中国より西国、九州、四国辺、大荒れ、崩落または浦々海辺(に)付ては颶(つなみ)押し揚り、その国々に寄せ、一円海中へ押出され、家地など申すに及ばず、数多の男女など溺死候由、また数万人、滅死の数知らず、人の風聞にてあらまし左に書す


前段では、地震の直接の被害ではなさそうだが、地震翌年の打ち続く風水害によって稲の作柄がどうであったかを記している。自分が注目するのは、早稲、中稲、晩稲と稲を植え分けて、危険分散をはかっていることである。早稲、中稲で被害を受けたが、晩稲では豊収となり、危険分散の効果が出ていると思った。

後段では、上方から西の地方の様子を、伝聞資料であらましをこの後に記すと書いているが、その部分は欠落している。元々書かれなかったのか、書き写した人が必要と思わずに割愛したのか、不明である。この後には、大石氏の個人の被害状況が記されている。(次回)
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