心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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奇跡体験!アンビリーバボーを見ました

2015年10月03日 | ほんのすこし
録画していた番組の中に「奇跡体験!アンビリーバボー」があった。3時間もの長い番組だったが、午前中何かをしながら見てもいいだろうなんて軽い気分でつけてみた。
三話構成だったが、最後の実話。

死の海を救え!~人生の決断~
海上保安庁に勤める田尻さんという方のお話。
いち公務員として立ち向かうには困難なほどの巨悪に敢然と諦めないで突き進んでいく決意をしたのには、以前味わった死の瀬戸際でのことを思い出したからだという。…奇跡的に助かった時、「今度死ぬ時、あの思いを味わいたくない。これからは自分思ったことを誠実に実行していこう」 そう心に決めたのだ…
あの思いとは、これまでの人生で情熱をかけたことがなかったということだった。
ただ密漁者を逮捕してきたが、なぜ密漁しなければならないのかという彼らの背景にあるものに目を向けてこなかった、そこには田尻が想像もしてこなかった事実が隠れていたのだということを知る。
田尻に現実を見つめさせるきっかけを与えてくれた漁師たち。
会社が追い詰められ自分の生活も苦しくなるのがわかっていて、田尻に会社を密告した者。「絶対後悔するときが来ると思ったから」だと田尻に言う。
田尻たちが、起訴に踏み切るだけの調査資料を集めるのに四苦八苦し、もう無理なのではないか?と思いかけた時にそっと社内の情報を伝えてくれた社員。
色々な人が田尻のために動いてくれた。
何よりも、田尻の部下たち・妻が彼のために支えてくれた姿に思わず引き込まれてしまった。

二時間ドラマを見ているような、いやそれ以上のインパクトがわたしにはあった。フィクションよりノンフィクションが素晴らしいこともある。田尻の打たれても打たれても最後まであきらめずに、四日市市の海に魚が戻ることを願って止まない姿、最後は国会にまで広げていく。自分の立場が危うくなること、身の保身などちっとも構わなかった。
日本で最初の公害企業に対する責任を問う裁判は9年間にも及んだ。裁判に田尻が参加することは認められなかったが、彼が行ったことはしっかりと周りの人々に伝わっていた。彼が四日市市を去り、次の勤務地へ行くとき送別会を開いてくれたのは、かつて田尻が密漁で捕まえた漁師たちだった。

詳しい内容はリンク先を読んでくださるとわかります。

…田尻は日本全国で多くの講演活動を行い、1つのことを訴え続けた。 「人間、必死になって立ち上がったらね、1人でも2人でも何かが変わる。」…

必死さという言葉、そこにあるのは何かを決心した者のしぶとく強い精神だ。彼が死を目の前にして感じたことが、その後の自分の人生を決めたように、人はあることをきっかけに変わることができるし、変えようと思うことができるのだ。
生きた証として、何かをやり遂げる。決してそれは大それたことでなくてもいいのだ。自分が誰かのために何かのために一生懸命になること、それが証となって残るのだと感じた。はたしてわたしは? と思った。
はたしてわたしの行く末は?  情熱を持って向かっていっているのか?
番組を見終えて、やるべきことの見つからない自分ではないかと考え込んでしまった。