心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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大村智さん、おめでとうございます。

2015年10月06日 | ほんのすこし
夕べすごくすごく眠くなって、わたしとしては非常に珍しく、10時過ぎにベッドに入ることになりました。
そのとき、スマホの画面がなんだかちらちらしているので、眠たい気分のまま開いてみました。すると、速報?なのかな、ニュースのタイトルが。
「大野智、ノーベル賞医学・生理学賞受賞」
えっ!
一瞬、目が覚めてしまいました。

大野智って、まさかまさか嵐の大野くん?
今度は目を凝らして見てみましたよ。
そんなあり得ないことを一瞬でも考えたわたしが浅はかでした。
一時違いとはいえ、大野くんと似て非なる科学者の大村さんでした。しかも大村さんの人柄が全くもって素晴らしい。
大野くんファンのわたしですが、ちょっとでも似ている名前だということにひとりほくそ笑みながらスマホの画面を見ていました。

今朝から、ノーベル賞の話題でテレビはかしましいです。
でも、嬉しいです。
なんといっても、大村さんの受け答えや生きざまにひきつけられてしまうからです。科学に目覚める、本腰を入れて勉強しようと思うのが、定時制高校の教師で触れた生徒たちの勤勉さだったというところにも驚きます。また、美術館や温泉施設など地域のために役立てる道を選ぶということ、多くの人を救うために研究している姿勢と重なるところがあるなあと感じます。
誠実な人柄がとても気持ちよく、テレビを見ていてこちらも気持ちが良くなりました。
ごめんなさい、大野くんと間違えるなんて……って、ちょっとテレビの大村さんに向かって頭を下げていました。

それにしても、日本人のノーベル賞受賞が近年続きますね。
素晴らしいことだと思います。
大村さんが言っていました。
「成功の陰には失敗が数多くあります。一度や二度の失敗で諦めずに6回7回と続けていけば、うまくいくときが出てきます」と。
簡単に諦めてはいけないのですね。一度だめだったからといって、すぐ諦めてしまう私には胸に痛い言葉です。人間、打たれ強くなければね。
大村さんは農家であったため、勉学よりも農作業へと駆り出されていたとか。そしてスキーに夢中になったり。青春時代が科学の道一辺倒でなかったということもまた今の大村さんの礎になっているのかなとも思います。
何がきっかけで科学に進むかわからないものですが、大村さんの求めていたものが「これだ!」と思った瞬間があったのでしょうね。
ガツガツした印象のない柔和な姿に、奥さまが長年支えて研究に邁進させてくれた結果として今があるという思いがにじみ出ている気がしました。

本当におめでとうございます、大村智さん!(間違えてすみません、大野君にもごめんなさい)

今朝、いつも購読しているメールマガジンに大村智さんのインタビューが紹介されていましたので、転載したいと思います。

※※※
2012年5月号『致知』掲載抜粋
──大村さんの開発された薬によって世界で2億5,000万人もの人が病気から救われているそうですね。

それは「イベルメクチン」といって、もともとはメルク社(米)と共同で家畜やペットの寄生虫病の特効薬として開発して、世界中で使われているものです。それが人間の病気にも使えることが分かりWHOが注目したのです。
例えば疥癬(かいせん)といって老人ホームなどに多い皮膚病がありましてね。患者さんからすぐ看護師さんにも観戦してなかなか治らないんですが、この薬を一回飲むだけでピタッと治るんです。皮膚科領域の革命だといわれています。この薬によって、熱帯地方によくあるオンコセルカ症という目が見えなくなる病気や、リンパ系フィラリア症といって脚が象みたいに太くなる病気がほとんど感染しなくなって、WHOも2020年には撲滅できると発表しました。

──大変なご努力の賜物でしょう。

研究そのものはそんなに難しくはないのですが、何を考えて取り組むかということが大事です。そういう意味で僕は、人があまり考えないことで世の中の役に立つのが自分の使命だと思い、人がやっていないようなことに絶えず挑戦してきました。
このイベルメクチンも、我われが発見した世界で唯一の微生物がつくる化合物から開発した薬です。
これ以外にも創薬に結びつく化合物を含む新たな460種類の化合物を発見するなど、世界で最初に手掛けた研究が多数あります。
とにかく僕が携わっている化学や微生物の分野では、創造性が大事で人真似は絶対にダメ。
もちろん学問ですから先人の業績を勉強することは大事です。
だけどそこから一歩先んじようという気概がなければなりません。
若い研究者にもいつも言うんです。
新しいことをやりなさい、そうすると人を超えられるんだよと。
人真似ではどんなによくてもその真似をした人のレベル止まりです。

失敗を恐れず、新しいこと、人がやらないことに挑戦してこそ人を超えるチャンスを掴めるんです。
(略)
何かを成そうという時には、ネックになることがいろいろあるものです。
だからダメではなく、高い山を乗り越えて初めて物事は成せるんです。

お金がなければいかにお金を集めてくるか、人がいなければいかに育て、活用するか。
与えられた場で自分の役割を果たすことは大事です。
しかしただその場に甘んじているのではなく、そこを乗り越えて、自分でなければできないところを見せなければいけないと思います。
そういう気概で歩んできた結果、化学者としては一流でも二流でもない僕が、一流の化学者以上の実績を積み上げることができました。

先年、102歳で大往生された松原泰道ご老師に僕は大変懇意にしていただいていました。そのご老師からいただいた「生ききる」という色紙が自宅の仏間に飾ってあります。
僕はこれからいよいよこの「生ききる」を実践していきたい。

後進を育て、独自の新薬の開発を通じて社会に貢献していきたいですね。

※※※

2012年のインタビューですが、それから3年後の今、ノーベル賞受賞。大村さんの中には一貫として強い思いがあるのですね。