心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ぼぉ~っとしていた日

2015年10月27日 | ほんのすこし
ちょっとぼぉ~っとしている。
ちょっとどころか、ずっとぼぉ~っと時間を過ごしてしまった。
こういうときは後で必ず後悔する。あぁもったいないと。
読みかけの本の続きを読んでもよかったでしょ?ドラマを見ても良かったでしょ?
せっかく買った毛糸、編み始めても良かったでしょ?
台所の片付けをもう少し丁寧にしたらどうなのよ?
あぁ考えればあれもこれもやれたはずなのに、無駄に時間を過ごしてしまったと、自分を責める。

でもね、多分、時間を元に戻してもやれたはずのことはやらないで終わる気がする。

だって今日はそんな日。
なんにもしたくない。
好きなことさえしたくない。
ただぼぉ~っとしていたい。
そう、きっとそうなんだ。

……

あ~!!しまった!
ぼぉ~っとしていたから、見ようと思っていたドラマを録画設定するのを忘れていた!
なんで予約していなかったんだろ。
やっぱり今日はそんな日だったんだ。
ぼぉ~っとしているわたしに軽くジャブが入ってコテンとずっこけたって感じかなあ。

寒くなると

2015年10月27日 | ほんのすこし
ここ数年飲むことから遠ざかっていたココアです。
前は冬になると缶のバンホーテンを買ってきて飲んだものです。ココア、ホットチョコレート、どう違うのかな。それが美味しいと感じたのは、学生の頃見つけた喫茶店です。
丁寧に仕上げていれてくれるココア、店中にちょっと甘い匂いが漂うのがとても好きでした。今はもうそのココアを出していないようですが(いや、注文していないだけで注文したら作ってくれるのかな)。

そこで飲んだ味が忘れられず、バンホーテンという名前をしっかり胸に刻んでスーパーに行ったものです。そこで見つけて自分なりに淹れてみたのですが、なかなかお店で飲んだ味にはなりませんでした。それでも寒い冬にマグカップに淹れたココアはとても温かくてほんわかするものでした。

そんなココアの存在をここ数年すっかり忘れていました。珈琲は何杯も飲むのに、そのほかの物はほとんど飲まなくなっていました。それが、月曜日に母を病院に連れていったとき、採血結果を待つ間かなり時間があったので、ココアを買いました。カップに淹れる自販機からです。
熱いので時間が経ったら母さんにも飲ませるからねと言ったのですが、なかなか熱さが消えず。その間、ちびちびと飲んでいるうちにとうとう全部飲んでしまいました(笑)
まぁ母ははなから飲むつもりなんかなかったようですが。
そのとき、久しぶりにココアを飲んでみて、あっ寒いときってこういうものもいいもんだなと思ったわけです。

その気持ちが湧きあがることを予想していたのか、わたしは先週の生協宅配注文にこのバンホーテンのバラエティパックを注文していたのでした。そのことをすっかり忘れていて、今日届いた品物を開けてみて、最初はロイズのポテトチョコのパッケージだとばかり思っていました。後で明細書を見て、あれれ?と。ほんとにおっちょこちょいのわたしです。早速開けてみました。

中身は4種類。


この中のカフェモカを今日は飲んでみました。まあこんな感じかな。

やっぱり昔お店で飲んだ濃厚な感じとは違っていました。でもこれも淹れ方次第で違ってくるのかもしれません。
カロリー四分の一というのがとても気になりますが。できれば全部四分の一で作ってほしいくらいです(笑)
さて、明日はどれにしようっかな♪


浅漬けしか作れない

2015年10月27日 | ほんのすこし
今朝、5時過ぎに起き出して。
昨日は買ったのに出来なかった浅漬けを作る。白カブと大きめのラディッシュは大欠産(ここのが美味しい)、キュウリとセロリ。セロリが安かったのでこれも漬けたらどうかなと思って。
そして同時に買ってきた芽かぶ茶。



これを一緒に入れて、塩はいつもより少なめに。芽かぶ茶に塩気があるので少量の塩で大丈夫。
さっき冷蔵庫から出してつまんでみたら、良い感じに仕上がっていた。セロリもいいね、浅漬けに入れても。

この芽かぶ茶、お吸い物代わりにもなると言われた。刻み葱を入れてお湯をかけるだけでいいのだそうだ。体にもとてもいいらしい。まあ塩分の取り過ぎに注意して使うのがいいだろうけど。最後に残った芽かぶを食べたり、刻んで何かに使ったり。
寒い季節にはこうした物が増えていきそうな予感のする、寒さ続きのこの頃。

わたしは本格的な漬物を作ったことがない。
沢庵やぬか漬けなど食べることはあっても漬けるなどというだいそれたことに挑もうと思ったことすら無いのだ。母はとても漬物作りが上手だった。今も健康だったら作っていただろうなと思う。樽一杯に大根をつけていたり、白菜づけを作っていたり。どれも美味しかった記憶がある。
そんな母が作らなくなったのは、リュウマチを発症してから数年たってからだろう。漬物の好きな父のために作れなくなったことは、母にとって寂しいものがあっただろう。
物置に行くと、これで作っていたんだなぁと想像できる樽や大きな桶が置いてある。今では中身を入れなくてもその桶や樽さえも持ち上げることができない母。
作らないのであれば必要のない樽や桶なのに、捨てることはできない。
そこに入っているのは、父との思い出という味付けのいらない最高の漬物なのだろう。

わたしがときどき父や弟のことを思い出したように話すと、母の目が遠くを見る。
わたしと一緒にいるはずだが、一瞬、母は父と暮らしたあの頃、弟と暮らしたあの頃にそれぞれ戻っているのだろうね。