12月 10日
奈良1人旅でした。その6
昨日からのつづき。
若草山から手向山八幡宮を通って東大寺三月堂そして二月堂。
このあたり、大仏殿からだと少し上り坂だし、離れているので、
団体客はそれほど来ないようでした。
東大寺二月堂
二月堂の上から
二月堂の下から
二月堂では通称「お水取り」正式名称は「修二会(しゅにえ)」が
行われますね。(来年は3月1日~ 2週間ほどのようです)
東大寺二月堂から大仏殿方面へ。風情のある道です。
土壁
道を下って大仏殿の横へ。
正面に回っていくと中門がありました。拝観入口から中へ入ると
目の前にドォ~ン!と大仏殿。
中門
来ましたぁ。出ましたぁ。ありましたぁ。
大仏殿。たぶん以前に2~3回来ています。
大仏殿には次々と修学旅行生
アタイも奈良と京都に修学旅行でしたが
なぁ~も記憶無し。
東大寺大仏
大仏も大仏殿も、初めに造られたときにはもっと大きかったそう
ですね。
何度も火災にあったりして、現在の大仏殿(正式名は金堂)は
江戸時代に再建されたものだそうです。(大仏は長らく野ざらし状態
だった)
「私も通れるかしら?」
「体を斜めにして対角線を使うのよぉ」
「上着を脱いでから入る」
「みんな脱いじゃえ」(笑)
よいしょ
柱の穴、助けてもらって
なんとか抜け出た
大仏殿 北側から
(正倉院側)
大仏殿の外、鹿が3頭連れで歩いていました。
病気になったり動けなくなった鹿は「奈良のシカ愛護会」(無粋な
幟を立てている会)が保護しているようです。
東大寺の中を歩く鹿
2頭目
大仏殿から正倉院へ。フォトグラファー(カメラマン)が
たくさんいましたね。太陽の位置と鹿と紅葉のジャストタイミングを
狙っているようでした。(太陽が昇り過ぎたのか、一斉に帰っていき
ましたよ)
正倉院案内看板
正倉院の周りは壁と柵です。なんだかものものしい雰囲気。
同じ東大寺境内とはいいながら、コッチの管理は宮内省ですからね。
外側(外構)しか見学できないんですが、公開は10時~15時です。
さすがお役所。(笑)
正倉院
左の松に隠れて係員
東大寺近くの小学校
門にあった看板。なるほどぉ
このつづきは明日へ。(^_^)/
奈良1人旅でした。その6
昨日からのつづき。
若草山から手向山八幡宮を通って東大寺三月堂そして二月堂。
このあたり、大仏殿からだと少し上り坂だし、離れているので、
団体客はそれほど来ないようでした。
東大寺二月堂
二月堂の上から
二月堂の下から
二月堂では通称「お水取り」正式名称は「修二会(しゅにえ)」が
行われますね。(来年は3月1日~ 2週間ほどのようです)
東大寺二月堂から大仏殿方面へ。風情のある道です。
土壁
道を下って大仏殿の横へ。
正面に回っていくと中門がありました。拝観入口から中へ入ると
目の前にドォ~ン!と大仏殿。
中門
来ましたぁ。出ましたぁ。ありましたぁ。
大仏殿。たぶん以前に2~3回来ています。
大仏殿には次々と修学旅行生
アタイも奈良と京都に修学旅行でしたが
なぁ~も記憶無し。
東大寺大仏
大仏も大仏殿も、初めに造られたときにはもっと大きかったそう
ですね。
何度も火災にあったりして、現在の大仏殿(正式名は金堂)は
江戸時代に再建されたものだそうです。(大仏は長らく野ざらし状態
だった)
「私も通れるかしら?」
「体を斜めにして対角線を使うのよぉ」
「上着を脱いでから入る」
「みんな脱いじゃえ」(笑)
よいしょ
柱の穴、助けてもらって
なんとか抜け出た
大仏殿 北側から
(正倉院側)
大仏殿の外、鹿が3頭連れで歩いていました。
病気になったり動けなくなった鹿は「奈良のシカ愛護会」(無粋な
幟を立てている会)が保護しているようです。
東大寺の中を歩く鹿
2頭目
大仏殿から正倉院へ。フォトグラファー(カメラマン)が
たくさんいましたね。太陽の位置と鹿と紅葉のジャストタイミングを
狙っているようでした。(太陽が昇り過ぎたのか、一斉に帰っていき
ましたよ)
正倉院案内看板
正倉院の周りは壁と柵です。なんだかものものしい雰囲気。
同じ東大寺境内とはいいながら、コッチの管理は宮内省ですからね。
外側(外構)しか見学できないんですが、公開は10時~15時です。
さすがお役所。(笑)
正倉院
左の松に隠れて係員
東大寺近くの小学校
門にあった看板。なるほどぉ
このつづきは明日へ。(^_^)/