ざっくばらんなさんぽみち

お茶農家としての生活、プライベート、趣味(?)のバイクやカメラをおりまぜた、とってもざっくばらんなブログであります。

今更ながら・・・そして、ありがとう。

2010年04月26日 23時22分46秒 | ざっくばらんなこと
こんにちは。
今更ながら・・・思いだすことがある。
あるお茶の互評会(生産者等が互いのお茶を見比べる会)でのこと。
『お腹壊すようなお茶はないよね。夕飯が食べられなくなっちゃうよ。』
『フレーバーティーとかどこがいいのか、わからん。』
なんて、お茶を見たり、会話の中で、生産者である僕たちに審査する人間が言った。
その時、僕は日頃、試しに作っている紅茶なんかをみんなに見てもらおうと思ったのに・・・見せる気も無くなった。

僕としては、思い思いのお茶を生産者が持ち寄り、他の人のお茶を見る・・・それだけで良いと思いました。

消費者の嗜好を考えない専門家の話なんか要らないよと思ってしまった。
世の中のお茶がみんな同じお茶じゃつまらないでしょう。


お茶を見る上で基準とされる、品評会のお茶というのは・・・確かに最高の品質だったり、細心の技術の賜物だと思います。でも、それがあれば最高ってワケじゃないと思います。
イチゴだったら、イチゴ狩りのイチゴが凄く美味しいって感じるかもしれないし。お茶だったら、農家の庭先で飲むお茶だったり。友達と家で飲むお茶だったり。お店で、心地よい雰囲気のなか飲むお茶だったり。
なんというか、言い表せづらいものなんですね。


これから、直接、消費者のみなさんに、お茶を売るなかで大切なのは、消費者の方が“おいしい”と思ってくれるもの。そして、作っている人間の“人柄”。だと思うのですが・・・。

その互評会では、指導機関の人間が人(工場の規模や過去の品評会入賞歴など)を見てものを言う感じだった。『やっぱ、○○さんちのは、ちがうんだよな。』って。

『お腹を壊す・・・。』とは、日々、野良仕事に精をだす・・・お茶農家に対して失礼だなと思う。『こうしたほうがいい、あーしたほうがいい。』というは簡単だけど・・・すべてを繋いで丸くかたちづくるのは難しい。

ヘンに頑固になる必要も無いけど、“自分は自分でいい。美味しいお茶が作れないなら、お茶農家をやめるしかない。ただ、それだけ。”と思っています。


インターネットを通じて、僕のお茶に感想を下さる方がいます。すごく、ありがたいし。
生きる感じがします。手で揉んだ紅茶に関して・・・
“お茶に詳しいお客様にテイスティングをお願いしたときに言われた
一言が忘れられません。
「ハートを込めて作られたものだからこそおいしい」
こんな感じの感想をいただいたのです。”

ありがとうございます。決して、自分を否定する人が敵で、肯定する人が味方というわけでもないですが・・・本当に嬉しく思っています。
謙虚さを持ちつつ、適度に頑固に生きたいと思います。

普段このブログは極力、おだやかな雰囲気にしていますが、すみません。
あまりにも有り得ないような思い出が、夕方のお茶摘み中によみがえったものですから。

ああーーーーーラーメン食べたい。 悪い思い出を中和。


↑手揉み紅茶などに使う中華ナベ。と蒸し用の釜。これと手とお茶の葉があれば、遊べますます。


↑今日は太陽に暈(かさ)がかかっていました。明日、雨だからですね(泣)。


↑夕方、裏の藪で、ミツバを摘みました。おひたしにすると美味しいです。


グチっぽくなりつつゴメンナサイ。
また、懲りずに見て下さいね。このブログ。 


ではお疲れ様です。
おやすみなさい。


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