katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲のサークル

2024-03-14 06:55:16 | 高州のサークル
今日は欠席の人が多い中、さくらが参加して4人。まずはキョンキョン。Oまでの前回は順調だったけれど、今日のmは随分と悩んでしまったのね。ただ理由は割と簡単な事で・・・。

まず前回までの仕上がりにみんなが驚いた事。それ位、順調なペースと仕上がりだった。この満足感は、常に良い事と悪い事は背中合わせで、とてもプレッシャーになるのね。

それを何も感じない・・・ノープレッシャーって人は、きっと余程凄い精神力か、逆に意識無くとなる。ただ普通の場合、前者は大抵実力者が多いんで、海千山千の経験値を持っているから、

そう言う事を何回も味わっているのね。つまり後者であれば、意識が無かった分、意識を持った瞬間、そこから初めてプレッシャーが掛かって来るものなのね。これが見えない部分の説明。

それを踏まえて、今度は見える部分の説明としては、まずmは今までの文字の中で、一番の難関なのね。良く見て見ると、e、l、c、oって文字は、クルンって言葉でくくると、似ているのね。

そしてwは、それらの雰囲気のスタート部分のクルンの後、上がって下がっての割りと直線になる。つまり今までの部分は、クルンの仲間だったのね。所がmは、直線のようで倒れ方の違う直線に、

かすれた細めの斜め線・・・ほぼ全てが微妙な倒れ方をしていたり、太さが微妙に違ったりするのが、いきなり何度も何度も坂を駆け上がるのね。簡単に言えば、漢字の書き取りを思い出して・・

画数の少ない、山だの川は、小学生が初めて書いても、ノートの縦線の内側に収まるのね。所が画数の多い、勝みたいな事になると、さっきは収まったのに、でぶっちょな文字になる。

書けたとしても、大きくなったから不格好になった。ただキョンキョンのmははみ出してはいないのね。つまり悪くは無いのね。所が本人がしっくりしない・・・何故?ここなのね。

今の例は、大きさだったから、書けてはいるけれど・・・けれどね。ここ。けれどって言葉は、難しい言葉で、理解をきちんとしないと、まぁ曖昧になり誤魔化すには都合の良い言葉なのね。

何々だけれど・・・この場合、けれどの前は肯定文で、つまりOKって事になるから、文字の大きさはクリアーだった事になる。しかしながら、けれどの後は満足していないって否定文なのね。

ここが難しい所で、じゃ本人は一体何に満足していないか?なのね。しかも満足していないのなら、是正がしたいのに、是正って言うのは、そもそも何処の何が・・・って事が判らないと、

出来ないものなのね。つまりこんな事が、物作りって言うのは、自分自身だ・・って先人が言っている意味なのね。要するに作っている本人がそこに気が付かないと、何度やり直しても、ただ

やり直しを続けるだけで、結果は付いて来ないで、時間だけが過ぎ、最後には今日は上手く行かなかった・・・調子が悪かった・・・ってな事になるのね。それでも偶然さっきよりも良く見えたら

まっ良いか・・・って事になるかも知れないが、それは偶然であって、偶然は何回も起きないものなのね。そう言う点では、偶然が起こらなかったから、進まなかったんだろうね。

では話しを戻して、一体どうしてそんな事になったのか?決定的なのは、一粒ずつ切って、一粒ずつ張らない・・・。ここ。こんな基本的な事は文字にすると、当たり前の事なんだけれど、

例えば、何故そうしないか?・・・そして何故そうすべきなのか?を検証すれば簡単な事なのね。まず何故そうしないか?って人の気持ちを覗いて見ると、例えば張ったら決定だから・・・。

こうした自信の無さからだったりする。そしてその不安を解消するのは、mって文字の全部のパーツが切り終わって、納得行くように見えたら張る・・・こんな事だと思うのね。

そして前回まで、それで結果が出ていたから。つまり今日初めてそのやり方につまづいた。ただ最初から1粒ずつ張ってね・・・とは教えて来たんだけれど。何故なら必ずこうなるからなのね。

先生ってのは先人だから、その失敗はしたし、人の失敗も何度と無く見て知っているから、危険回避の為の指導なのね。でも、大抵そんな場合、先生は上手いから・・・と納得して貰えない場合が

あって、自分の納得するやり方でやろうとするのね。つまり一旦切ったものを見てから・・・って。ただこの場合、仮に今までの文字のように上手く行くか?って事になると、mは狭いスペースに

画数が多くなったみたいな押し込むような複雑なパーツが多いのね。つまり山でも川でも無く、勝みたいな感じにね。それを仮置きしても、張る時までじっと触らずに済むから、思った場所

に張れるから再現出来るのね。所がmの場合、複雑だから、仮置きして全部切り終わったものを見ても、曲がっしまって良く見えない。しかも1文字しか進まないから焦る。焦るから満足をまだ

していないのに張り出す。張り出したら、パーツが細かい、細かいからピンセットにボンドが付く。付いたボンドを拭かずに進めるから、タイルが汚れる。汚れとピンセットがくっつく。

そうなるとタイルを張っているのか?ボンドを張っているのか?判らない状況になるから、そもそも張り終わってもボンドだらけになり、きれいな文字になりましたか?って所にたどり着けない。

ほら悪循環になる。でも今までそれで上手くやって来た・・・ここね。是正って言うのは、こうした時にしか生まれないのね。だって困らないんだもの。困らなければ是正の必要が無いのね。

所が、是正するにもアトリエなら、全ての時間を是正の人に注ぎ込めるが、ここはサークル。楽しむ場所に、必要以上の指導が必要か?となると、しつこく指導をする必要性は無い。ただ困って

しまったら・・・是正の仕方を教えないとならないけれど、一番最初に教えた一粒ずつ張りましょう・・・って、果たして理解して貰えるか?になる。何しろそもそも楽しむ場所なんだら・・・。

そう言う点では、今日は人数も少ないし、この後のみんなの作品を見て貰えば、指導するのはキョンキョンしかいなかったんだけどね・・・。では他の人達は、

キウイに

お母さんに、

さくら・・・何だかどれも時期外れになっちゃったものの、楽しい作品なのね。そしてどれもほっといて平気な人達。楽しめる作品だし、楽しめる実力を持っていたりする。ある意味この程度の

作品では、余裕すらあっても良いのね。だから一番大変なのはキョンキョンなんだけれど、上手く行かなかった事が、キャリアが無いから・・・みたいな誤解をしなきゃ良いんだけれどね。

ただ単に基本通りじゃ無かっただけなんだけれどね。ここを克服してくれると、垢抜けるきっかけになるんだけれどね。ただね、サークルは本気の指導が出来ない場所だから、何処まで必要か?

って事になるし、1人に集中する訳にも行かないし・・・。何せ個人レッスンじゃ無いからね。それと楽しみの場だから、本気で上手くなる・・・って話では無いしね。適度ってのは難しい。

しかも、簡単に言うと、暫定の一粒目に合わせた、暫定の二粒目を切り、その暫定の二粒目に合わせて、暫定の3粒目・・・つまり暫定だらけになる。そしてもしその暫定の1粒目が間違っていたとしたら?

全て間違いの繰り返しをしていた事になるのね。仮に最高では無くても、これかな・・・って思った1粒目を張ったとしたら、それに合わせた2粒目となると、最初の一粒目のこれかな・・・って、

覚悟ある1粒目を張った勇気は、仮置きとは全く持って違う結果になる。何せ覚悟のパーツなのだから。剥がせない。けれど仮置き、いくらでもやり直せる。だからいつまでも決まらないのね。

何しろ一粒目は勇気なんだけれど、楽しむ場所でこの説明いる?これは大作を作るような本気な人の指導だから、体験のようにその時間のみって話には要らないし、でもキョンキョンのは?

甘いかしょっぱいか?のいずれの指導って割りと判りやすいが、甘じょっぱい指導ってどの位すれば良いんだろうか?・・・さじ加減とは、五感の話で何でも一緒。本気と楽しみの間って、

どの位なんだろうか?・・・その答えは自分自身なんだけれどね。

まぁ次回ここを抜け出せれば、グレードも落とさずに進めるとは思うのね。にしても、どの程度が納得ゾーンなのかは本人にしか判らないのね。ここが楽しみと本気の境目で難しいのね。

例えばデイ・サービスなら出来れば良い。それなのにあの完成度・・・そしてその値段・・・まぁ満足度は悪くないだろう。では逆に本気となると、短期間に大量の時間での労作展。

初めてやるのにあのグレード。人に見せるにしても、何の問題も無いどころか、受賞者多数なら、自己満足では無く認められた事になる。なんとも判りやすい話なのね。じゃサークルのような、

出張の場合、人数分で割ったような時間の中で、コンパクトに教える事になる。しかもサンプル教室ならまだしも、自由なモチーフで自由にやっているのでは、いつなんどき困るのか?なんて、

想像も付かないのね。しかも俺が必要な時間帯が被れば、あっちもこっちもになる。しかも、指導が人に寄って違うのね。こっちは文字、こっちは髪の毛、こっちは・・・ってね。

その時にまちまちの実力者がいる・・・寺子屋みたいな場合だと、お母さんがいなくても、お姉ちゃんが何人もいる・・・って事になると、場をつなぐ事が出来たりするが、同じような人達となると、

一斉に困るのでは、一番困っている人や、一番キャリアの無い人の所の救済に向かわないとならないのね。つまり救急病棟になるから、トリアージって順位を付けないと、助からない人が出る。

それが病院なら来た順。全く違うものなのね。そしてどうなさいましたか?って呑気な質問からスタート出来るのと、助かる助からないの判断をしないとならないのでは、その時間の重さが違う。

指導も同じで、好きにさせて・・・って人もいれば、教えてくれない・・・って人もいる。これが何々流って流派なら、黙って指導通りにみんな真似をするが、そんな格式も無いし、割と自由に

している分、上手くなればなるほど、厄介になるのね。それは楽しむ側からスタートすると、ある程度経験を積めば、そこそこ上手くなって来るのね。何でも。その時に、そのまま楽しみます。

って言うのなら、放置が出来るのね。けれどもし、もう少し上手くなりたい・・・なんて思った時、今までの人数の中で、そのくらいの事をしていたから、丁度良かったのに、同じ人数でも

1人のやる気が変わっただけで、誰かの指導の時間を削らないとならないか、さもなくば、誰かがその分、指導をしなくても大丈夫になる成長をするか?となるのね。それはkameyaさんも一緒。

簡単な話なんだけれど、理屈はこんな事でも、誰かの意識が変わらないと、何でもかんでも今まで通りって事にはならなくなるのね・・・それが成長した証でもあるんだけれどね。

いずれにしても、みんながどう思うか?は別として、一応こんな事が変わりつつあるってお知らせをして、ここを見ている人と見ていない人の成長の差だったりに役立って頂けると幸いなのね。

こっちも時間を使って毎日更新しているのは、自分自身の記録でもあるけれど、本気でやろうとしている人へのきっかけになれば・・・って意味でもあるのだから。それが別にモザイクでなくても

必ず何かのきっかけになるような話を満載にしているつもりなのね。中々こんな事例報告や是正の仕方、気の話、どれも学校や塾では教わらない話だからね・・・全て実体験。そこらにおっこって

いる話をするつもりは無いのね。こっちは常に本気だから。60にもなるおっさんなんだから。勿論ただのおっさんで終わるつもりは一切無いんだけれどね。





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