今日は朝からウチの犬の杏さん教室。ただ大作にお疲れらしく、先日デイ・サービスに使ったシマエナガの下地を頼まれていて・・・・今日は簡単なものを・・・って。ただこう言うのは大変で。
こんな体験用の下地って、常に体験だから、モザイクをやった事が無い人向きなのね。だから、タイルを切る事は少なく、しかもこのシマエナガは全てのパーツが仕込みで、ただ張るだけなのね。
だからデイ・サービスでも出来たんだけれど、張るだけと言えど細かいパーツだから大変だったのね。ただ杏さんはあの細かさを切れて、張れて・・・しかも大作。全てに手慣れているのね。
じゃ簡単じゃん・・・そう思っても無理は無いのね。しかもそう思って貰えるように、サンプルも作っているのね・・・常に俺のサンプルは全力なのは下地であって、タイルを張る時は、少し
曲がっていたとしても、その会場にあったサンプルに・・・がモットーなのね。例えば先生と名乗る人が全力でサンプルを作ったとするとね、そりゃ上手くて当然なのね。そしてそれを見て、
ご参加されたとする。それを真似して作った時に、本当にそれになる?初めて作るような人が・・・。だから、例えばそこに10人いたとすると、5番目くらいに見えるような気持ちで、
作るのね。だから少し曲がっていたりしても、この位でもこの位の仕上がりになる・・・って意識して、器用な人はサンプルより上手く出来れば、私の方が良い感じ・・・って言って貰えるし、
逆に真似を必死にした人は、サンプルと何ら変わらないじゃん・・・となれば、10番目にならなくて済む。そんなイメージなのね。それを踏まえて、大作を作っている人が、デイ・サービスの下地
で、大作よりも簡単で、何も考えずに楽しめる・・・って思っていたとしたら?・・・この文章通りに出来るのなら、楽しめるんだけど、もしやり始めたら、折角作るのだから・・・って、
良いのが欲しい・・・って欲を出したなら・・・大作の人のこだわりで作る事になるのね。じゃそんな意識で作るとどうするか?って言うと、例えばクローバーをきちんと真っ直ぐ張ったりする。
言葉通りだと、きちんと真っ直ぐって綺麗に聞こえないかな?それをもし斜めに張ったりずれたりしていたとしたら?・・・ただ張るだけなのに、この違い仕上がりに大きな違いがあるでしょ?
きちんと真っ直ぐ・・・って場合、建築のように無機質ならそれが正しいのね。でも一体何を作っているの?って感じたら、シマエナガに見えるように張る・・・って意識なのね。
その時に無機質に見えるきちんと真っ直ぐが綺麗だと思えるのなら、何も考えず無意識にそう張るのね。でも果たしてそうか?となると、それを意識的にガタガタってずれて張ったとしたら?
モコモコみたいに見えないかな?これが意外とそう見えたりするのね。ただ目の位置を揃えたいと思うだろうから、そこを意識して微妙にずらすのね。ただ白い目地をするから、気にしなければ
特に問題は無いのね。でも大作の人・・・一体それをどう感じるか?何も考えたくないはずなのね。何しろ楽しみたいのだから。でも楽しむとは、たのしむとも読むが、ラクとも読むのね。
その時に意識している大作の作り方で、無意識にラクをして楽しみたい小物・・・そう言う意識出来るかなぁ・・・。ここなのね。難しいのは。実は無意識に大作の作り方をしてしまうものなのね。
それがこだわり・・・ってものなのね。だから上手くなったら、そう作ろうとはしない・・・って意識をしないと。要するにその意識を持つって自分をコントロールしないと、その人の普通はこだわる事になってしまうのね。だからその意識を持たないで、常に無意識、無自覚って言うのは、
意識を持たないと出来ないのね。それを踏まえて考えると、実は大作は量が多い分、同じパーツの繰り返しが多かったりするのね。つまり慣れればそれが一番楽なのね。でも果てしないのね。
つまり結論から言うのなら、考えたくないから楽しむ、ラクな小物では無くて、果てしなさの繰り返しから気分転換で、少し位考えてやったとしても、たった3時間で完成する・・・って意識を
持ったなら、こんなに掛かっちゃった・・・ってセリフは無くなるのね。そうなったのは、自分のこだわりってそんなにあったんだ・・・って事と、その意識が無かったし、小物は早く終わる前提
って決めてあったからなのね。いずれにせよ、こうした小物は時より自分と向き合うには面白い素材だったりするものなのね。さてその後は、夕方から闘牛士の背中のリピーターさん。
それまでの間は、次回のデイ・サービスのサンプル構想なんだけれど、5月に飾るものと言ったら、鯉のぼりやかぶと、金太郎や桃太郎と言った男の子のものが多いのね。
これが今回の4月に飾るものと言ったら、桜なんかが思い浮かぶけれど、5月程インパクトは無いのね。しかも何回もやったから・・・となると、今回は桜を避けてイチゴにしたのね。
でもお婆ちゃんが多いのに、かぶとって・・・事になると、やはり可愛いのは鯉のぼりになるが、となると、お雛様のように1人分が2つになり、倍の手間でいつもと同じ料金となるとねぇ・・・
倍きつくなる訳で・・・。しかも材料代も・・・しかも掛ける場合なら、木は薄くて良いんだけれど、置くとなると厚みが欲しくなるのね。ただ木は厚さで値段も変わるのね。つまり倍になる。
所が大家さんが今、カウンターを作っていて、端材が貰えるとなると、手間だけの事になる・・・じゃやろうかなぁ・・・ってなると、それにしてもサンプルは1組だけど、実際は10組だから。
合計20個になるのね・・・だから複雑なのは回避したいのね。これもさっきの話しと一緒で、作品なら1つだから全力で良いが、20個では簡素化して行かないと、無理過ぎるのね。
しかも端材が足りませんでした・・・となれば、たった少しであっても、数千円の木になるのだから、大きさも足りるように計算して、絵を描かないとならず・・・規制がいっぱいあるのね。
そんな事をしていたら、あっという間に時間は経ち、その前に一之江駅前の100均に行ってから送迎しようとしたら、俺の所で駐車場が満車と言われても、後戻りが出来ない所なのね・・・。
もしかすると・・・とLINEを送ったが、何とか間に合って何よりだったのね。
そんなこんなのお教室。まぁ安定感はいつも通りだし、真っ直ぐ見えるような場所でも、ここは背中のシワのラインだから・・・と考えているし、良く見ているのね。しかも、欲張っても・・・と
急ぐ事も無く、いつも通りのペースで進んでいて、余裕すら伺えるのね。つまり自分の写した線の通りって言うのは、とても安定感があって、見ているこちらも安心するのね。ただ本人も気付いて
いて、線と線の間に当たる広い何も描いていないゾーンは、考えないとならないのね。そこは苦戦するかも・・・って。そのセリフこそが警戒をしているのだから、侮らないって感じがするのね。
つまり悩むだろうが、簡単って思っていないのね。つまり心がつまづくとは思えない。ある意味、それを持っているだけでも安心なのね。何しろ油断が無いから。つまり心で左右はされない。
だからもし悩んでも、こんな感じかなぁ・・・って気付きが足りなかったって事は、気付きのアシストで済むけれど、こう切れば・・・と思っても、切れない人にはアドバイスは基本になるから、
ニッパーの持ち方、刃の入れ方、タイルの持ち方・・・ほぼ基本を念仏のように唱える。それを色は・・・と色ばかり気にしても、色は限りがあるのね。モザイクは混ぜられないから。
その意識を持たないと、この先も色だけにこだわれば、似ている色が無い・・・って事を繰り返すだけだから、面白みが少なくなるのね。けれど切るに特化すると、色はトッピング程度に考える事
が出来るから、同じデザインでも、セピア色にも作れたりもするのね。モノの考え方1つなのね。いずれにしても、気と言う部分に関して安定感のある人なんだろうな。まぁこうして個人レッスン
って、その人その人で違うし、その人だけでも、今日の体調や気分で大きく変わってしまうのね。ただ意識を持つと、それが体調の問題なのか?気の問題なのか?根本的に技術の未熟なのか?
はっきりするんだけれどね。そこの改善であって、その自覚があれば、やり方なんていくらでもあるのね。何しろ物作りって言うのは、自分自身なのだから・・・。
こんな体験用の下地って、常に体験だから、モザイクをやった事が無い人向きなのね。だから、タイルを切る事は少なく、しかもこのシマエナガは全てのパーツが仕込みで、ただ張るだけなのね。
だからデイ・サービスでも出来たんだけれど、張るだけと言えど細かいパーツだから大変だったのね。ただ杏さんはあの細かさを切れて、張れて・・・しかも大作。全てに手慣れているのね。
じゃ簡単じゃん・・・そう思っても無理は無いのね。しかもそう思って貰えるように、サンプルも作っているのね・・・常に俺のサンプルは全力なのは下地であって、タイルを張る時は、少し
曲がっていたとしても、その会場にあったサンプルに・・・がモットーなのね。例えば先生と名乗る人が全力でサンプルを作ったとするとね、そりゃ上手くて当然なのね。そしてそれを見て、
ご参加されたとする。それを真似して作った時に、本当にそれになる?初めて作るような人が・・・。だから、例えばそこに10人いたとすると、5番目くらいに見えるような気持ちで、
作るのね。だから少し曲がっていたりしても、この位でもこの位の仕上がりになる・・・って意識して、器用な人はサンプルより上手く出来れば、私の方が良い感じ・・・って言って貰えるし、
逆に真似を必死にした人は、サンプルと何ら変わらないじゃん・・・となれば、10番目にならなくて済む。そんなイメージなのね。それを踏まえて、大作を作っている人が、デイ・サービスの下地
で、大作よりも簡単で、何も考えずに楽しめる・・・って思っていたとしたら?・・・この文章通りに出来るのなら、楽しめるんだけど、もしやり始めたら、折角作るのだから・・・って、
良いのが欲しい・・・って欲を出したなら・・・大作の人のこだわりで作る事になるのね。じゃそんな意識で作るとどうするか?って言うと、例えばクローバーをきちんと真っ直ぐ張ったりする。
言葉通りだと、きちんと真っ直ぐって綺麗に聞こえないかな?それをもし斜めに張ったりずれたりしていたとしたら?・・・ただ張るだけなのに、この違い仕上がりに大きな違いがあるでしょ?
きちんと真っ直ぐ・・・って場合、建築のように無機質ならそれが正しいのね。でも一体何を作っているの?って感じたら、シマエナガに見えるように張る・・・って意識なのね。
その時に無機質に見えるきちんと真っ直ぐが綺麗だと思えるのなら、何も考えず無意識にそう張るのね。でも果たしてそうか?となると、それを意識的にガタガタってずれて張ったとしたら?
モコモコみたいに見えないかな?これが意外とそう見えたりするのね。ただ目の位置を揃えたいと思うだろうから、そこを意識して微妙にずらすのね。ただ白い目地をするから、気にしなければ
特に問題は無いのね。でも大作の人・・・一体それをどう感じるか?何も考えたくないはずなのね。何しろ楽しみたいのだから。でも楽しむとは、たのしむとも読むが、ラクとも読むのね。
その時に意識している大作の作り方で、無意識にラクをして楽しみたい小物・・・そう言う意識出来るかなぁ・・・。ここなのね。難しいのは。実は無意識に大作の作り方をしてしまうものなのね。
それがこだわり・・・ってものなのね。だから上手くなったら、そう作ろうとはしない・・・って意識をしないと。要するにその意識を持つって自分をコントロールしないと、その人の普通はこだわる事になってしまうのね。だからその意識を持たないで、常に無意識、無自覚って言うのは、
意識を持たないと出来ないのね。それを踏まえて考えると、実は大作は量が多い分、同じパーツの繰り返しが多かったりするのね。つまり慣れればそれが一番楽なのね。でも果てしないのね。
つまり結論から言うのなら、考えたくないから楽しむ、ラクな小物では無くて、果てしなさの繰り返しから気分転換で、少し位考えてやったとしても、たった3時間で完成する・・・って意識を
持ったなら、こんなに掛かっちゃった・・・ってセリフは無くなるのね。そうなったのは、自分のこだわりってそんなにあったんだ・・・って事と、その意識が無かったし、小物は早く終わる前提
って決めてあったからなのね。いずれにせよ、こうした小物は時より自分と向き合うには面白い素材だったりするものなのね。さてその後は、夕方から闘牛士の背中のリピーターさん。
それまでの間は、次回のデイ・サービスのサンプル構想なんだけれど、5月に飾るものと言ったら、鯉のぼりやかぶと、金太郎や桃太郎と言った男の子のものが多いのね。
これが今回の4月に飾るものと言ったら、桜なんかが思い浮かぶけれど、5月程インパクトは無いのね。しかも何回もやったから・・・となると、今回は桜を避けてイチゴにしたのね。
でもお婆ちゃんが多いのに、かぶとって・・・事になると、やはり可愛いのは鯉のぼりになるが、となると、お雛様のように1人分が2つになり、倍の手間でいつもと同じ料金となるとねぇ・・・
倍きつくなる訳で・・・。しかも材料代も・・・しかも掛ける場合なら、木は薄くて良いんだけれど、置くとなると厚みが欲しくなるのね。ただ木は厚さで値段も変わるのね。つまり倍になる。
所が大家さんが今、カウンターを作っていて、端材が貰えるとなると、手間だけの事になる・・・じゃやろうかなぁ・・・ってなると、それにしてもサンプルは1組だけど、実際は10組だから。
合計20個になるのね・・・だから複雑なのは回避したいのね。これもさっきの話しと一緒で、作品なら1つだから全力で良いが、20個では簡素化して行かないと、無理過ぎるのね。
しかも端材が足りませんでした・・・となれば、たった少しであっても、数千円の木になるのだから、大きさも足りるように計算して、絵を描かないとならず・・・規制がいっぱいあるのね。
そんな事をしていたら、あっという間に時間は経ち、その前に一之江駅前の100均に行ってから送迎しようとしたら、俺の所で駐車場が満車と言われても、後戻りが出来ない所なのね・・・。
もしかすると・・・とLINEを送ったが、何とか間に合って何よりだったのね。
そんなこんなのお教室。まぁ安定感はいつも通りだし、真っ直ぐ見えるような場所でも、ここは背中のシワのラインだから・・・と考えているし、良く見ているのね。しかも、欲張っても・・・と
急ぐ事も無く、いつも通りのペースで進んでいて、余裕すら伺えるのね。つまり自分の写した線の通りって言うのは、とても安定感があって、見ているこちらも安心するのね。ただ本人も気付いて
いて、線と線の間に当たる広い何も描いていないゾーンは、考えないとならないのね。そこは苦戦するかも・・・って。そのセリフこそが警戒をしているのだから、侮らないって感じがするのね。
つまり悩むだろうが、簡単って思っていないのね。つまり心がつまづくとは思えない。ある意味、それを持っているだけでも安心なのね。何しろ油断が無いから。つまり心で左右はされない。
だからもし悩んでも、こんな感じかなぁ・・・って気付きが足りなかったって事は、気付きのアシストで済むけれど、こう切れば・・・と思っても、切れない人にはアドバイスは基本になるから、
ニッパーの持ち方、刃の入れ方、タイルの持ち方・・・ほぼ基本を念仏のように唱える。それを色は・・・と色ばかり気にしても、色は限りがあるのね。モザイクは混ぜられないから。
その意識を持たないと、この先も色だけにこだわれば、似ている色が無い・・・って事を繰り返すだけだから、面白みが少なくなるのね。けれど切るに特化すると、色はトッピング程度に考える事
が出来るから、同じデザインでも、セピア色にも作れたりもするのね。モノの考え方1つなのね。いずれにしても、気と言う部分に関して安定感のある人なんだろうな。まぁこうして個人レッスン
って、その人その人で違うし、その人だけでも、今日の体調や気分で大きく変わってしまうのね。ただ意識を持つと、それが体調の問題なのか?気の問題なのか?根本的に技術の未熟なのか?
はっきりするんだけれどね。そこの改善であって、その自覚があれば、やり方なんていくらでもあるのね。何しろ物作りって言うのは、自分自身なのだから・・・。