katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

浦安の魚の作品、マゴチが終わって・・・

2022-06-28 23:26:44 | モザイク作家

今日も朝から作家katsu。そんな訳で、浦安の魚作品・・・マゴチ。それが割とすんなり終わっちゃったのね・・・

その後、続けてアナゴの尻尾が終わって・・・いよいよ大トリは、石川・・・いやサヨリ。

半分位まで終わったんで、意外と明日張り終わるなんて事あるんじゃない?って感じなのね。そんな中、蕨の子供教室の結果が来て・・・ちなみにウミウシなんだけど、定員の倍以上既になっているらしく・・・まずは良かった。

今日はまずまずだな・・・なんて言いながら、夕飯の買い物に行くと、スーパーの斜向かいの大家さんの同級生のタイル屋さんが手招きするのね・・・するとご夫婦でいらして、katsuさんここに白竜作ってくれないかな?って・・・。

えっ?作品依頼ですか?・・・ってな事になり、すぐには作れませんが・・・とご挨拶したのね。ただ急にって訳じゃ無くて、機会を見て頼もうと思っていてくれたらしく・・・何だか良い事だけで終わる1日になったのね。


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浦安の魚の作品・・・マゴチ

2022-06-28 08:02:02 | モザイク作家

今日は丸々作家katsuで、浦安の魚・・・マゴチ。厳しい所は抜けた感じではあるけど、何しろ工夫が必要なのね。先日の説明で、モヤモヤした模様のタイルが絶品で・・・確かにそれは良い事なんだけれど、常に良い事と悪い事は背中合わせ。

絶品が1つしか無いって事は、何らかの工夫が無いと、1つだけ浮いてしまうのね。そこでそれに見合う模様を自力で作らないとならない事が、大変だったりするのね・・・これがバランスの仕組みみたいなもので、凄いピッチャーがいても、凄く

無いキャッチャーでは駄目だし、凄いピアノがいても、凄く無いギターって駄目だろうし、ソロなら良いかも知れないが、チームだったり、バンドだったり、団体競技のような場合、仲間をも見劣りさせてしまったりもする。

ただ例外でオスカルにアンドレの場合、家柄はどーにもならないが、美として横に立った時に、見劣りする顔じゃ無いのがバランス良いんだけど・・・。って感じになるが、普通はいかに工夫で見劣りさせないか?になるのね。

だから凄い絶品・・・なんてタイルは、ガッキーの横に立つには?みたいなもんなのね。とんでもない工夫が必要なのね。仮にもし、この凄いタイルに色違いがあるのなら、何の工夫も要らず、ただ安易に張るだけでバランスは良いのね。

しかし、凄い・・・って言う言葉の持つ意味を考えると、凄い車とか、凄い家、凄い美人・・・何でも良いが、それに見合うもの・・・ってのがバランス。つまり凄い車から、凄くカッコいい男優さん・・・じゃトム・クルーズだったら、

おーってなるだろうし、凄い家となっても、同じに、おーってなるだろうし、凄い美人が横に立っても、おーになる。これなら文句なし。ただ更なる工夫って事になると、凄い車が何か?って車種も決めると、スポーツカーなら、若い人かな?

とか、そもそも自分で運転せずに、後から開けて貰って登場なんて言うと、更に凄さは増すし、凄い家にしても、年寄のハリウッドスターだと、凄さも半減して、だよねーって普通になるし、若過ぎると小生意気にも見える。

凄い美人にしても、えー何でその人?なんて事にもなるし、年齢だったり、身長差だったり、職業だったり、見栄えって言うのは比較されるものだったりするのね。そう言う事を踏まえれば、凄いタイルに匹敵する工夫が必要なのね。

そう思うと、まぁそこそこ見栄えはキープ出来ていると思うし、馴染んでいるようにも見えるからまずまずだと思うのね。そんな事が、まずまずの理由だったりするのね。ただこんな事を毎日、毎回考えていると、流石に疲れたりもするのね。

でも余暇なんて無いし、毎日アトリエだから、アトリエで何か気分転換みたいに誤魔化し、誤魔化しやるしか無いのね。昔ならそれがcdだったりするんだけれど、それが今やSpotifyなんてもんがあったりすると、もはや有線みたいなもん。

そのランダム感は、次に何が掛かるか?って刺激だったりするが、余り無機質に音楽だけ聴き続けると、孤独って時間が多くなる。勿論、接客業としてフル回転なら、ひとりの時間が緊張感からの解放だろうが、それが何日続くと孤独感になる?

って感じで、そう言うニュアンスは、そもそも家族がいる時点で、本当の孤独にはならないし、悩み事としては、束縛とか拘束時間みたいな感じであるのなら、今の俺のような感じになると思うのね。自由な時間の過ごし方みたいなね。

つまり孤独を愛する日なら、話疲れだろうし、そうなると音楽のみとか、人恋しいみたいな場合、会話不足とかだろうから、ラジオみたいになるのね。まぁ慣れるとGYAOで音だけテレビなんて事も出来るが、映画は難しいのね・・・。

時間に余裕があって、無音シーンがたびたび出て来るから、何をしているか?がそれでは判らないのね。それがテレビの場合、時間が短い事もあるのか、説明のような事だったり、合いの手があって、音の切れる事が無いので、想像が付く。

だから見ていなくても、大体雰囲気は判ったりする・・・実はこんな事もお教室の先生としての練習にもなったりするのね・・・こっちで話して、あっちの音も聞くとか、動きが変わったとか、あれこれ見逃さないように・・・みたいなね。

それが脳って刺激が無いと、慣れると飽きるのね・・・全くわがままでね・・・だから、常に予定調和じゃ無い事をしないと、安心安全ばかりだと、怠けるのね・・・俺の脳は。ただ単純なんで、ちょっと変えただけでも簡単に動いたりするのね。

まぁ一番判りやすいのは、えっ?もうこんな時間・・・こんなセリフを言った時は、充実しているんだろうし、結果も出ている気がする。それが逆に、まだこんな時間かよ・・・って場合は、これだけやったのに・・・って気分だろうし・・

それを聞き逃さずに、今日の俺・・・みたいに、何とか是正して、大きく崩れないような毎日って感じなのね。だから、逃げ切った・・・みたいなセリフになるのね。今日は割と1日が早かったのね。


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