katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と浦安の魚の作品

2022-06-03 23:11:09 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室。地味には進んでいるんだけれど、ここは最後の最後の所で、その内終わる・・・そんな感じなんで、特にこっちも言う事が無くて、時間が解決するようなもんなんで、厳かに終わると良いのね。

そんな訳で平行に作品作りもさせて貰って・・・

お陰でいくらか進んだのね。まぁここまで来れば、こっちも時間が解決って感じになったのね。

https://youtu.be/6Qf3HPB6ISc

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引き続き浦安の魚・・・カレイ

2022-06-03 07:29:50 | モザイク作家

今日も引き続き浦安の魚の作品のカレイ。初日に何かつまづいた感じはあったが、ようやくいつものペースに戻った感あり。何しろカレイを作っているのに、カレイに見えない気持ちになると、そりゃあねぇ・・・。だから判るのね。

ある程度、モザイクに慣れて来た人が、戸惑っているような場合、まずは前提として、タイルを切る事に左程困らない。こんな場合は、何処の何につまづいたか?なのね。例えば今回は、口につまづいたのね。そもそも何処までは良くて、何処に

なってから変に見えるのか?を振り返るんだけど、大抵の人は全部おかしい・・・みたいになっちゃうのね。でもそんな事は無いのね。必ずここさえ無ければ・・・って感じになるのね。これを見つけられる目があると、そこまで壊す事が出来る。

ただ壊すにしても、その前にどう直すか?を決めないと、何かダメだから・・・って何の根拠も無く壊す癖を付けると、ダメなら壊せば良いや・・・って事になり、最初から壊す前提で始めようと言う事になるものなのね。

あくまで、どうしても・・・なんだけど、それにも、こうすれば直る・・・の、こうすればの根拠が欲しいのね。じゃ無いと、また同じ結果になるもので・・・それでは色決めしているような事と同じになるのね。良くある色決めって言うのは、

色んな好きな色を出して、そこに置いてどれがしっくり来るか?を決めるやり方で、しかもそこに根拠が無いから、色んな色が出ているのね。ただの好みなのね。それだと、その日の気分で変わってしまうものなのね。実はそうでは無くて、

壊す前の部分、今回なら目に合わせるのね。もう一度、目に合った口って・・・?に戻って考えるのであって、そこを壊して、違う色にすれば良い・・・じゃ無いのね。しかも自分の好きな色になんて事じゃ無いのね。以前やったものに

合わせるのね。しかも決定的に違うのは恐らく形なのね。そうじゃ無い形のパーツだからなのね。その原因も判っているのね・・・実は。これは便利になったからなのね。昔は資料と言うと、本だったのね。でもその本は、画像のまま。

つまり拡大する事は無いし、ググッてアップを探すなんて有り得なかった。ただそれでも、見たい所のアップがいつもある訳じゃ無いのね。だから、あれとこれとを見比べたりするんだけれど、アップな所と、そうで無いものを合体する・・

みたいな事だったりって、例えば顔を作るとして、目を詳しく見たいから拡大して、まつげや瞳の奥を作るとする。ではその作る目の大きさは?って言うと、実物よりも大きくしても、倍の親指1本程度。そんなデカい作品ってそうは無いのね。

つまり拡大して大きくして良く見えても、そこまで正確に作るには、倍の倍更に倍みたいな感じなのね。つまり実際はまつげの数も減らす事になるし、瞳にしても、瞳に写っている被写体なんてものは作れないのね。でも見えている・・・

何を残して、何をはしょるか?がデフォルメになるんだけどね・・・ここが恐らく俺の特徴でもあるんだろうが、目は大きくなっても良いかっ・・・って。可愛くなるからって。まぁプリクラ方式な感じね。つまり実際よりも目は大きい。

でも全体の大きさは変えない。みたいな感じなんだけど、そうなると口の部分のスペースが狭くなる。これが彫った下地じゃ無ければ、下絵からはみ出ても補正しちゃうけれど、彫ってある下地はそこに納めないとならないのね。

だから気が付けば、保留にして彫り直せば良かったのに、それなのに進んだ・・・そりゃ窮屈になるのね。しかも目を大きくしてリアルにした分、窮屈に口を作ったのだから、口はただ出来ただけに見える。隣の部位と見比べれば、見劣りして当然なのね。

簡単な理由なのに・・・1cmに変更して時間が掛かる事もあり、色んなやる事もあって予定も入って来て、知らず知らず焦ったんだろうな・・・まぁ早い段階で気が付いて良かったのね。そこが立て直せれば、いつも通り。

そもそもウロコ部分なんて、カレイのウロコなんて余程の人じゃ無いと、見えないのね。大体は模様としてザックリは見えるものの、さばくような人じゃ無いと、じっくりは見ないだろうね。つまりウロコがあってもウロコには見えない。

そんな事を作るのに、あえてウロコを作るのだから、気が付いた人には凄さが伝わるようなものなのね。まぁただの点々に見えれば全体しか見ないから、カレイ・・・としか見ないし、これ何で出来てるの?と近寄った人は、見えるかもね。

その時に細かくても凄い・・・って言う可能性があるが、更にウロコに気が付けば、飾り包丁的に見えるかもね。ただこうすると、もうカレイだけじゃ済まないのね・・・だから大変なんだけれど。でも凄さってそう言うもんなのね。

ただこの作品の中のメインな存在だから、ここを切り抜ければ・・・グレードはある程度保たれるのね。


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