朝から凄い雨が降ってて、いつもの口癖・・・折角雨なんだから・・・って事で、先日、傘が壊れちゃって新しいの買ったからデビュー出来るし・・・・
何か言う事が、そこらの女子以上に女子力あるでしょ?・・・・あはははは、そんな所だけなんだけれどね。
さて昨日は流石に何だ?ここ・・・モザイク教えてんじゃないの?ってな話になって、すっかり気持ち悪い感じになっちゃったとは思うけれどね、ある意味それもあってもおかしく無いと思うのね・・・何故なら俺は一体何のどんな先生なんだろうか・・・?そりゃモザイクの先生でしょ?って聞こえそうだが
でも実は作家katsuでもあり、その作家って言うのもきちんと認められる芸術家って言うのになりたい・・・と、うたっているのね。
そうね、良くある捕まった時にテレビで自称芸術家って言われないようにね・・・。
じゃ仮に今は自称芸術家程度扱いだとしてね、物事って言うのは意外と単純で認められるって言うのには、1つ目のパフォーマンスをネットでドーンって言うのもあれば、コツコツ苦節10年なんて言うスタイルもある。って事は、俺があるとしたら後者って事になる。
では苦節って何だ?・・・となると、ある時、誰かに過去を振り返って貰ったりする訳で・・・。何これ?ってね。すると、その1つから興味を持たれた事がどんどんとお芋掘りのようにズルズルとあれもこれも・・・ってな形で知られたら、本当に凄いものならば次々と見たくなる。
それがもし同じようなものなら、1.2個見れば同じなんだから目新しいものは出て来ないのだから、興味は途切れる。
いずれにせよ、今は自称な感じのものが、もし認められる事になったとして・・・・すると、その日から自称では無くなる事になる。
ただそれは知られた事により、欲しいと思う人が増えれば、どんな仕事でも適正価格以上に付加価値が付く。それが芸術と言うのなら、単なるチケットでも何倍にもなるのだから、資産価値なんて付いたりもする。別に驚く必要も無い話なんだけれど・・・。
ただそれは単に実力を認められただけで、知る人が増えた事で上手い事、凄い事が広がっただけ。つまりそう言う事ありきで認められたって事になる。
がしかし、実際は売れたら認められた事になるのだから、テレビで知られているとか、浮世離れに稼いでいるとかになってから、凄いって話になる。
つまり感覚としては、普通は売れたから凄い・・・・って思われる事が多いが、実際は凄い事がオープンになっただけで、凄いから売れたなのね。
本来、良くあるパターンだと、インディーズで何年・・・みたいにいつデビューしてもそこそこ売れる人を、しっかりしたファンを固めた上で、
デビューさせる方法はかなり支流で、昔のように宣伝広告料を掛けて一挙に露出なんて時代では無く、そう言う一挙って言うのはネットでやって見た・・・って方法もある。まっ、いずれにせよ、出来る事はコツコツやってはいるんだけれどね・・・・あはははは。
話は戻して、仮にその日が来れば、芸術家が教える教室って看板になるだけで、今は、この程度です・・・いかがですか?って看板を出しているだけ。
つまり売れようが、売れまいが、凄いと表現されようがされまいが、俺の問題では無く人の評価であったりする訳で。
それでね、要するにこう言う事を踏まえて、モザイク先生ならテクニックを教えるだけで良いと思うのね・・・それが普通だから。
でも、もしそうで無い事も教える事が出来たら?・・・・ではその人と違うって何?って言われれば、芸術ってなんぞや?って話になる。
これは売れようが売れまいが持論なんで、変化はするかも知れないが、ベースは読んで字のごとく、まずは芸。これを伝統ってスタイルなら、誰かに習いその伝統を受け継ぐ・・・そう言うスタイルと、その人独自のやり方で、その人ならではの・・・ってスタイルが簡単に対比としてある。
伝統とは、己の意見などどうでも良く、受け継ぐになる。全てが同じになるように・・・それが後者は独自のやり方で固定はしない。
では次は術。ほら魔法でも掛けられたようでしょ?・・・・。何々のような・・・これを前者では本物があっての本物のような・・・になる。
つまり真似。そっくりって話。これが後者では、独自・・・それこそがオリジナルで、何かに似せるでは無くて、デザインやら何やらの新しいと思われるものを良しと認めて貰う・・・そんなやり方があったりすると思うのね。
前者を取るのなら、写真でも観て、似ているか?似ていないか?になる。芸を身に付け術を使うとでも言うのかな?そっくりになるようにね。
それが後者はゴシック様式の中、たった1人で化け物屋敷のような家にリフォームしたガウディのような、恐ろしいくらいの個性・・・・。
こう言えば判りやすいかな?・・・・こう言う対比があると思うのね・・・ひとことで芸術って言っても種類がね。それでね、俺は誰にも習っていないから、これが正しいとか言うつもりも無いし、何処でどうやろうと勝手だとは思うのね。
ただ俺はそこに情緒なんてもんが必要なんで、作家katsuとしてはそう言う事を大事にしてやっているのだけれど、そもそも一体、生徒さんはどの程度の作品を望んでいるのか?になるでしょ?・・・・その時にきちんと道具が使えるようになれば、その技術を持ってして情緒なんてのも良いが、
タイルを切った事が無い人に情緒なんて出せる?いらないよね・・・だけど風味くらいなら・・・・なんて教え方もあるでしょ?きっと。
でも限られた時間の中なんて事になると、やりたい事とやれる事は違って来る。
そうかと思えば、別に情緒なんてどうでも良い人だっていると思うのね。それならある程度経験すれば、誰でもそこそこ出来ると思うのね。
だってネットで探せばいっぱい先生は出て来るからね。先生と名乗るに値するかどうかは別にしてね・・・・。
要するにその程度のモザイクなら、もう俺の教える事はほぼ無いし、そこで留まったとしても、ここで何年も続いた人なら人にあげても恥ずかしい作品にはならないだろう。だからそれも良し。ただ、今のカルビのように、新作は今までとは違う作品になるな・・・きっと大変だろうな・・って時、
先生としてやれる事は、これを完成させたいな・・・・って思える最高の準備をしたいのね。こう言う一皮剥けるかも知れない作品って言う時は、
いくらか情緒って話も必要な人もいる・・・・これが相席のぼーなら、まだ子供って事で、頑張れ・・・でも良いが、カルビは年上。
そんな事もこんな事を踏まえて、大人な分、教える事を少し変えよう・・・・って話なのね。それがもし正しければ、ものの考え方としてオリジナルとは、そう言う考え方があって・・・・それでどうする?貴方は・・・・ってやり取りをし続ける事になる。
それが自分を語る練習だとしたら・・・・オリジナルとは自分自身・・・・人と違うと言う事は・・・個性と言うのは・・・?
そう言う事に繋がって行くと思われるのだけれど・・・・。後は来る人が決める事。
ただあくまでも続いた人の話しで、最初の頃は楽しくのみ。時間の中でそこそこ結果を残す・・・これだけ。あはははは。
そんな長い枕になったが、カルビの作品が時計って事で最初は100円ショップの時計を分解して付けようとしたが、こんなに下絵に時間を掛けている。
きちんと今までとは変わって来た事も踏まえて、それじゃ俺も・・・・ってかぐやに調べて貰って確認の上、しばらく振りに習志野のユザワヤに時計や針を買いに行く事にしたのね。折角雨だし・・・・。
まぁ変わったのね・・・・品揃えが。ご年配の方が多い事もあって、布や刺繍のコーナーばかり。それと何だっけ?首からぶら下げたり、腕とかに付けたりって・・・正式名が判らないので総称してアクセサリーの材料とするが、そんなコーナーも幅を利かせていた。
かぐやにその品揃えを話すと、当然、物作りの好きなかぐやは敏感で流行を知っていたりしたが、時々、私だって行かないと判らない・・・と言っていたが、そもそも俺は男だし、かなりのハンデをしょっているのだから、正直ビックリしたのね・・・・。こんなに片寄っているとはね・・・って。
ここだけ見ても、物作りの年齢が見えた気もするし、保守、革新って話みたいにも見えたし、いずれにせよ、刺激にはなってアトリエに戻る・・・。
そんなこんな事もあって、下絵の是正をする事になり、次のお教室も下絵の続きになるかも知れない・・・・。
何か言う事が、そこらの女子以上に女子力あるでしょ?・・・・あはははは、そんな所だけなんだけれどね。
さて昨日は流石に何だ?ここ・・・モザイク教えてんじゃないの?ってな話になって、すっかり気持ち悪い感じになっちゃったとは思うけれどね、ある意味それもあってもおかしく無いと思うのね・・・何故なら俺は一体何のどんな先生なんだろうか・・・?そりゃモザイクの先生でしょ?って聞こえそうだが
でも実は作家katsuでもあり、その作家って言うのもきちんと認められる芸術家って言うのになりたい・・・と、うたっているのね。
そうね、良くある捕まった時にテレビで自称芸術家って言われないようにね・・・。
じゃ仮に今は自称芸術家程度扱いだとしてね、物事って言うのは意外と単純で認められるって言うのには、1つ目のパフォーマンスをネットでドーンって言うのもあれば、コツコツ苦節10年なんて言うスタイルもある。って事は、俺があるとしたら後者って事になる。
では苦節って何だ?・・・となると、ある時、誰かに過去を振り返って貰ったりする訳で・・・。何これ?ってね。すると、その1つから興味を持たれた事がどんどんとお芋掘りのようにズルズルとあれもこれも・・・ってな形で知られたら、本当に凄いものならば次々と見たくなる。
それがもし同じようなものなら、1.2個見れば同じなんだから目新しいものは出て来ないのだから、興味は途切れる。
いずれにせよ、今は自称な感じのものが、もし認められる事になったとして・・・・すると、その日から自称では無くなる事になる。
ただそれは知られた事により、欲しいと思う人が増えれば、どんな仕事でも適正価格以上に付加価値が付く。それが芸術と言うのなら、単なるチケットでも何倍にもなるのだから、資産価値なんて付いたりもする。別に驚く必要も無い話なんだけれど・・・。
ただそれは単に実力を認められただけで、知る人が増えた事で上手い事、凄い事が広がっただけ。つまりそう言う事ありきで認められたって事になる。
がしかし、実際は売れたら認められた事になるのだから、テレビで知られているとか、浮世離れに稼いでいるとかになってから、凄いって話になる。
つまり感覚としては、普通は売れたから凄い・・・・って思われる事が多いが、実際は凄い事がオープンになっただけで、凄いから売れたなのね。
本来、良くあるパターンだと、インディーズで何年・・・みたいにいつデビューしてもそこそこ売れる人を、しっかりしたファンを固めた上で、
デビューさせる方法はかなり支流で、昔のように宣伝広告料を掛けて一挙に露出なんて時代では無く、そう言う一挙って言うのはネットでやって見た・・・って方法もある。まっ、いずれにせよ、出来る事はコツコツやってはいるんだけれどね・・・・あはははは。
話は戻して、仮にその日が来れば、芸術家が教える教室って看板になるだけで、今は、この程度です・・・いかがですか?って看板を出しているだけ。
つまり売れようが、売れまいが、凄いと表現されようがされまいが、俺の問題では無く人の評価であったりする訳で。
それでね、要するにこう言う事を踏まえて、モザイク先生ならテクニックを教えるだけで良いと思うのね・・・それが普通だから。
でも、もしそうで無い事も教える事が出来たら?・・・・ではその人と違うって何?って言われれば、芸術ってなんぞや?って話になる。
これは売れようが売れまいが持論なんで、変化はするかも知れないが、ベースは読んで字のごとく、まずは芸。これを伝統ってスタイルなら、誰かに習いその伝統を受け継ぐ・・・そう言うスタイルと、その人独自のやり方で、その人ならではの・・・ってスタイルが簡単に対比としてある。
伝統とは、己の意見などどうでも良く、受け継ぐになる。全てが同じになるように・・・それが後者は独自のやり方で固定はしない。
では次は術。ほら魔法でも掛けられたようでしょ?・・・・。何々のような・・・これを前者では本物があっての本物のような・・・になる。
つまり真似。そっくりって話。これが後者では、独自・・・それこそがオリジナルで、何かに似せるでは無くて、デザインやら何やらの新しいと思われるものを良しと認めて貰う・・・そんなやり方があったりすると思うのね。
前者を取るのなら、写真でも観て、似ているか?似ていないか?になる。芸を身に付け術を使うとでも言うのかな?そっくりになるようにね。
それが後者はゴシック様式の中、たった1人で化け物屋敷のような家にリフォームしたガウディのような、恐ろしいくらいの個性・・・・。
こう言えば判りやすいかな?・・・・こう言う対比があると思うのね・・・ひとことで芸術って言っても種類がね。それでね、俺は誰にも習っていないから、これが正しいとか言うつもりも無いし、何処でどうやろうと勝手だとは思うのね。
ただ俺はそこに情緒なんてもんが必要なんで、作家katsuとしてはそう言う事を大事にしてやっているのだけれど、そもそも一体、生徒さんはどの程度の作品を望んでいるのか?になるでしょ?・・・・その時にきちんと道具が使えるようになれば、その技術を持ってして情緒なんてのも良いが、
タイルを切った事が無い人に情緒なんて出せる?いらないよね・・・だけど風味くらいなら・・・・なんて教え方もあるでしょ?きっと。
でも限られた時間の中なんて事になると、やりたい事とやれる事は違って来る。
そうかと思えば、別に情緒なんてどうでも良い人だっていると思うのね。それならある程度経験すれば、誰でもそこそこ出来ると思うのね。
だってネットで探せばいっぱい先生は出て来るからね。先生と名乗るに値するかどうかは別にしてね・・・・。
要するにその程度のモザイクなら、もう俺の教える事はほぼ無いし、そこで留まったとしても、ここで何年も続いた人なら人にあげても恥ずかしい作品にはならないだろう。だからそれも良し。ただ、今のカルビのように、新作は今までとは違う作品になるな・・・きっと大変だろうな・・って時、
先生としてやれる事は、これを完成させたいな・・・・って思える最高の準備をしたいのね。こう言う一皮剥けるかも知れない作品って言う時は、
いくらか情緒って話も必要な人もいる・・・・これが相席のぼーなら、まだ子供って事で、頑張れ・・・でも良いが、カルビは年上。
そんな事もこんな事を踏まえて、大人な分、教える事を少し変えよう・・・・って話なのね。それがもし正しければ、ものの考え方としてオリジナルとは、そう言う考え方があって・・・・それでどうする?貴方は・・・・ってやり取りをし続ける事になる。
それが自分を語る練習だとしたら・・・・オリジナルとは自分自身・・・・人と違うと言う事は・・・個性と言うのは・・・?
そう言う事に繋がって行くと思われるのだけれど・・・・。後は来る人が決める事。
ただあくまでも続いた人の話しで、最初の頃は楽しくのみ。時間の中でそこそこ結果を残す・・・これだけ。あはははは。
そんな長い枕になったが、カルビの作品が時計って事で最初は100円ショップの時計を分解して付けようとしたが、こんなに下絵に時間を掛けている。
きちんと今までとは変わって来た事も踏まえて、それじゃ俺も・・・・ってかぐやに調べて貰って確認の上、しばらく振りに習志野のユザワヤに時計や針を買いに行く事にしたのね。折角雨だし・・・・。
まぁ変わったのね・・・・品揃えが。ご年配の方が多い事もあって、布や刺繍のコーナーばかり。それと何だっけ?首からぶら下げたり、腕とかに付けたりって・・・正式名が判らないので総称してアクセサリーの材料とするが、そんなコーナーも幅を利かせていた。
かぐやにその品揃えを話すと、当然、物作りの好きなかぐやは敏感で流行を知っていたりしたが、時々、私だって行かないと判らない・・・と言っていたが、そもそも俺は男だし、かなりのハンデをしょっているのだから、正直ビックリしたのね・・・・。こんなに片寄っているとはね・・・って。
ここだけ見ても、物作りの年齢が見えた気もするし、保守、革新って話みたいにも見えたし、いずれにせよ、刺激にはなってアトリエに戻る・・・。
そんなこんな事もあって、下絵の是正をする事になり、次のお教室も下絵の続きになるかも知れない・・・・。