katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

KAMEYAさん教室と慶應労作展

2015-09-27 06:33:44 | モザイク教室
今日はkameyaさん教室で参加は3人。それではまずは棟梁から。前回のカルチャーをお休みしたんだけれど、すでにお遊び小物作品を2つ張り終わっていたらしく、目地をして完成したのね。これが最近大作ばかりなので完成って中々作れていないので、何か見る方も新鮮なのね。

ただこれだけ上手いと総評もちょいと厳しくすると、本人はこの後紹介するおかみさんのやしの木の仕上がりが素敵・・・失敗したぁ・・・と悔やんでいたんだけれど、俺の見解はそこでは無くて、ホヌの中なのね。ここに同じ色でハートが入っているんだけれど、同じ色でやっている事を考えると、

隠そうって気持ちがある。まず隠す気であるのなら、もっと擬態の昆虫のような気持ちになる事。色は統一したんだけれど、形が片方は3個で片方は1個・・・ここを左右対称にならないようにいびつな形にしたとしたら?もっと判りづらくなるとは思わない?

それが色だけに頼らないって考え方ね。それと次は色。これをバックの水色に変えれば、景色と同化する事でもっと隠す事が出来るはずだし、テクニックと言うならまだこんな事が出来た作品と言えるだろうね。そうするともっと色がかぶらずに貝が目立つと思うのね。

そうは言いつつ、流石に完成度は良いと思うのね。ある意味上手くなった人への更なるアドバイス。それが更に小物だと・・・


これじゃ言う事無し。ほらこっちはハートが隠れているし、眼も口もお腹もきちんと色を変えてあって仕上がりも良い。こんな小物でも上手いとチョコザイなテクニックで個性を出そうとするのね。あはははは。要するに小さいスペースで自由が少なければ、やれる事は限られる。

だから体験の人なら目を丸く切って後はクラッシュ・・これでもちゃんとカエルに見える。それを経験者になると、眼を丸1つでやらずに白目なんて入れる工夫をする事でより表情が付く。当然、細かくしっかり切る事がテクニックとなる。つまり上手い人と体験の違いはパーツの綺麗さとアイデアになる。

仮に体験の人のアイデアが優れていたとしても、その通りに切る技術が追い付かない。それを経験者はすんなり切る。技術の違いとはまずここ。
その切る技術をある程度会得すると、今度は大事なのはその切る技術に見合ったアイデアが必要になる。

つまり棟梁のこの2つの作品で判るのは、まずカエルの作品には眼にアイデアを考える事が出来て、その考え方としてはどんなカエルに見せようとするか?例えば棟梁の作品が可愛いを見せようとしたのなら、じゃ他には仮に悪く見せようとしたとするのなら、サングラスを掛けるとか、より悪く見せるなら、

口にタバコや葉巻を加えれば悪さもより増すだろうし、悪いアイテムって何だ?って事なら、ピンクは選ばないだろうし・・・って、一体どうする?って考える時には、まずシンプルにどうしたい?と考える事。単純にね・・・だから、可愛いとかチョイ悪とか、女の子とか男の子とか・・・そんな感じにね。

そしたら、その後によりそれに見せる為にはどんなアイテムが必要?って考えるのね・・・・ここは広げて考えて、やりたい事とこの中で出来る事を振り分けるのね・・・そんな感じにすると意外と簡単に絞られるのね。そう考えてカエルに当てはめれば出来る事は限られるのね・・・。

だってこのスペースだから。でもこれがホヌの下地で棟梁ともなると、太陽、やしの木、カニに貝、ヤドカリにハート・・・本人はまだ入れられるって言ってたからね・・・あはははは。これが体験なら彫ったホヌに頼って後はクラッシュでもそこそこ完成度は上がるようにしてあるけれど・・・。

もはやホヌは完全にトッピングになっているのね・・・あはははは。やっぱり上手いって凄いのね。ではそんな人が本気を出すと・・・


でもこれもある意味、遊びで気楽な作品であって、本気なのは犬なのね。まぁ上手くなったのね。それではおかみさん。


まぁこう比較すると面白い事が判るのね。そもそもご存知な人なら覚えているだろうけれど、本来思い切りの良いのは棟梁で、メインがドンと行って後はバック・・・って感じだったのね。それがおかみさんは、メインはどれ?って位、アイテム満載だったのね・・・あれ入れ替わって無い?

おかみさんがドンとハイビスカス。しかも赤。メインはこれでしょ?って判るよね?そうなのね・・・2人共ちゃんとお互いに足りなかった事を小物でチャレンジしているのね。あの色んなアイテムを満載にするおかみさんがたったの2つ・・・やしの木にハイビスカスだって・・・・お見事。

良く我慢したのね。そしてちゃんとメインを見せて来た。メインって言うのはこう作る・・・良く出来ていると思うのね、そうね、そう考えると、もしおかみさんが棟梁の作品をやったら?・・・・って考えたら、雲とかかもめとか右端に作るかもね・・・何せ本来満載の人だからね。

ただ逆に棟梁はメインがドンの人だから、良くこの狭さの中にあっちもこっちも盛り込んだのね。メインを作ったら後はバック・・・じゃなくて、スペース次第ではバックを充実させる事も出来る・・・って良い例なのね。そんなおかみさんの本気の作品は・・・


そうね、ここまで出来る人はきちんと切れるからきちんと切らない事。花びらはレロレロってラインなのね・・・あはははは。だからスパーンって切らないで、レロレロってクネクネってそんなラインを生かす。いずれにせよ、意識はきちんと・・・では無く、花を作っている・・・ここ。

そんな繋がりで次の方。


今日は木を中心にやったんだけれど、左が最初にやった木。きちんと同じパーツで幅のみをしっかり守っている・・・・。ではそんなにきちんと幅を気にするようになったのなら・・・・って右の木の時にアドバイスは同じパーツでは切らない。木はデコボコしているはず・・・。

だから、ゴツゴツ感を出す為にも四角く切らない・・・そして遠近感を出す為にも小さい所から裾に掛けて大きいパーツにして行く。そんな意識を持って・・・・その上に少しだけメインの色にトッピング程度に違う色を入れる事・・・・更に縦に長いものは横向きなパーツでは無くて、

縦に長いパーツを多くする事・・・・こんな意識を持って・・・・あくまで木を作る事。こんなアドバイス1つでこうも変わるのね。
ただ問題なのは1ヶ月に1回の人に、これ以上進まなくなるアドバイスは、質は上がるだろうが進まないのは過酷過ぎ・・・・になる。

楽しみだけなら、左で十分たけれど、上手くなりたい・・・って言うのなら、ここが分かれ目。これが自宅でもやってくれるのなら、何の問題も無いけれど、ここのみとなると、これ以上の進行具合の妨げになるアドバイスはしずらい・・・・。

ただ、そう言う意識は徐々に付いて来るもので、この作品が最後までたどり着く事が出来たのなら、何かが大きく変わるのね・・・・。
そんな中、みどりからメールが入った・・・・見なくても労作展の結果報告・・・・2人共受賞で更に特別展示のハンコ付き。お見事なのね。

まっ能書きはともかく画像ね・・・。




まぁほっとしたのね。何しろ学校の先生はモザイクはきっとやった事が無いだろうが、それを評価して貰うのだから、判って貰えるかどうか?は不安はある。教えた者としては質として全く問題の無いものにはなっていると思うが、正直評価は別物。そう言う意味でも何よりだった。

そんなこんなでアトリエに帰ってメール確認をするとお礼のメールが入っていて、1人はおめでとうの返信して・・・unidyへ下地作り。


そうそう、これをkameyaさんでみんなに見せたら、8個作って欲しい・・・・って。おぉ反響あるじゃん・・・って事で、9時までやって・・・・
そんな後に、ロンと電話で話せたのね・・・・おめでとう・・・良かったね・・・・先生のお陰です・・・いやいやプレーヤーの頑張りだよ・・・

そんなやり取りをして、人はどう言うか判らないけれど、今日1日は天狗になりなさい・・・やった・・・良しって・・・。そしてまた来年も・・・って明日の朝は忘れて1から・・・・って。こんな事が切り替えだと思うって。

昔、テレチャンで優勝した時の祝勝会の時に、ディレクターさんにおめでとう・・・凄かったって言われた時に、いえいえそんなでも・・・とか、みんな凄かったし・・・・運が良かった・・・・とか、そんなセリフしか言えなかった時に、1回なら謙虚に思えるが、何回もだと鼻に付く・・・って、

言われたのね・・・。そこでしばらく考えて・・・・ん・・・・じゃ褒められた事が無いんで、どんなリアクションが正しいか判りません・・・と言ったら、それじゃ有難うございます、また頑張ります・・・で良いんじゃないかな?って。教えて貰ったのね。

これから俺達は貴方に負けた人達と慰労会に行かないとならない・・・それなのに勝った人がそんな事じゃ、貴方に負けた人が浮かばれない・・・と言われて、俺はあれを一生忘れない。それから俺はそれなら、もっと上に行って、俺に負けたなら仕方無い人になりたい・・・って思うようになった

そんな事も踏まえて、良く負けて得るものがある・・・・なんて甘っちょろい事を言う人がいるが、勝たないと判らない事もあると言う事。
それを運動なんて・・・とか、音楽なんて・・・・、美術なんて・・・・と言い訳をする奴がいるが、大抵そう言う奴は勉強が一番と位置づけする。

けれど果たしてそうだろうか?本当に。例えばかぐやの娘。最初は成績も良くて、もしあのままそこそこの成績で、そこそこの学校に入っていたら、そこそこの美術部程度で終わっていただろうね・・・・普通に思い出作り程度にね。でも、いつしか絵の学校に行きたいとなり、今の結果になる。

ある意味、勉強のキャリアよりも浅い時間で見事現役合格となった。こう言う結果の場合、学力としての成績は落ちたものの、そこから自分の道を見つけ出し、挫ける事無く手に入れた結果。こう言うのなら、負けて手に入れるものがある・・・の事例の1つでもあるかも知れないが、

そもそも2人はアトリエに何回も来て、塾にでも来ているように制作していた。その時点で本気さ加減が尋常じゃない感じじゃないのかな?
単なる夏休みの宿題程度なら、こんなにやる必要は無いし、言い方を変えれば選ばれるような作品を制作していた事になる。

つまりやり過ぎ。だって選ばれてしまっているじゃん。人並みで良いなら選ばれちゃダメでしょ?それは自分に甘過ぎるって話になる。そんな事は無いです・・・賞なんて狙っていません・・・は言葉としては謙虚であるが、やっている事は人一倍やっていたからこそであり、

ロンはまた伺います・・・って言うので、それなら・・・とこんな話をしたのね。賞を決めるのは先生。だからそんな事は意識しても仕方無い。
でもね、賞に値する準備をしていたか?どうか?は己次第。つまり賞を取る・・・では無く、賞を貰って相応しいかどうか?

ラッキーって言うのなら、そんなラッキーな奴に取られてしまった本気でやったけれど落ちた奴は気の毒に思えるし、そうでは無くて、落ちようが貰おうが、やるからには胸を張って頂ける準備・・・ここ。偶然では無く必然にする・・・何せ来年は受賞した人で迎えるのだから・・・。

しかも、落ちて嬉しい事は無い。取った奴は取った苦しみもある。しかも、勉強があり、クラブ活動がある。モザイクはロンに取って何番目に大事な事なのか?・・・・その中での全力。それを他の時間を取ってもやるのなら、勉強でもクラブ活動でも無い、もっと下の時間から捻出しないとならない

・・・・そうなると、遊ぶとか、テレビとか、ゲームとか・・・・自由時間が無くなるかも知れない。辛いよ・・・きっとね。いずれにせよ、最初からチャカチャカっと間に合わせでやれば、そんなに苦しむ事は無かったのにね・・・って言い方もある。

でも、折角頂いたのなら、そう言う真摯な向き合い方があるはず。折角苦しむ事になったのだから。正直、今年は1年だったからクラブ活動だって期待は少ないが、2.3年になった時には、責任だって負う。勉強だってその疲れた体ではきつい。けれど子供なんだから遊びたい・・・・。

そんな中にモザイクなんて・・・・だからこそ、頑張っているのだから結果が報われた日くらい、天狗になって良い・・・自宅で高笑いの1つもしてみ・・・って言う事に繋がって行くのね。そしてまた朝が来て、いつも通り・・・それこそが生活のメリハリだったりするのでは?

そんな事は人と違って当然だし、選ばれしき者とは?・・・結果のそこそこの俺程度じゃ説得力が無いが、いつかその日が来る時に向かっての準備をきちんとして来たかどうか?であって、それなしで結果なんぞ付いてくるはずが無く、もし偶然結果が出たとしても2度は続かない・・・・。

何にしても伝える事は伝えたので、もう一度、ロンにも俺にもおめでとう・・・・って気持ちで締めた。そしてまた明日へ・・・と。
さてそんな話を考えると、何百時間も使っての夏季集中の子供教室って、お母さん達には酷な話だよね・・・・。

だって、奴らは上げ膳据え膳だし、掃除も無く、世話も無し・・・モザイクのみで良い。これがみんなは働いていたり、世話をしている中での、合い間合間の製作・・・・何かそんな人達に、奴らのように時間が使えたら?・・・・どんな凄い作品になるのか?・・・・見て見たいのね・・・・。

本気でやると子供とは思えない・・・そんな作品になる。続けてやれば忘れる事無く身に付く。夏期講習とは特訓なのだから・・・・。




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