今日は昼過ぎにかぐやを羽田に迎えに行く・・・ってスタート。実は明日、沼津港深海魚水族館へ作品を持って伺う事になっていて、そんな訳で先日メンテナンスをしていたんだけれど・・・今日はプチプチで梱包。どんな話になるかは判らないけれど・・・。はてさて。
今日は昼過ぎにかぐやを羽田に迎えに行く・・・ってスタート。実は明日、沼津港深海魚水族館へ作品を持って伺う事になっていて、そんな訳で先日メンテナンスをしていたんだけれど・・・今日はプチプチで梱包。どんな話になるかは判らないけれど・・・。はてさて。
昨日、さくらに引出しの補修を頼まれて、簡単な事なら・・・と引き受けたんで、今日はその補修から。ただそんなのやった事は無かったんだけれど、もしやって見て出来なかったら諦めてね・・・って保険を掛けてのチャレンジだったが、本当にヤバかったら、大家さんもいるし・・・。
相談すりゃ何とかなるだろうって気持ちで、やって見ると、昼には終わって、ちょっとした息抜きになったのね。そんなこんな時間の後は、また金魚の壁画なんだけれど、ずっと半分だけで考えていたんで、面倒ではあるけれど、2つ合わせて見たのね。ただ余りに大きいから、こうして出すと、
身動きが取れないのね。だから方向性と大雑把な下絵を描き込めば、また半分にするとして・・・一応、和風で水っぽい模様は入れる・・・って位は決めてあるんだけれど、その程度なのね。そうね、例えば図鑑だったとすると、趣旨は全体像を見せて、こんな生き物だよ・・・ってたった1枚の画像
で見せようとするから、全部同じ向きで、大きさを変えたりするのね。だから例えば魚図鑑だとしたら、みんな同じ向きで、もはやまな板の鯉状態で、死んでいるみたいになっていると思うのね。それを何かの挿絵チックになると、くじらはこんなに大きい・・・みたいに見開き全部にめいいっぱい、
泳いでいるシーンや、ジャンプしていたり、群れで泳いでいたり、いかに動いているか?みたいに、生態も踏まえた感じにも見えるようにしたり、図鑑とは変化して来るのね。それが童話の挿絵となると、ピンクのゾウだったり、羽が生えていたり、ファンタジーの世界なら有り得ない事になる。
こうした違いが色々あるんだけれど・・・一体どんな世界観で作りたいのか?って事になるのね・・・オリジナルなんだから、それを考えないとならないのね。んで、その時に大抵、俺の場合、家族の人数を取り入れたりするのね。そうね、先日のモンステラの玄関にしても、俺より年齢が上のご夫婦
で打ち合わせをしていたんだけれど、途中で旦那さんが、2人の意見がまとまらなくなるから、あいつの要望を聞いてやって・・・って言われた事から、下絵の段階で、2枚重ねようと思っていたのね。なるべく下の葉は大きめにしてね・・・。
旦那さんが背が高い方なんでね。スペースが狭い分、あれこれとは入れられないからね。では今回の場合は、旦那さんの趣味の金魚で、全てそこで飼育されている品種なのね。それと頼まれた時は4人家族だったが、5人になった・・・みたいな話で、金魚の数を合わせたりして・・・。
時間が経ってしまうと、そんな事も起きたりする。しかも、打ち合わせに色々問診をしたんで、家族の名前やなんかから、ゆかりのある事を広げて、その子供達や奥さんにも、これが自分・・・みたいに判るように、金魚のモチーフを使ってファンタジーな世界観で作ろうと思っていたのね。
その時に、旦那さんの名前に竜が付くんで、竜眼とか穂竜なんて、金魚の品種があるので、それを目にして、竜を描こうとしたのね。それを水に見立てて、4匹を守っているように・・・所が、丸い金魚は好きじゃない・・・って言うのと、ウチの品種で・・・って事なんで、却下になり、それなら
余計な事は要らないな・・・と数だけ合わせて、似ている・・・のみに徹しようとしたのね。つまりレシピ、図面、楽譜の方向ね。余計な考えは一切要らない。ひたすら徹する方向で。所が当然、バックがこうして多く残る事になる。じゃどうする?って事になると、既に却下をされているから、
当然消極的になるし、既にもう限界はとっくに超えている状況な時間の掛かり方。そうね、例えばブンブン振り回す、一発狙ってホームランとか、キーパーもゴール前で攻撃とか、捨て身の技を掛けに行くとか、もうそう言う体力は残っていない感じだと思って貰うと良いかな。
つまり、リスクは追わないから、どうしても勝ちに行くのでは無くて、後は引き分けでOKだから、無理せず攻撃せず、パスを回して時間潰し的に、余計な事はせずに、金魚が綺麗に見えれば良い・・・プラスになるように・・・では無くて、マイナスにならないように・・・の考え方になる。
何せ、まだ1匹半も残っている状況なのだから。はてさてどうすっかな?・・・って事なのね。まぁ古典的な和風の水の模様を使って、金魚の邪魔をしないように・・・動いている金魚の上乗せになる模様って感じに・・・まだしっくり来ないんで、それじゃ息抜きがてらに・・・と両親誘って花見。
って事に・・・ただ、朝の補修の乾きを見て、さくらの家に届ける道中に、靖国神社あたりだけ咲いてた・・・から、ただ届けるだけだと、さくらが気にするし、それじゃ退屈な老人の息抜きと、アイデアに行き詰まってる俺の息抜きと、お届けを合体すれば、わざわざじゃ無い訳で・・・。
これなら誰も苦にならないし、気を使う必要も無いのね。そんなこんなで、単純にさくらにお届けで、桜も見たし・・・それなら水に桜の模様は入れとくか・・・って話。一見馬鹿馬鹿しそうな話だけれど、どんな作家もこうした日常に落っこちている話を拾い上げているだけなのね。
後はそれをどう表現に加えるか?になるのね。ただ、水に桜の花びらが浮かんでいる・・・なんてのは、恋愛の歌で、愛してるとか、好きとかって言葉を使っているようなもので、いくらでもそんな歌も絵もあるのね。だからそのままなら単なる使い回し。何か工夫しないとね。
そうね、ただ例えば俳人とか、絵描きが、日本中回って旅の中で、創作して行くなんてのもあるが、あれはそれだけの資金や、帰る家があるような余裕がある人のやり方で、俺はそれをエリートって呼ぶのね。つまりその逆に生きる者としては、カトレアじゃ無くてたんぽぽみたいな話で・・・。
それを野村監督は日向の長島、王さんを向日葵と例え、自分を月見草と表現をしたのね。まぁそうなるわな。って事になると、芸術一家に生まれた訳じゃ無いし、学校も出ていないのだから、月見草側になる。勿論、成功者の野村さんと同じって訳では無く、そっち側の末端ね。
向日葵側じゃ無いって事ね。そうね、それもこれも同じ話で、健康な時は日々の暮らしの有り難さなんて考えもしないが、あれこれ失うと、あったことの有り難さを振り返る。振り返ると後悔する。これを先人から習ったんだけれど、それを感じないのか?感じるのか?みたいな話で・・・。
常に俺は、どっち側にいる?って思ったりするのね。これが簡単に出来るようになると、進級となると、今どっち側?みたいに、状況や環境で簡単に変わって来る訳で。例えば、遠慮が美徳みたいな感覚のみだと、そこに更に上乗せで、気を使うなんて人の場合、どうなるか?なんて考えて見ると、
遠慮するのが良い事とお考えだから、一番端っこにいようとするのね。確かに群れのルールなんか判らないから、転校生っぽくなるからね。その時に、容姿としてカッコいいとか、可愛いって言うと、人は見た目で判断をするから、凄くポイントがアップする。何もしなくても、向こうから人が
やって来るなんて事になる。では逆に自分から話そうとはしない場合、これが遠慮が美徳なら、挨拶にすら行けないなんて事になると、素敵な容姿も無く、愛想も無いから・・・と取られたり、東京から来たとか、地方から来たなんて事で、状況も変わったりもするのね。
俺も何度か出張の時に、東京から来た・・・って話になると、東京から・・・って事になったりしたのね。ただ逆に東京で、東京ですと名乗って、江戸川なんて、もはや千葉です・・・って感じで、状況や環境で大きく変わって来る。勿論、そんなの関係無いって性格なら、自分を押し通す、
フォアード的なスタイルで出来るだろうし、それが全く逆でキーパー側なら、考え方も振る舞いも、大きく変わるのね。同じ勝利を目指したとしてもね。良かれと思って自分を出すと、押し付けにもなるし、逆に気を使って遠慮が美徳なんて言うと、輪に入ろうとしない奴なんて事にも繋がる。
何が良いのか?なんて聞かないと判らないが、相手が自分の利益だけを追求するような人なら、自分が良いのが良いって言うに決まっているし、相手を気遣うような人なら、こちらに利益になるような事にもなる。そんな考え方で言うのなら、冒頭の補修の話も同じで、さくらが気を使う人であるって
前提だから、気を使わせないように気を使わないとならない訳で・・。所がきっとそう思っているだろうから・・・とさくらも考えているだろうから、いちいちこうした説明をして、ほらさくらだけの為にじゃ無くなったてしょ?としてやらないと、こんな事なら頼まなければ良かった・・・。
になる。アホか・・・なのね。それは点で考える考え方なのね。つまりこの事例だけを考えるって考え方。俺は線で考えるのね。一番最初の出会いから、今まで何があった・・・って。しかも弟子だし、作品を作らせて貰ったお客さんでもある。ほら複雑になったでしょ?
お客さんなら気を使うけど、弟子なら師匠の立場で気を使わなくて良いか?って普通ならそう考える事もあるだろうし、上司と部下とか、親方と小僧とか、力関係ってあるでしょ?かと思えば、お得意さんなんて場合とかね・・・何個も作らせて貰えばさぁ・・・ほら複雑。
だからそんな複雑な立ち位置な癖に、ただ気を使えば良くて、遠慮が美徳で生きようなんて、そりゃ単純で楽だな・・・って話。それで良いなら、一番下に身を起き、奴隷寸前まで尽くし、人から良い人ね・・・と呼ばれりゃ良いだけなのね。非常に簡単なのね。後はそこまで出来るかどうか?
それで人生を終えるなら、それも良しだけれど、俺の弟子となると、そもそもが作家なんて名乗って、世に出ようって奴の弟子なのね。そもそも死ねって言われるか、死ぬなって言われるか?のどちらかの選択をされる事が、注目されるって点では一番大事な事なのね。
最悪なのは、パフォーマーとして、へぇーみたいな、記憶にも記録にも残らない普通なんて言う事が、一番最悪なのね。良くも悪くも目立たないと・・・だから、波風を立てる。バンバン立てる。人と違う事をするって言うのは、予定調和のぶち壊しになる。そんな一味の一人なのね。
遠慮が美徳で生きられるはずが無いのね。そして気を使うなんて事がしたかったら、偉くなれだし、資金を持てになるし、一番下に身を置いて、気なんか使えば、最後は奴隷かボランティアしか無いのね。でもそれは、永遠なら奴隷であり、ボランティアならいっときだけの期間になる。
永遠はホラーになり、いっときで終わるなら、ボランティアってのはファンタジー。考え方ってのは、簡単に言うと、こんな感じなのね。だって永遠にになれば、ずっとだから奴隷でしょ?貴方良い人ね・・・と相手の都合に合わせるだけの都合の良い人。ホラーだわっ。それを短期間、時間制限
ありとなれば、街のゴミ拾いイベント、マラソンなんかのイベントの手伝い・・・ほらいつか終わる。終わると終わらないとでは大きな違いがあるのね。それで俺の思う一生付き合いたい人って言うのは、厄介な人なのね。ほらさくらのように、弟子でもあるが、お客さんで、いきなり来たり、
はぁ?って思う事もあるが、面倒な事を起こす人・・・何をすれば良いの?どうしたいの?って、何かの役に立てるのなら、日頃の恩返しの一つでも返せる・・・って思ったりもする。それは俺が家族がいないから、携われる事が有難いって思えるだけで、難って言うのがあるって書いて、ありがたいと
読むのだから、一人で生きていて自分が楽しいならそれも良しだけど、俺はそうは思わないから、難があって、ありがたいと思う。きっと神様が乗り越えられる試練をくれているのだろうと・・・。なんだか瀬戸内寂聴さんみたいな話になっちゃったのね・・・ただそれには、経験値も年齢も未熟だが。
ただ方向性はあっているんだろうな・・・。貧乏って言うのは、身近な事を、出来事がまた明日も出来る事であって、いつかそうで無い日が来るまでの切ない時間でもあったりする・・・だからこそ、出来た事に喜びを感じられる。ただ゜それの繰り返しだと思うのだが・・・。
先日かぐやを送った日に、かぐやの娘が入れ替わるように東京に来た事を知ったので、連絡すると夕方に用事があるけれど、それまで平気って話で、しかも俺も何も無くて・・・って事で新宿で会う事になったのね。まぁいつもなら車だけれど、何処で会う?って事になると、電車の方が会いやすい
かな?と思ってね。そんなこんなで約束の時間の30分前に着いたら、かぐやの娘も5分と変わらずに着いたんだけど、ちょっと手違いがあって、あぁ俺が探すよりも、探して貰った方が良いな・・・って、じっとしていると、かつさん・・・って声を掛けられて・・・。
それが毎回思うのは、こっちは最初に会ったのが40歳位だったと思うのね。その時、彼女は小学生。向こうからしたら、最初からおっさんなのね。でもこっちからしたら、どんどん女の人になって・・・勿論数年前にも会った時も、大人の女の人だったんだけど、その時は初々しい社会人って感じだったが、
今日は中々出来る社会人に見えたのね。こっちはもっとおっさんでいつもの作務衣・・・。確かに新宿駅で見つけやすいけどね。そうね、先日のかぐやのせがれに手伝って貰ったり、不思議に思う人はいるだろうけど、説明は面倒だが、大抵は何とかなったりする。
まぁそれを当たり前とは思わないが、会って貰ったとか、ご馳走出来たとか、お土産持たせられたとか、親でも無ければ親戚でも無いんだけれど、何が出来た事がとても嬉しいのね。何かちょっと大人な事が出来た感じがしてね・・・。それと休日なのね・・・丸々1日仕事をしないなんて、有り得ないのね。
そんな休日にいつもなら3000歩程度なのに、今日は20000歩・・・頑張ったわぁ。そして明日からまた日常。
今日は母の眼科からスタートとなったが、いつものように昼には終わったが、まぁ何とも残念な話なんだけれど、数年後に見えなくなる・・・って言うのね。緑内障の手術をしたんだけれど、もう数ヶ月の頃にきっとダメなんだろうな・・・と思ったりしたが、先生はその内に見えるから・・・と、
言って何ヶ月か経ったが、今日の結果を見て眼圧は下がったけれど、むしろここに来た時よりも明らかに悪くなっているのね。ただ母には申し訳無いが、恐らくダメなんだろうなって思いは消えなかった。正直、結果に付いては別にどうでも良いが、同じ先生って名前で仕事をしている者として、
今日の先生の態度は最悪で、あんな先生にはなりたくないな・・・って反面教師にしようと思った、そんなエピソードは、まず検査を終え診療となるのだけれど、そこに顎を乗せて・・・って言うのね。この先生、馬鹿なのかな?そもそもこの後に、見えなくなる・・・って言うのね。
はぁ?やっぱ馬鹿なんだな・・・そこだの、そっち、あそこ・・・どれも目が見える人との会話で使える言葉なのね。そもそも見えなくなるって言う程、悪いのにそこに・・・って。思いやりのかけらも無いし、きっと手術の腕があるだけの人なんだって事が良く判るのね。
まぁ俺が見て来た、職人達のように酒臭くて、二日酔いだろうが、腕だけありゃ良い・・・あれと何ら変わらない。そんな女医なのね。医者としてもどうか?と思うが、女の人としての気配りも出来ないのだから、生き様も知れている気もする。大体、医者なんだから、一番症状が判っているはず。
なのにその気配りもせずに、そこに乗せての後に、数年後見えなくなる・・・って言ったんだけれど、その後、更に続くのは、急に悪くなったね・・・正直、眼圧下げるしか、私達には出来ないし、そもそもここに来た時から悪かったし・・・もっと早く来てくれればって。
はぁ?やっぱ馬鹿だな。つまりその前の医者が私より間抜けだから、私が最初からなら治せたのに・・・って言う話でしょ?アホ過ぎる。保身しか考えていないのね。大丈夫だよ・・・最初に失敗しても知らないよって書類にOKサインしてんだから、心配すんなっ。ただ手術の結果のサインはしたが、
お前の態度は次はねえぞ・・・次は切れるから覚悟しとけよ・・・って心に秘めての送迎。やっぱり料理もそうだけれど、しっかりじっくり煮込まないと、良い味が出ないんだよね・・・俺も元職人なのね。さてそんな道中は、母のリカバリー。あんな扱いされれば、気持ちも下がる。
ただ治らないのをくよくよしても始まらない。まずは病は気から。大体、医者なんてのは切った張ったが上手い人種であって、心なんて支えない。支えるのは看護師さん。ストレッチャーで運び届けるまで、しっかり・・・とか、気持ちを支えてくれるのは、医者じゃ無く看護師さん。
ただこの話に看護師さんはいないのだから、俺の役目はそこ・・・あのさ、母ちゃんもその内、その内って言われている時点で、こりゃダメだなって少しは思っていたでしょ?じゃ残念だけど、医者がそう言うんだから、その内見えなくなるんだろうね・・・ただ明日とは言わなかったよね。
じゃまだ時間はあるんだろうね・・・常に物事準備ってのが必要だと思うのね。だから見える内に、見えなくなるまでの準備しようぜ。どうしようとか、あぁすれば良かったとか、後ろ向いても何も良い事なんて無いし、病は気から。手術ってのは医者しか出来ないけれど、気持ちの立て直しなら、
俺にも出来る。そもそも子供が3人もいて、みんな協力的じゃん。良かったじゃん。俺は家族もいないんだから、俺なら地獄が待っているんだろうが、大丈夫、何とかなるよ。ただ本人がどうしよう・・・ってばかりだと、結局サポートしか出来ないし、生きる気力を失う奴に何しても無駄だろっ?
それでも生きる・・・って気力さえあれば、目が見えなくなっても喜びの1つ位はあるはずだから・・・それと五感の話な。見えなくなる視覚ばかりに頼らず、聴覚を研ぎ澄ます。触覚で感じる事。まだ使える感覚はある。味覚だってあるし、希望はある。全部ある俺が言うのも何だけど・・・。
ただ何もせずに、ただその日までくよくよして、諦める気持ちでは、支える方も疲れ果ててしまう。俺だってそう。応援される身って言うのは、やって頂いているのだから、やって頂いているのに諦めたり、投げ出してどうする?そんな奴支えたいと思うか?何しろ責めて諦めない気持ちを見せないと
・・・俺はそう習ったと思うんだよね・・・あんたに。三つ子の魂百までなんだから。あんたの教えなんだろっ・・・だからそれでも、お迎えが来るまで、俺達に最後まで生きました・・・って姿見せて死になさい。それまで付き合うから。って言って、お弁当買って一緒に食べたのね。
何が本当の優しさか?俺には解らないが、ただ可哀想とか気の毒とか、一緒に悲しむとか。どれもこれも誰かがやってくれそうだけど、俺しか出来ない事を考えたら、こうなった・・・って事で、母ちゃん、やりたい事がある奴は残酷で薄情な者なのね。じゃこれで仕事に戻りまぁーす。
さてそんな訳で、当然ひたすらペーパー掛け&ペンキ塗りになるんだけれど、ダイオウグソクムシの彫りが、ちょっと甘い気がして・・・コーナンへ。何とか夕方には終わったけれど、その分、タイムロス・・・何とか巻き返そうとするんだけれど、何しろ疲れもそこそこあって、深夜は眠気が
・・・ただ帰る訳には行かないから、ここを通り過ぎれば、またいくらか出来るはず・・・って、少し目を閉じて休憩。ただ寝るほど時間は無いし、気持ちに余裕を持つにもあと一息・・・そんな中、気分転換に後何枚あるのかな?と数えたら、明日何とかなるかぁ・・・って所まで来たんで、
一体正式には全部で何枚あるんだろう・・・って数えると、15枚位、メンダコが少なく・・・追加で彫るかぁ・・・となり、写してから帰宅。
今日は父の実家の茨城と、父の姉さんの醤油で有名な野田の家に連れて行く事にしたのね。そうね、茨城の本家までは1時間半って所かな。そんな訳で、まずは野田から。ここまでは1時間程度なんだけれど、昔とは大きく変わっているから、父はその変りようにビックリしていたが、俺は数年前に
おおたかの森って流山付近の仕事をさせて貰ったり、本家のいとこの旦那さんが大工さんなんで、銘木屋さんを紹介して貰ったりしたんで、ここ数年の間に2、3回は行っているので、この大きな変化は知っていたのね。ただそれでも踏切が無くなって高架になっていたのには驚いたし、曲がり角を
1つ間違えた位だから、あれこれ微妙に変わっていたんだろうね。そんな中、数ヶ月前にいとこが叔父さん夫婦を連れて来てくれた事で会ってはいるものの楽しそうだったのは何よりだったが、俺に取っては大事な思い出があって、それがこれなのね。
タイル屋の頃にお風呂やキッチン、玄関・・・をリフォームさせて貰ったのね。そんな中、これをやったのね。それをいとこが、これで良いんだ・・・ってお前張って行ったんだよ・・・って、話を以前してくれて、すっかり忘れていたんだけれど、あぁそんな事もあったって思い出したのね。
それからここに来た時は、ちょっと気になって見るのね。そもそもタイル屋の頃って言うのは、水平垂直、きちんとちゃんと・・・って張る事が日常なのに、これを張って、これで良いって言ってた・・・その時の俺の気持ちを考えたら、いかにその考え方を覆そうとしたか?
何かを変えようとしたんだろうね、きっと。ただその当時はネットも無いし、ただただ、タイル屋の常識を辞める事だったんだろうね。今からすると、滑稽な話なんだけれど、この常識外れは勇気がいる。これをやった俺も、こんな事をさせてくれた親戚もね。だって変じゃん。
今の俺なら、もっとまともに変にする。もっと素敵にね。きっと自分なりにタイル屋と決別して、モザイクのきっかけになるような・・・ただこれがそのきっかけになったって気が付くのは、いとこにその話を言われて、これを見た時だったけれどね。そんなこんなで次は本家へ。
そうね、野田は確かに大きな変化があったが、茨城はほぼ何も変わっていなくて、昔のままだった。そんな中、いとこだけだったんで、旦那は?って言うと、鉄砲だよ・・・って。そしたらしばらくして、今日は風が強くて駄目だわって帰って来たんだけれど、ハンター仲間から電話があって、
裏山の作業場貸してくれって・・・何かと思ったら、イノシシが罠に掛かっていて解体したいからって。しかも80キロもある大物らしく、こんな機会中々無いと思って、俺も行くって言うと、親父も行くって言うんで、後を付いて行くと・・・。流石に解体画像は嫌な人もいるだろうから話だけ。
でもね、牛肉や豚肉、鶏肉じゃ無くて、こうして牛、豚、鶏を食べる為に、誰かがこうしている・・・って見る良い機会だと思ったのと、同時に棟梁が浮かんだのね。昔棟梁は精肉店をしていたのね。だから毎日数十キロの肉を捌いていたらしいのね。凄いなぁ・・・って。
しかし、イノシシは見た事もあるし、食べた事もあるが、解体している・・・しかも3人係で・・・。まぁ凄いの一言。何か老夫婦同士の会話だったり、お互いに年老いたいとこだったり、町並みの変化が賑わったり、過疎化している場所の対比だったり、こうしたイノシシ解体・・・全てが、
生きるとは?って何かを教わった気がした。そんなこんなで両親を送ってから、少しだけアトリエへ。
今日は2022年最終日。まぁ世間では大晦日なんて言うけれど。ただモザイクを初めてからって事になると、きっと初めて大晦日っぽい1日だったと思うのね。朝から実家で母と焼豚に筑前煮を作り、最後には年越しそばまで・・・以前のようにただ作って貰って食べるだけとは違った1日。
去年からそんな時間をわずかながら作って、母との時間を過ごした。他愛もない、誰にでもあるような、そんな時間をこの20年やって来なかった。って言うよりやれなかった。だから残りの時間からしたら、わずかながらの思い出作りなんだけれどね・・・まぁわずかながらね。
そもそも忙しいって言うのは、普通な話で、売れるって言うのは、その時間がままならなくなる・・・そんな違いがあると思うのね。その日が来るのなら、この時間は無くなるって事になるし、言い方を変えれば、これが出来なくなるようになる・・・って言うのが目標と言う事になる。
それを目指してやって来て、出来なかった事が出来て、普通まで来た。後はその普通が出来なくなれば良いだけ・・・だから、これが最後かも知れない・・・って心の準備が必要な訳で・・・。唐突に来ると、人は何でこうなっちゃったんだろう・・・とか、あの時やって置けばと後悔をする。
しかし、どんなにやったとしても、結局後悔はする。人の欲とは際限無いものだから。だから最後の言い訳として、わずかながらでもやれて良かった・・・って後悔が出来て良かった事にする。って話しで最終日を無事に終れると思うなよ・・・感傷に浸って・・・今の俺ごときがっ。
そのまま帰れると思うなよ・・・はいはい、判りました。こんな時こそ、ウルトラソウル。己の限界にぃぃ、気ぃぃ付いたつもりかぁい・・・良いのかぁぁぃぃ・・・ってB'zの稲葉さんが言うのね。だから、例え1時間でも仕事をしないなんて1日が過ごせると思うなよ・・・なのね。
毎日の積み重ねなら、やらない日など、単なる甘え。死んだら出来ないぞ・・・ほらやれっ。これを20年続けて来た。これを学生ん時やれば、もう少し結果を残せたと思うが、逆に言えば、あの時にそれに気が付かなかったから、タイル屋だったし、逆にタイル屋だったから、今がある。
そうね、話に一貫性が無く飛ぶように思われがちだが、全てがこれらの話って言うのは、幼い頃に聞いた、狼少年の話に繋がって行くのね。この話、世間では嘘をついてはいけません・・・の話とされていると思うが、俺はそうは思わないのね。これは人を見掛けで判断しては行けない話。
そもそも狼が出たと何度も言った・・・そしてそこには狼がいなかった。そして何度も嘘を付いた事になり、本当に出た時に、嘘をつき続けたから最悪の結果になったとされている。ただ、結果として狼はいた事になる。本来なら、狼が出たと嘘を言い続けて、ライオンに食べられれば、確かに
嘘を言い続けたから・・・って納得が出来るが、結局狼はいた。つまり本当にいたのに、みんなが来た時に逃げてしまって出会わなかった。それが何度も繰り返されたら、嘘つきにされた。そして最後にいた。それならフランダースの犬のネロと同じ話になる。これを俺もやれば言いだけなのね。
夢を目指す者は何かを掴もうと必死な毎日を繰り返す。来る日も来る日も。月並みだけれど、それが大晦日だろうとね。つまりその日の為の捨て石なのね。毎日が。来る日も来る日も捨て石の毎日なのね。ただそれじゃ辛いだろうし、続か無さそうだけれど、これが拾う神って言う人達が現れるものでね。
頑張る者を応援してくれたりする。自分の為に自分が頑張るって言うのも大事な事だけれど、その辛さを応援してくれる人達に、結果はともあれ見せ続けないとならないのが、夢を追う者の生き方になる。そして結果を残せないと、ファンと言う者は離れて行き、また新たな人が応援してくれる。
その繰り返しとなるのだけれど、その時に先を読むなんて事を、目に見えない力を使って、見ようとするのだけれど、読み通りに・・・って言うのが中々難しいものでね。占い師程度にしか当たらないものなのね。あれこれと展開が変わってしまうからね・・・今の俺程度だとね。
知名度や力関係が一定じゃ無い、今の俺の場合、凄いと思う扱いの人と、左程でも無い扱いをする人の差が大きいから、一体どっちに扱われるのかな?って読まないとならないのだけれど、常に話半分程度に思っているものが、それ以下になると、半分も無いのかぁ・・・になる。
これでは狼が出たよ・・・って嘘つきの読みになる。所がマレに想像よりも良い扱いの場合、展開が変わって来るもので・・・。所がね、そもそもの性格にも問題があるのね。これはたてとほこの話みたいなもんで、俺はサッカーに例えて、フォワードとディフェンダーにして説明しているのね。
そもそもディフェンダーって言うのは守りの人。つまり1回も失敗しては行けない生き方になるのね。勿論この場合のディフェンダーって言うのは、キーパーになるんだけれどね。こんな性格の場合、石橋を叩いて渡るとか、叩き過ぎて壊すような人とか、そんな比喩に該当するのね。
それに反して、フォワードって人は、何回失敗しても俺に回せって人なのね。それで最後に成功すれば、今までの失敗を帳消し的な生き方の人だから、全く違う生き物になる。大きく考え方が変わって来るのね。じゃそれをどうやって、どっち側の人って決めた?誰が決めた?って話になるのね。
これを自分で決めたのなら、B'zのウルトラソウルで、己の限界にぃぃ・・・って事になるから、自分でそこまでって決めるのかい?って事になる。病気にしても、性同一性障害的な、心と体が一致しないみたいな事と同じように、本来はフォワードなのに、キーパーをやっていたとしたら?
それは地獄な訳で。心技体って言うのなら、技なんて反復練習である程度何とかなるのね。何しろ目に見えるから指導も結果も判りやすい。しかし心って言うのは、目に見えない事だから、ほぼ大抵の人は反復練習なんてしないから、ほぼ偶然になり、だから、結果が悪い時は、どーしてこうなっちゃったんだろう・・・と思い、
結果が得した場合、ラッキーって事になる。ただ本来は全てちゃんと伏線はあるものなんだけれどね。まぁざっくり言うと、こんな事を踏まえると、売れてから言うと、唐突に聞こえ、売れたから何とでも言えるよ・・・って言われるものなのね。だからそれを防ぐ為に、売れる前から言うと、
結果が出るその日まで、こいつ何を生意気な事言ってんだかっ・・・とか、しょってら・・・とか、変わり者扱いされるものなのね。まぁいわゆる狼少年的にね。ただもし結果が出たとしても、それをそんなの知らなかった・・・って人も出て来るもので。ただそれとて、知ろうとしなかったって
言う、反対側からの考え方を持たない、いや持てない生き方の人達側の意見なんで、合い混じり合う事無い考え方になる。それが極端に変われば、キーパーとストライカーの違いになる。それを左程変わらずって言うのなら、守備型ミッドフィルダーと、攻撃型ミッドフィルダーって事になる。
全てが生き方の例えになる。しかしそれをどうやって決めた?それが人生となる。物作りが人生って言うのは、その人の考え方が反映されるからであって、それとて適当に作るのなら、適当な結果になり、本気で作れば本気の結果になるだけなのね。そこまでは判って来たと思うのね。
それが真実ならば、そろそろ20年間の伏線を回収に入らないとならないのね。しかも自分で決めたのか?人に流されてそう思い続けたのか?キーパーの人生側で生きて来たものを今度はストライカーをしないとならないのだから、手慣れない分、億劫なんだけれどね・・・。
ただ俺の話が詰まらないのなら、ブルーロックってアニメがあるから、それを見て覚醒出来れば、人は簡単に変われるはず。ただ、それを意地なんかで乗り切ろうなんてすれば、支障をきたすのは、目に見えているのね。強くって言うのは、しなやかである事で、大木って意味では無いのね。
まぁこんな話を意気込みって言う感じに思われればそれも良しの話だし、面倒な奴・・・新年からって人は離れるだろうし、いずれにせよ、回収に当たって大事な話になるのは間違いは無いのだから。ってそんなこんなで、当然最後は仕事で終わるんだけれど、また今年も初詣の帰りの大家さん夫婦
と帰りに会い、新年のご挨拶。明日も来るの?って聞かれたけれど、聞いた大家さんも来ると思って聞いているのね。勿論って言ったけれどね。
今日は昨日までのイベントや、あれこれでとっちらかっているアトリエの片付けって言うより、原状復帰的な感じに・・・とかぐやと1日。何とか元に戻ったって感じだが、既に金魚の壁画の他に、12日からの小学校の話と、実家の近所のモンステラの玄関リフォームもあって、更にしながわ水族館で
正式に来年1月21日の土曜日から2月末の土日祭日の13日間、深海魚のワークショップを開く事になったのね。それが1日30個予定らしく、そうなると400枚位下地を作る事になる訳で・・・。今までもこんな事があったが、あえて言うと、今までは気忙しいだけだったが、今回からは忙しいと言えるようになったと思われる。
ただこれを単なるワークショップって言うのなら、キットみたいなものが合ったりして、当日対応するパターンなんだろうが、何しろ全てが手作りなんで中々大変なんだけれど、今までも何とか逃げ切って来たから、そこは何とかなるとして、問題は湯婆婆って4番バッター的な存在が不在。
そこでその4番に変わる作品も作らないとならない訳で・・・まぁそっちも楽観視はしていないけど、アイデアはある。ただそれをやると一体どの位の時間が必要なのか?・・・これはやってみないと判らないから、下絵を始めたいんだけれど、片付けがあって、12日からの下絵写しもある。
これは半分は終わったんだけれど、そっちは明日には何とかなるから、1つ位は深海魚を何とか描き終わりたいんだけれどね。
今日は朝から、父の定期検診の結果からの両親のインフルの予防接種。これは思っていたよりも割と早く終わったのね。そんな訳で、お弁当を買って一旦実家に戻り、早めの昼食。そこで父を残し、今度は突然、母が手の痛みを訴えて、近所の病院へ行くも、レントゲンでは異常なしって事で、
薬を頂いたものの、様子を見る期間では余り改善されず、大きな病院へ・・・って事で、連れて行くも、午後は2時からって事らしく、フライングとなり、二人でファミレスで時間潰しって事になる。そうね、コロナなんて無ければ、こんな時間を持つ事は無かっただろうし、悪いね・・・って言いつつ、美味しそうに食べていたんで、それはそれで良い時間と考えていたりもしたのね。
ちょっとだけでも、親孝行の真似事が出来た・・・そんな感じ。そんなこんなで治療が終わった頃には、4時過ぎで、やっぱりこんな時間になっちゃったかぁ・・・って感じで、ここまでは思っていた通りな展開で、天気予報の雨を避けて連れ帰れそうな感じだったのね。すると、携帯がなったんで、
車を止めて、出て見ると、どうやら営業電話では無さそうなんだけれど、男の方で・・・何かな?・・・詳しくは報告出来ないのだけれど、何しろ数週間後に、何十人単位で、1つの作品を作るような話なんだけれど、何しろ時間の無い話で・・・普通の人ならとても出来る話では無いのね。
それを受けるとなると、予約の方を2人断らないとならず、ただ一人はキウイ。そこでお教室では無く、そのまま手伝っては貰えないか?の確認を取り、もう一人の方にも連絡をしつつ、今度は材料の確認。ただ厄介なのは、全て決定した話では無いので、決まったとしたら?・・・の話。
その後に、決められた時間内に終わる為には・・・となると、材料に保険を掛けると、お絵描きタイルなんてのも候補に上がるが、理由は簡単で作品が屋外に・・・なのね。そもそもお絵描きタイルは室内用なのね。何しろ色はペンキだから・・・。そこで大家さんに相談に。
どうしたら可能性がある?って。知識賢者がいると本当に助かるのね。そんなこんなで前向きに検討したのね。ただ決まり次第、内容を公開する予定だけれど、話を聞いたら、これを断るようでは、プロなんて辞めちまえ・・・そんな気持ちになった。でもこの話は俺にしか出来ない。
それなら受けて当たり前。
今日は夏の労作展やら色々と終わったんだけれど、金魚の壁画だったり、このままだと年末の大掃除まで、どうにもならなくなっちゃうって思ってて、昨日の晩にすーさんに相談しつつの、あーだの、こうだのって考えていたのね。図面らしきものまで描いたりして・・・。
そんな話を朝、大家さんに言うと、何したいのさぁ・・・ってアトリエを見てくれると、兄貴の説明は建築としては正しいけど、かっちゃんのやりたい事は、こんな程度で十分だよ・・・って言うのね。それならビックリするような事じゃ無いし、俺でも何とかなりそうで・・・。
まぁ大家さんの場合、俺に出来る事を教えてくれるんで、いつも助かるのね。しかも今日は時間があるから、やってやるよ・・・って言ってくれたが、流石に恐縮したのね。だから自力でやったのね。
明日はご新規さん教室なんで、何とかちょっと元に戻さないと・・・。って、頑張って良い時間までやってたんだけど、このまま掃除の1日ってのも何だから、プチッと金魚の壁画もやって終了。
今日は朝から四十九日の法要となったが、本来は親族の人達であろう人の集まりと思われるが、故人では無く、親族の中にお付き合いのある方がいらっしゃる事で伺った。ここは不謹慎な事にならないように、触れずに・・・その後、夕方さくらが来たのね。今日は教室と言うより、近況報告。
とは言え、ここを見ればほぼ、俺の一日は判るのだから、さくらの・・・って事になるのだけれど、そんなに良い感じでは無かったのね。出来れば悪ければ悪いなりの、いつも通りなら、そっか・・・程度だけれど・・・どうなのかな?