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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが帰って日常に・・・

2022-10-11 23:35:47 | 休み?

今日は午後イチでかぐやが帰るんで、羽田に送迎。まぁこうした時間がとても大事で、大阪に帰ると電話での話になると、例えば、かぐやの都合に寄って、それじゃまた・・・って事になったり、時には気分なんて事で持ち越し・・・なんて事になったりするのね。それでは鉄は熱いうちに・・・

が出来なくなるのね。それを待ち切れずにやったりすると、当然意見は食い違うし、お互いに嫌な気分になる。ただこれはサザンと桑田さんとか、安全地帯と玉置さんのように、別の人のようなやり方で、前者の場合、ソロになると政治にも介入するような歌詞もあったりして、大衆音楽から大きく

離れたりもするし、後者では愛の歌しか歌わない歌詞から、ソロになると田園のような応援歌みたいなものもあったりするのね。つまりkatsuって人も一緒で、ソロとそうじゃない場合の、2つあると思っているのね。つまりソロでない場合の折り合いなんてもんがあるはず・・・だと。

つまりいつかそんな場面が来た時の練習・・・だとね。だから、かぐやとは突っ込んだ話が多くなるのね。でも先日の話のように、人の否定はして、自分の意見が無いって言うのは、お話にならないのね。常に最低でもこんな風に思っている・・・って言う事は伝えようとしないと、具体化が出来ないのね。

勿論、常に自分があれば答えられても、それが正しい訳では無いし、そんなに正しい確率が高ければ、かぐやが師匠になっちゃう訳で・・・。まぁいくらなんでもそんな事は無いから、となると、弟子と言う立場で責任も背負いつつ、自分を語らないとならないのだから、きつい立場であるとは思うが、今何も言えない状況では、いつかその時が来たら、果たしてその状況下で提案が出来るだろうか?

となると、向き合う回数も多くなるが、まぁ向き合い疲れにもなるだろうし・・・こんなやり取りを電話でやるのと、実際会ってやるのでは、全く違うのね。何しろ最低限、これからのマルシェ出店の是正についての方向性のきっかけだけは、置いて行って欲しいのね・・・。

何しろ電話になると熱量が変わり、温度差に繋がってしまいがちだし、伝わりづらいと、じゃそれで・・・なんて事になるのね。それでは結果の前にプロセスに納得出来なくなる。ただ、いる時間を有意義に・・・と思う気持ちと、いた時間は有意義に使ったよな・・・って気持ちは別物で。

最終日まで有意義に・・・なんて目的意識を持つべきなのか?、それとも、昨日までのやるべき事はやったのだから、最終日くらいと考えるべきか?なんて葛藤は常にあって、だからこそ決定するまでとは言わずに、きっかけくらいなんて言い方なんだけれどね・・・。

でもそれとて、一体ゴールをどうしたいか?で全ては変わって来るのね。単純に例えば、楽しくって言うのなら、出来れば良いだけだから、スポーツなら、野球ならキャッチボールをしたとか、テニスならラリーをした。これで十分で、これこそが体験教室感覚なのね。

所が、野球をしたいとか、テニスをしたいとなると、ただボールを投げて取ったとか、ただ打ち合っただけでは満足感は得られないから、試合が出来るように・・・となり、ルールに乗っ取り、打つ走る取る投げるの一連の動作を習う事になったり、テニスなら、サーブを2回の中で入れて、相手の

コートに入れるなんて練習があったりして、体験とは違う事になる。それが更に技術の向上となると、今度は相手の嫌がる事、困る事の駆け引きを習う事になる。相手の裏をかくなんて事になるのね。全てのスポーツは、あっち向いてホイが基本で、勝つって事が目標なら、ここは絶対にそうなる。

まぁ普通はこんな所が、素人としての感覚になるんだろうが、それだって高校野球やダンス甲子園なんでも良いけれど、目標がただ勝ちたいって言う位と、最高峰の一番とでは、練習の熱量も変わって来るし、ましてやプロになるって事になれば、結果が全て・・・負けて良い事は1つも無い。

なんて事を考えてしまう時間ばかりでは、かぐやも疲れるだろうし・・・。この辺かな?なんて事も思ったりすると、最終日はスルーなんて事もあったりする。甘いと言えば甘いし、そこを頼っていると思われるのなら、俺自身が甘いって思われるんだろうし・・・まぁこんな事を常に考えたりする。

そんなこんなでいつものように羽田に送って、いつもならお茶して帰るんだけど、折り返して母の病院なんで、今日はそのまま折り返し。何とかそっちも間に合って、終わったら夕飯時・・・お弁当買って一緒に食べてからのアトリエ。ただ、日常の立て直しってそれで無くても大変なのに、病院

を挟んじゃうと、気持ち的にそれで疲れちゃったのね・・・ただ1つだけ良い事があったとすると、最近の2回の母の様子が明らかに良くなっていて、まずは表情が全くの別人のように豊かになっていたのね。調子が崩れている人って言うのは、覇気が無いのね。だから喜怒哀楽なんて事は少なく、

ん・・・そうね、能面みたいに見えるのね。だから心底って感じにならないから、笑っても愛想笑いに見えるし、もっと言えば、楽しいって気持ちにならないのね。それでは表情に表れないし、怒りにしても、元気であるなら自己主張なんて事もあり、不満なんて事があったりする。

それが文句となったりすれば、表情に出やすいが、悪いのは自分だから・・・なんて事になると、ごめんなさい・・・的に引き込みがちになるから、これで喜怒の2つに差は無くなる。そうなると、次は哀になるが、これは歳を取ると涙もろいなんて事になるから、黙っててもそうなりがち。

そして楽にしても、楽観視的に、何とかなるよーって、なんくるないさーって感じなら、その時点で、心配ないさーになるが、通常なら、今まで出来た事が、出来なくなる事で悲観的になるって考えるから、100から減って行く一方になる。ほら昨日までの話になる。

それが一旦リセット出来れば、0にして、2出来たとか、5出来たに変わって来る。それが出来ていた自分と比較するから、もう戻れないって卑下すれば、悲観的になる。これが喜怒哀楽の表情の仕組みなら、調子を崩した人の表情って言うのは、1つになる。とても判りやすいのね。

こんな事が合っていたとしたら、もしプロの役者なら、この程度の事は知った上で、演技をすれば、そこを誇張すれば、オーバーアクションになるだろうし、知った上で、一旦リセットすれば、それが着崩し的になるのね。つまりそれを知らないままでやると、だらしなくなるのね。

それを知った上で、崩すとやり過ぎにならなくなる。ただこれもビギナーズラックって初心者なら通用する仕組みがあって、常識を知れば、非常識はしずらいが、最初は無鉄砲な事がしやすいから、それがハマると、誰もが避ける事が出来たりする。まさかのど真ん中ぁでしたなんて感じにね。

例えば釣りなら、足元かよ・・・みたいな。更に、幸せって言うのは身近にあるみたいな・・・とか、外国へ行って日本の良さが判るとか・・・ね。いずれにしても、この気持ちって言う部分が変化すると、ここからが病は気からなのね。気の話。これによって前向きになるものなのね。

そうなるとやって見ようかな・・・って。それをある程度強制的に行うのが、幼稚園だったりデイ・サービスだったりするのね。そもそも行きたいと思っているよりも、行くのかぁ・・・って知らない所に行かなきゃならない感じの方が多いと思うのね。その時に、誰かと一緒とか、新しい事が好き

とか、行きたいと思う気持ちになりやすい人と、刺激が不安になる人がいるのね。母も俺も後者かな。所が行くと決まると、行かなきゃならないに変わり、行ったのなら頑張らないと・・・と継続させようとし過ぎちゃうのね。まぁ無理すれば続かないんだけれどね。所が母は老人。

あの頃とはキビキビ感が違うから、そこまで頑張れない。ただ言われたら素直に聞くだろうから、真面目にやるだろう。その勤勉さはきちんと結果に伴って行ったと思われるのね。例えばね自宅にいれば、ラジオ体操すらしないだろうね。所がデイ・サービスで運動をさせられる。

そのされられている事を、しなくちゃ・・・って思う人と、えーやるのぉ・・・ってやる人では、汗のかき方だって違うと思うのね。つまりちゃんとリハビリした事になる。その結果、杖なしで歩けるようになり、歩く姿勢も変わった。しかもその結果を先生に褒められた。そりゃ気分が良いね。

ほらまた気。こんな理由から今、恐らくすこぶる元気だと思うのね。じゃここから良い事と悪い事は背中合わせ・・・って言うから、老婆心でここから、駄目になる事があるとしたら?と考えると、褒められたって人がいるのなら、褒められないって人がいるはずなのね。そしてもしその褒められなかったって人が、

長老だった場合、妬まれたり、恨まれたり、嫌味の1つも言われれば、恐らく母の事だから、一挙に落ち込むだろうし、行きたくないなんて始まるだろうし、歩けるからと、杖無しで出掛けるであろうから、持って行かないと・・・って言わないとならないし、本来は人よりも長けていると思われるなら、

何しろ実ったら頭を垂れる・・・の姿勢なんだけどね・・・判るかなぁ、母ちゃん。無理だろうなぁ・・・何もしでかさないと良いんだけど。


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金魚の壁画の最後の準備とスタート

2022-09-16 02:48:29 | 休み?

今日は金魚の壁画に使う下地の材料を買いに、千葉ニュータウンのジョイフル本田まで行ったのね。ちょっと変わった材料なんで、ここいらでは売って無くてね。まぁここは、ビックリする位、大きく何でもあって、何度か行った事があるのね。

ただそこそこ遠くてね・・・そんなこんなで何とか買った頃に、かぐやが残念でした・・・って。実は、名古屋モザイクって会社の材料を使った施工例での、デザインアワードに、陸前高田のをエントリーしていたのね。

そうね、いつもの事なんだけれど、常に気持ちとして2つ用意してあって、それは良い事と悪い事だった時の場合って話ね・・・そもそも普通は、設計だのって言えば、設計士さんがいて、施工だのって言えば、大手の建築会社だったりする。

当然ながら、建築であるからなのね。つまりかなり例外なものをエントリーしたのね。だから、余程の事が起きないと無理な事は判っていたのね。しかし、もし例外を受け入れる人がいたとしたら?・・・ここが期待していた部分なのね。

つまり順当なら何も起きない・・・こんな事だったとして、大事なのはここからなのね。最初から判っていた事だとしても、だから無理だろう・・・と決めてやらないって言う選択権は無いのね。それは自分で結果を決めてしまっている段階

で、チャンスも生まれないって事なのね。何せ結果を決めるのは自分では無くて他人なのだから。だからまずその覚悟をしてエントリーをしたのね。次にやる事は生徒さんなんかに、その話をする。それによって興味を持って貰う為に。

まぁ当然こうして落選した時の事を考えると、黙ってエントリーして、黙って落ちるが自分に取って都合が良い事なんだけれど、それでは感情移入をして貰えないのね。良くも悪くも共有して貰わないと・・・。

って事をやった上で、最初の頃と、数日前では気持ちに大きな変化があるのね。例えば最初は、ノリなんて言葉でも良いが、折角だから出そう・・・位で、宝くじでも買ったように、通ったらラッキー・・・な感じね。所が段々と、

発表が近くなると、って事が上手く行かなかった事を想定すると・・・ってその後の展開を考えないと、気持ちが落ち込むと、人はぼんやりとか、ガッカリとかするでしょ?期待していた分ね。所が、こうして夢的に追い掛けるような事を

している人達って言うのは、失敗の数が半端無いのね。つまり打たれ強くなっているもので、俺も例外じゃ無いのね。ただそれでもわずかにだとしても、落ち込むなんて事があっては行けないのね。何故なら、話をした人達が気を使うからなのね。

それは近ければ、近いほどね。そして休んでいる暇など無いのね。駄目なら次、次だから。ただそうも簡単に言えないのは、もうそろそろ金銭的に厳しい状況になるだろうから・・・。流石に陸前高田から、全く注文の作品を作って無い

状況では、まとまったお金を得ていないのだから、お金を稼がないとならないが、正直この金魚の壁画は一体いつまで掛かるんだろう?って事になると、以前作ったユーミンママの壁画に匹敵するような大きさ・・・。

きっと終わる頃には単なる生活費なんて事になるのは、やる前から目に見えている・・・かなり厳しい状況になる。しかも一旦、下絵も頓挫して、立て直すのに時間も掛かった・・・ただ丁度良かったのね・・・と思っているのね。

何も考えずにやるしか無いって追い込まれちゃったんだなっ・・・って。折角ね。ただ昔とは違って、経験値も増えているから、有利な事もあるはず。それと一番大事なのは、この大きさに飲まれない事。それが一番大事なのね。

こうした事を踏まえて、気持ちの変化って言うのは、段々と駄目だった時の準備をしている事になるのね。所が逆にかぐやは、落ちた事にへこんでいるのね。俺とは逆・・・そうね、良い時なんて何でも良く感じる。だからどうでも良い。

でも悪い時は何とかしないと、気力が無くなる。けれど、むやみやたらに虚勢を張っても、無理やりになるだけなのね。今何をすべき・・・ってきちんと受け入れた上で、いつも以上に冷静じゃ無いと。そうじゃ無いと、今のかぐやの

気持ちで大作の金魚の壁画に向かっても、気力は無くなるわ、虚勢を張るわ、無理やりだわ・・・これでは全く話にならないのね。でも、だから挽回でも無いし、いつも通りに戻すだけで十分。それ以上でもそれ以下でも無いのね。

まぁサウナじゃ無いが、整った・・・って感じになったのね。当然、そんな訳だから、夜に仁科さんに残念な報告もして・・・これでリセット。さてしばらく振りに、作家katsuとして本気出さないと・・・。もしかすると、今年最後の

作品になるかも知れないし・・・。


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キャンセルがあって・・・

2022-08-12 07:18:47 | 休み?

この時期だから、色々あってキャンセルが出て、急に空いた1日。あぁこんな時間はそう無いな・・・とアトリエ清掃を・・って事で始めたのね。ただ江東区のサンプルを届けないと日にちも無いので、まずは写真を撮ってから。

そんな訳で始めるも、何しろ陸前高田辺りから・・・のタイルが散乱しているのだから、結構大変な状態で、しかも夏は夏でこうして色んな事をしているにも関わらず、休み無しなんだから、それを何とか順番に終わらせる事で精一杯・・・。

ただ気にはしていたので・・・手を付けるも、何しろ片付けが苦手で・・・どうすれば良いか?って話なのね。ただ取り合えず元に合った所に戻して、何しろ変わっていない状況に見えても、あれ?って感じ位になれば・・・。

そんなこんなで奮闘していると、さくらから連絡が入り、夕方来る事になったのね。それじゃ・・・と急ピッチで心が折れそうな感じを立て直して・・・そんなこんなで江東区の施設に届けてからのお迎え。

まぁ元気じゃ無いんだろうが、元気そうで何より。こっちもお陰でちょっと休暇気分になったのね。まぁモザイクをしていない時間は休憩なんだろうから・・・。良い息抜きになったのね。


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久し振りに休み

2022-08-04 06:43:34 | 休み?

今日はポッカリと空いた1日。ただ休みがあっても特にする事も無く・・・じゃ梨でも買いに行くかと、かぐやと両親連れて行って見るも、若干早いかな?って感じでもあったが、送られて来たはがきでは、2日頃から・・・とあったんで、何とか

食べられるかな?って感じの暇つぶし。お昼過ぎって感じだったかな・・・遅い出発もあったが、梨園が続く街道沿いのスタートから店が半分シャッターを下ろしているのね・・・嫌な感じ。あれ?やっぱ早かったのかな・・・。

そんなこんなで、父がそこの若が幼少の頃から来ている店に到着すると、やはり同じ状況で、裏から覗くと中にいたんで、声を掛けると、中に入れてくれて・・・去年は雨が多くて早かったけど、今年は梅雨に雨が降らなかった事もあって・・・

って、今年は遅れ気味らしく店に梨が無いのね・・・送るの?って聞くから、家の分って言うと、それなら・・・と出してれて何とか食べる分は確保して・・・ちょっとした息抜きな時間となったのね。その後、明後日の出張の準備をしたり、下地の補修をしていると、そこそこ良い時間になりおしまい。


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ちょっとふなばし三番瀬海浜公園に・・・

2022-05-25 08:10:00 | 休み?

今日は色々と話が来ていた事が正式に決まって来て、その1つが昨日の泉銀で伺ったワークショップの話で、浦安の魚ってモチーフで・・なのね。もう絶対外せないのは、そうなると何と言ってもアサリ。

今でもアサリを使った業者さんがいたりするのだから・・・じゃ描こうって事になるけれど・・・ 全然休んで無いし、気分転換も兼ねて、ふなばし三番瀬海浜公園に貝殻拾いって事にしたのね。 

そうね、ここは行き付けの店のコーナンのすぐって感じだから、わざわざ遠くへ・・・って訳でも無いのね。今は埋め立てで砂浜は無くなっているから、こんな近くにあるのはラッキーなのね。とは言え、シーズン中じゃ混雑するけれど、

もう今年の潮干狩りは終わっているし、平日の浜にいたのは数人だったのね。だから50過ぎの親父の貝拾いは異様な光景であっても、見ている人はいないし、どうぞご自由に・・・って感じだったのね。

折角だから海の画像と言いたい所だったが、夢中になり過ぎて、撮り忘れ。慌てて入口の看板を撮った始末なのね。そんなこんなで1時間位いたのかな?帰ってかぐやと話したんだけど、アサリの模様って昔と変わって無い?

俺には全然違うモノに見えるんだけれど・・・それで殻の画像なんだけど、確かにアサリの殻って言うのは、色んな柄があって、もはや芸術品にも見えたりするのね。だからそれはそれで良いんだけれど・・・。でも明らかに変わっているのね。

何か見た事の無い模様になっているのね。少なくとも牛丼屋さんとか回転すしのお味噌汁の貝は、あれ?って思うのね。ただググって見ても、やっぱり違うんだよなぁ・・・って言うのが、普通に出て来るのね。

ここが難しい話で、食って言うのなら、何でも良いよ、喰っちゃえば味は一緒だよ・・・こんな感覚なら、それはそれで良いんだけれど、絵を描くとか制作するって場合、それ1つで世の中の定番のアサリですって事になるのね。

だって子供の頃の手描きの図鑑ってそうじゃん。シジミなら黒っぽいで済むけど、アサリってどれが普通?って事になると、割と画像は普通っぽいと思うのね。こうして調べて、さてどーする?どれ選ぶって事になるのね。

ただそれは1つ作る場合ね。これが何個も作るのなら、そりゃ色んな柄を選べるし・・・そうね、ランドセル選びみたいなもん。各社競うように色んなものがあって、でもどれもがランドセル。色も模様も素材も今はお金さえあれば選び放題。

でもアサリの模様はそれよりも選び放題・・・その中でアサリっぽいのを1つ選ぶって言うのは、ランドセルは好みで選ぶんだけど、確かに好みは入るけど、三陸と御宿のアワビの違いだったり、アサリだって三番瀬ブルーなんてのがあるらしい。

となると、簡単に俺好みぃぃって決める訳には行かないのね。そんなこんなで一応こんな感じかな・・・って言うのは見つかってね。ただこれはちゃんと・・・ってフォーマルなスタイルなのね。これが今マイブームのレキシさんのようにすると・・・

そもそも矢沢さん、ユーミン、達郎さん・・・ふざけた歌ある?どれもちゃんとなのね。つまりアサリってこう・・・って作ると、図鑑ぽくなる。だから感想は凄く似ているとかになる。これがレキシさんになると、歌詞に幕府とか、武士なんて出て来る。

ただ歌詞はそうでも、ただふざけているのでは無くて、ちゃんとふざけているのね。何しろ曲が素敵なのね。まぁ俺がファンク的なものが好きなせいもあるんだけれど、ただその歌詞じゃ無ければ名曲なんじゃ無いの?って感じなのね。

例えば良くあるもんなら、金魚とか魚みたいなシルエットなら、シルエットで何だか判る。その時にウロコを描いたり、色を忠実にすれば、ちゃんとだから、クラッシックって方向になる。

それをウロコを辞めて、お花畑にしたり、景色、ポップなデザイン、模様なんて事で素敵に個性的になれば、矢沢さんならロックだから、男っぽくとか多くして、時に甘いバラードなんて事になるし、ユーミンならお洒落な比喩なんて事も

あり、達郎さんならいつの時代にもポップなんて感じに、個性なんて事を探し続ける事になる。まぁ月並みだけど、自分探し的な事になる。それがレキシさんは歴史の言葉で歌詞を作るから、滑稽な歌になりがちなのね。

所が、そこを年貢フォー・ユーなんて歌だと、君に届け・・・みたいに、まるで恋愛の歌のように歌うんだけど、僕の相手は庄屋さんなのね。しかもそれを一緒に歌うのが秦基博さんって言うのだから、豪華な話なのね。

それが最後の将軍って歌になると、切ないバラードなんだけれど、あなたと離ればなれになる・・・明日からは独りって歌なんだけれど、もう幕府なんて終わらせて良いのよ・・・最後の将軍って・・・慶喜の歌なんじゃん。

それを松たか子さんとデュエットって事になると、興味沸くでしょ?どれも名曲揃いなのね。しっかり聴けば聴くほど、こんな事がしたいんだろうな・・・俺は。って気になるのね。どー考えても、俺はクラッシックな人じゃ無いし、お洒落ってのも、

流行りもんに縁は無いし、そうなると、俺っぽいって言うのは、俺が俺じゃ無くて、お題の決まった後の、不自由なくくりの中での俺表現となると、歴史くくりの中で作るってスタイルは、先日の陸前高田の名物揃い的なくくりの中の制作や

今回の浦安の海なんて縛りは俺にとてもむいているのね。お題ありきでね。ただ考えてしまうのは、鹿児島の水族館に展示して頂いているウミウシ作品。あれをバラバラに1匹にしてしまうと、芸術作品じゃ無くて、工芸品みたいになり、

上手いね、似てるねになりがち。それを何匹も組み合わせた事でオリジナル感が強く出た事になったのなら、また色々合体すると、浦安に関係した場所に置いて頂けるようになるのか?それとも、個人的に売りやすい1匹モノの方が良いのか?

合体すれば当然重々しくなる。そうね、答えはまだ出ていないけれど、俺の考える芸術感って、簡単な話、一石を投じる・・・ってスタイルだと思うのね。ただこんな事は誰でも言うから、あえて言えば、子供が数人で話している。

その横の池に石を投げる・・・石の大きさで音は変わる。えっ?何・・・って話は中断する。一旦、その話は終わる・・・盛り上がった話が一旦冷える。仮にこの話が良い話だったら水を差した事になる。しかし、逆に人の悪口だったりしたら

一旦終わる事で、冷静になる時間となったのなら、それは人の気持ちを変えるきっかけになった事になる。これが大人だったら?人数が増えたら?地域は?ありとあらゆる条件が変わって来る。しかもどんな時も巨大岩石なら全て振り向くが、

それではさじ加減も無いし、足りれば良いだろう的であり、何の工夫も無いのね。丁度良いって言うものがある。勿論毎回そうなっている訳じゃ無いけれどね。目指さないと見つからないものなのね。しかもプロなんだから・・・。

そんな事を考えると、依頼品では無い作品作り・・・縛りも無ければ、自由だらけ。だから自由が苦手な俺はかぐやに、俺2・3週間遊んでも大丈夫か?って聞いたのね。すると、大丈夫です・・・と返って来たから、またウミウシ作品のような

自由時間の作品制作が出来る事になったのね。さてどーすっかな・・・

 


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ちょっと野暮用からの・・・

2022-05-20 07:39:41 | 休み?

今日は午前中ちょっと野暮用。実はかぐやのせがれが転勤でこっちに来ているんだけれど、入院していたが、今日退院って事で送迎して、昼を一緒に二人で退院祝いがてらに食事をしたのね。何しろ子供の頃から見て来たし、こっちに一人・・・

だからって、大した事は出来ないけど、出来る事は何かしてやりたいって・・・ね。まっ何はともあれ、退院したんで、またね・・・って、またがある事が何よりなのね。何しろ無事これ名馬・・・なんて言葉もあるしね。

そんなこんなでアトリエに戻ると、メールが来ていて、夏の出張教室の話。大人も子供も出来る・・・そんな依頼。そこで浮かんだのは魚の鍋敷きなんだけれど、いつもならぺきぺきなんだけれど、何しろINAXが撤退するし、ティーアートさんも

色々と少なくなって来ている今、無くなる前提と考える方向で、何か使わなくても出来る事を模索したりして・・・。しかも人数と時間を考えると、制作時間は1時間ちょっと・・・。色々やっては見たものの、これって所まで行かず今日は終了。


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かぐやが帰って日常へ・・・

2022-05-16 06:12:51 | 休み?

今日は引き続きかぐやとアトリエ清掃と車の片付け。そんな中、陸前高田で知り合った御婆さんがいて、その人に頂き物したんで、縁取りのタイルを張らない?って誘って張って貰ったのね。そしたら、やらせて貰おうかな・・・って。

それで写真を送るから・・・と住所聞いたんだけれど、本当の目的はお礼がしたかったのね。そもそも何かを頂く側では無く、何かを提供する側なはず・・・それなのに・・・恐縮な話でね。ただ折角のお気持ちなんで、頂かないって選択肢は

無かったから、かぐやに聞いといてと頼んで置いたのね。そんな訳でプレゼント作品なんだけれど、仰々しいと気を使わせるし、何と無く有難う・・・って済むような・・・そこでコースターでも・・・って。

そこで何か該当する下地無いかな?・・・と探すと、既に山周さんの素焼きのハートが張ってあるのが見つかったのね。じゃそれで・・・となるのだけれど、これでも普通に張ったら、それでもそこそこ綺麗なのは出来るだろうが、それでもね・・

何かもっと無いかな?と考えた時に、やっぱり壁画に使ったタイルが良いだろうし・・・その時に、パーツの残りが掃除の最中に出て来て、あぁ、これを使えば、少し気楽に頂いて貰えるかな?って。そこでそれらのパーツの角を全部切って・・・

こんな感じになったのね。まぁそこそこ可愛く出来たのね。そんなこんなで、張り終わったんでかぐやを送って帰って来てから目地をして完成。また日常に戻らないと・・・。

 


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そして片付け

2022-05-15 06:19:28 | 休み?

そうね、無事帰って来たら来たで、日常に戻らないとならないから、かぐやと片付けって事になるんだけれど、小雨なんで無理して車の荷物に手を出さなくても・・・って事で、まずは借りたものを返したり、近隣へのご挨拶回り。

そんな中、すーさんと大家さんに出来栄えを見せると、凄い・・・って。まぁ大きい作品って言うのは迫力を出せるし、しっかりした場所に設置すれば、格式も出る。割と当たり前で、全てが人は見掛けで判断なんて言葉があるように、例えば、

コミュニティホールと保育園では、そこの施設にあったデザインにすれば、大人の雰囲気とか子供に判りやすくとか、その年齢や場所に合わせるが故に、どうしても人の感想は変わって来るものなのね。だから可愛いとか、大人っぽいとか、お洒落とか・・・ってね。

でも、凄いって言うのはまた別の話で、凄いって言うのは、凄い綺麗とか、凄いお洒落とか、凄く可愛いみたいに使ったりするもので、凄いって言葉で、次に続く言葉を更に上乗せしてくれる言葉であったりするのね。だから褒められたんでは無く、この場合は、凄く褒められた事になる。

しかも大家さんの場合、賑やかな色合いだったり、言葉としては、ごちゃごちゃしているデザインが好きでは無いから、今回のデザインはまさに好みでは無いはずなのね。更に庭先で何度か見ているし、新鮮味としても欠けるから、見せる方としては不利なんだけど・・・。

それなのに感想が凄い・・・になったのだから、感想がくつがえった事になるのだから、この凄いって言葉の意味は更に得点が入っている事になる。まずまずなんだろうね・・・出来栄えが。ここも大事で、スマホの画像の大きさなんて、

たかが知れている。本来実物はもっと大きく、ゾウみたいなもん。その大きさをスマホの大きさで凄いって言って貰えたのなら、実際はその大きさ得点も入るのだから、得点は更に増す事が期待される。

そんなこんなで実家にも・・・と行くと、妹達夫婦が片付けに来ていて、ここに居場所は無いし、ちょっと話をして帰る事にしたのね・・・何しろ兄らしい事は何も出来ない事は判っているし、義理の兄弟にもお恥ずかしい限りである。

映画だから良いが、寅さんなんて実際はろくなもんじゃ無いのね。でもあれよりはいくらかやってはいるんだけど・・・。ただあれは人気あるからなぁ・・・普通の生き方は諦めてはいるものの、やっぱりこんな時はダメージを受ける。

昔からこう言う風に顔を合わせると、ここには居場所が無いな・・・と思っていて、なるべく顔出さないようにしていたのね。そうね、離婚をした事でみんなが気を使うのも嫌だし、俺がいない方が笑いやすいだろうし・・・ってね。

それを何十年もやって来たんだから、浦島太郎にもなるのね。何しろコロナになって、みんなが来づらくなってからの数年、マメに顔を出しているだけだから、知らない事だらけなのね。そんなこんなでアトリエに戻って・・・。

それからかぐやとアトリエの片付けって事になるんだけれど、2人とも運転で疲れちゃっているし・・・後は終わった事で、ホッとして気が抜けちゃった事もあって・・・殺伐として行ってしまったものを、ちょっとだけマシにするのが精一杯・・・。


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明日の準備と小物制作

2022-02-24 05:45:09 | 休み?

今日はかぐやと明日の準備と小物作品制作。そんな中、午後に急きょ取り寄せた目地材が到着する事になってて・・・それが福岡にあったらしく、お手数掛けたが何とか間に合わせて貰ったのね。それが、何と無くベージュとかブラウンとか、

一般的な色目地では無くて、グリーンの目地で隙間をリカバリー・・・なんて急に思って、無理して頼んでしまったのね。そうなると、ちょっと気になるのはブルーの目地・・・バックにどうかな?と。シンプルなら黒なんてのも候補にはあったのね。

ただ流石に小学校ってのと、入口の壁って事も考慮に入れると、暗い感じはなぁ・・・って事になって、とは言っても白目地では安っぽくなるだろうし・・・かなり採算度外視になっているけど、ここは仕方無いかな・・・と。

そんなこんなで明日が最終日・・・。


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母の手伝い

2021-12-30 00:22:31 | 休み?

今日は何と無くゆっくり目に家を出て母と正月の準備。まぁこんな事は後何回出来るんだろうか?って事になると、完全に思い出作りだったりするのだから、出来るのなら・・・って事で、そうなると今日しか空いて無かったから。

当然、昨日の続きで車内の音楽はベルばら。そうね、全く判って貰えないとは思うんだけれど、恐らく俺と同じように気分を作って行くやり方って言うのは、演者みたいな人達なら、結構いると思うんだけれどね・・・。

例えば、最近GYAOで、のだめカンタービレを見たのね。まぁザックリ言えば、幼少からピアノの天才と言われた女の子が、特訓をきっかけに強制される事がトラウマになるが、それでも音大に進むと、憧れの先輩の背中を追い掛ける・・・。

まぁ、話の内容からすると、アニメの、ちはやふるにも似ているのだけれど、そもそも誰もが何かのきっかけで頑張って取り組むなんて事は多々あるのね。その時に幼少の頃って、ただその分野が好きってだけでは中々続かないもので・・・。

それは当たり前で、友達と遊びたいし、ゲームだってやりたいし、テレビだって・・・それが友達もやっていたりすると、一緒に行けるから、出来るから・・・って言うと、続けやすくもなる。勿論、そこも良い事と悪い事は背中合わせ。

一緒に出来る為には、その人と同等の実力が無いと・・・いられないのね。もし仮にその人が大した実力が無かった場合、お互い補欠なら一緒に居られる可能性はあるが、厄介なのは、その人に誘われたのに、補欠だから詰まんない・・と

先に辞められたりすると、一緒に辞めたくなる。まぁこれならまだ良いが、更に誘われた方が付いて行けずに辞めるならまだ救いがあるが、逆の場合。誘われた方がレギュラー的に上手くなった場合、関係がギクシャクしたりもする。

更にもっと上を目指す場合、誘った相手が上手いと、そこに一緒に居る為には、もっと努力を重ねないとならなくなる。でももしそれが大会を目指すとか、優勝とか、志が高かった場合、もっと他の何かを割いてでもやらないと、とても追い付けない。

更にさっきの話と同じでも、志の高かった場合は、内容はもっと大きく変わって来るのね。つまり楽しいだけでは居られなくなるものなのね。そもそも、のだめの場合、幼少期に天才扱いされている時点で、きちんと続ければちゃんと音大に

入れる所までは何とかなる。ただ音大って言うのは、一体この先どうする?となった時、プロの道へ進めば、オーケストラに所属なんて事を目指す事になると、野球やサッカーみたいなプロの組織に入団しないとならない。

ある意味、入るだけでも凄いのに、レギュラーは人数が限られているのだから、入っても出られるかどうか?なんて事になるし、その肩書でレッスンコーチって言う道もあったり、KingGnuさんのように、ポップスバンドとして活動なんて

言う事もあったりもする。これは設計士でも同じで、大手建設会社に入社しても、設計士になれるなんて言うのは、ごくわずかであって、大半は現場の監督だったりする。逆に設計事務所なんかに入ると、確かに図面は引く事は出来ても、

志として、自分の設計をさせて貰えるか?となると、恐らく中々そんな事は無かったりもする。ほぼ全部一緒の話なのね。どれもこれも目指すような人になると、普通の人とは違う生き方になり、もはやド変態な生き方になるのね。

それがヒカルの碁なんて言うアニメだと、棋院に入れるのは・・・って年齢制限があったりして、これも優しさの配慮みたいなもので、きりが無くなる時間を諦める事の出来なくならないように、足切りをしてくれるシステムだったりして、

いずれにせよ、志すなんて言うのは、相当な覚悟が必要なのね。そしてその究極なものが、生まれ育った環境での縛り。カエルの子はカエル。歌舞伎なら血筋。それを稀に一般でやれる人もいるらしいが、ほぼ血縁関係。

つまり生まれて男の場合、100%後を継ぐ事になる。勿論、農家でも漁師でも、タイル屋でもあるけどね。でも絶対では無いのね。でも歌舞伎なら生き方を選択出来ない。そしてベルばらでも、近衛兵の良家の家柄と、ただの歩兵では、住む世界は違うし、交わう事は、護衛のみ。生き方はそれしか無い。

草むらに名も知れず咲いている花ならば・・・ただ風を受けながらそよいでいればいいけれど・・・バラだと気品に満ちた生き方をしないとならない・・・まぁ普通に読み取れば、バラ側に立つと、バラ以外は自由で良いな・・・となる。

勿論、バラ側では無いと、踏まれる事もあるし、摘まれてしまうかも知れない。名も知らぬ花なんて、花屋さんのような取引をされないのだから、単なる雑草扱い。たたき上げの生き方はそんなに甘くも無い。ただあくまでバラ側の歌ね。

だからバラには自由は無く、しかも気高く生きないといけない定め。そして平凡な人生はかなえられない身・・・こんな事をしっかり叩き込まないと、しぐさ、所作みたいな事とは何たるか?を理解する事は出来ない。

しかもそこに身を置く事になったのだから、知らないままで携われば、単なる仕事になる。それを知らずに一緒に作るなんて、ナンセンス極まり無いし、今更、誰にもそんな事を教えて貰えない。

しかも子供達が6年間教わっただけの事・・・それを58歳の大人だから、そんなの判るなんて言うようでは、思い上がりなのね。相手はオスカルなのだから・・・何とか一緒に居る為には、バラでは無いアンドレ程度にはならないと・・・。

そもそも例えば、のだめに出て来る話だと、楽譜通りに音を外さずに引く・・・こんなもん音大なら誰でも出来るのね。それは当たり前の事になのね。つまり普通。それを、目に見えない事を察する事が出来ると、その音が変わって来る。

それは当たり前の事で、意識が変えれば行動が変わる・・・つまりその技術を身に付けて置いて、目に見えない事を取り込む・・・それは時代背景や、作曲家の思い、その風景、そんな事を感じ取る・・・ただ弾く、ただ音を出していては、

誰もが一緒で普通なのね。でも感情が伝わらないのね。これは五感の聴覚の話。それが役者なら、自分の演じる台本の文字だけを追う者と、同じようにその人になり切る為に、生き方自体を想像して・・・場合に寄っては近づく為に、歯を抜いたり、

太ったり、痩せたり・・・俺はこっち側なんだけれど、勿論これも逆も真なりで、そんなの関係無いってスタイルもあるだろうが、いずれにせよ、その人その人の演じ方があるのね。これは視覚の話。そしてそれを徹底的に叩き込むのね。

それがしぐさや所作のように身に付いたら、一旦忘れる・・・じゃ無いと、演じてしまうから。このやり方は、その人になるのだから、演じるやり方では無いのね。その人なのね。身に付けて演技をするのでは無く、身に付けてその人なのね。

だからそうする為に身に付いたら忘れるのね。じゃ無いとやらされている感じになっちゃうから。いずれにせよ、そう言う気分作り・・・仕えるって言う点では、母に仕えたんだろうね・・・。これも1つの体験になる。


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