終えてその足で羽田・・・かぐやの送迎。その後、アトリエに戻って日常に戻す為に、

下地の準備。
今日は午前中に両親を連れて親戚の所に行って、帰り道に購入した車の準備が出来たようなので取りに行く・・・そんな予定にしたのね。先日、父から唯一残っている姉さんから、いつ逝ってもおかしくない歳になったから、かつに頼んで来て・・・って言われたのね。
俺にとっての叔母さんは、割と気丈な人で、余り弱音を吐くような人では無く、あの時そうして置けば・・・って後悔はお互い少ない方が良いだろうし、連れて行こうとは思うものの、夏は一年で一番忙しくなる季節なんで、そうなるとほぼ無理になる。つまり今月が良い事になる。
ただ、そもそも休みって言う事を自分の都合で取るって事はほぼ無いのね。だからこうした時に使うとしても、流石に丸々1日って訳には行かないし・・・そんな中、車を取りに行く場所が親戚の通り道にあるんで、それならセットにすれば、どれもこれも都合が良いんで今日にしたのね。
そんな訳で向かう道中、何か持って行きたい・・・って言われたんだけれど、恐らく用意はしていないし、途中で買うって事になると・・・って考えれば、前の日に、もしそうだったら・・・帝釈天で草団子でもと思っていたのね。お年寄りなら知名度は高いし、途中だし、平日の朝なら混雑も無い
だろうし・・・。そんなこんなで一時間ちょいで到着。場所はキッコーマンで有名な野田市。そうね、お互いに久しぶりのように喜んでいたんだけれど、正月に会っているし、その前のいとこが連れて来た事を含めると、一年の間に3回は会っている事になるんだけれど・・・本当に久しぶりな感じ。
何しろそれが、何か再会の番組とか、被災でもあったような喜び方で、少なくとも今この人達には、共通にこんな喜びは無いのか・・って思うと、年老いるとはこんな感じになるものなのか・・・と思ったりもして。ただ叔母さん夫婦は90歳を超える年齢で、入れ歯じゃ無いし、杖も付かずに、
叔父さんはガンで何回も入院しているのに、普通に生活しているし、お酒も呑むらしいし・・・やっぱり煎餅は固くなくちゃ・・・って。何だか元気全開って感じで、生きている感満載なのね。ただ叔母さんがボソッと、でもね、外で働いた事無いし、ここしか知らないから・・・って言うのね。
でもさ、そのままで終われれば、困らないで終われるじゃん・・・それはそうしたかった・・・って言うなら、それは後悔として残るだろうけれど・・・ね。ただ会話の中に、デイ・サービスに行っている・・・って言うのがあって、聞くまでも無かったが、突っ込みどころは満載だったのね。
俺も月に1回教えに行っているから、ちょっとかじっているのね。では90歳過ぎの人ってどんな感じ?って言うと、杖を突き、お風呂に入れて貰ったり、勿論入れ歯だったり、教えていても中々上手く出来なかったり、時には何度も会っているのに、始めまして・・・って言われたり・・・。
そんな中に、この叔母さん夫婦が入れば、何か不思議な空間に感じるだろうね・・・きっと。何しろ人って常に自分が普通と思っているのね。しかも、叔母さんの口を借りれば、ここしか知らない専業主婦って事になれば、そこら周辺の人しか知らない事になる。予定調和な空間なのね。
そうね、例えとしては小学生的に、そこの地域の人達の集まりね。所がデイ・サービスって場所は、年齢も性別も違っていて、地域としても幅広く、元気な人もいれば、場合に寄っては車椅子の人もいたりする。要するにここにはいつもの予定調和は無いのね。
トレーニングのマシンだってある。普通そんなもんは家庭には無いのね。ただそこがこの叔母さんがロッキー的で、たしかにマシンは無いんだけれど、裏の畑は急な坂になってて、東京なら何件も建つような土地で・・・そこでじゃがいもを収穫って。座ったら転がるよ・・・普通。
キウイは脚立で収穫だし・・・ある意味、マシンよりマシンだわっ。こんなの普通な訳が無いのね。そんな人が、やれお茶だのなんだのって動き回るから、叔母さんそんな人いないだろっ?って言うと、そうなんだよね・・・って。実はそれもここしか知らない人の悩みで無い悩みなのね。
そもそもそこしか知らないから・・・って言うセリフで感じる事は、大きくなった子供達にそう言われたんだろうね・・・世間知らずのようにね。だから、働く女性の考え方を知らない事を卑下したようなセリフにも聞こえるのね。でもそれならそれで、逆に専業主婦のベテランなのだから、
その人にしか判らない事もあるものなのね。それを子供達もその日が来たら気が付くだけなのね。やがて働けなくなる日が来るだろうから。俺はそこの話だけを言う叔母さんに、デイ・サービスって外に出たんだろ・・・そこはここでは無い外の世界だよね?どうだった世間の老人は?
ほらここにもわざわざ来た老人2人いるよ・・・自分が普通じゃ無いだろ。そのまま知らなきゃ、そのまま死ねただけだよ。でもどうだろうか?知らなかったら、自分も同じなら普通でいられたのに、普通じゃ無い事を気付いてしまったろっ。外に行くって言うのは、新鮮さはいくらでもある。
でも、受け入れる姿勢が無いと、自分が普通なんて通用しないのね。出来なければ卑下したくなるし、出来たら出来たで褒められたりもするが、もし凄く出来ているのに、こんなの普通じゃん・・・なんて一言でも言えば、嫌われる対象に成りかねない。外に出なければ何も起こらないのに。
でもね、新鮮とか刺激って言うのが、ここしか知らないって人の体験した事の無い事として、卑下をするのなら、十分にこれが外の世界って体験は出来るはずなのね。条件が一緒とは限らない人達と、行動を共にするって言うのは、家の中の自分ルールでは無くなるのだから。
そんな叔母さんが、お前にそんな事を言われるとはねぇ・・・って言うから、そうね、親父がタイル屋を選んだから、ハイブリッドなタイル屋として、自分だけ張るって人達とは違う生き方の先生って言う人と、人とは違うって作家の2つをなりわいとしているだけで、そんなのも普通だよ。
そもそもタイルなんて名前になったのも、日本じゃ101年。たっただよ。その中で、タイル屋って、元はレンガ屋だよ。そもそもそれで飯食えりゃそのままで要られるはず。でも斬新な奴がタイルに目を付けた・・・そして生き残る為に変化した。そう考えれば、簡単な話で、いつまで続けられる・・
同じ仕事で。そろそろレンガ屋がタイル屋に化けたように、ハイブリッドにならないと・・・って俺は20数年前に思っただけ。当たる馬券なら借金しても買うのが普通なら、博打って言うのは、当たるかどうかなんて判らないもの・・・。まぁ俺はこの仕事以外博打はしないけどね。
常にに新しい事って言うのは、古典落語側から非難を浴びる・・・新作落語のようにね。ただそれとて、たった100年ごとき続けば、そこそこお祭り騒ぎが出来る。落語なら100年も続けば、新作落語も古典になっちゃうわ。何しろ新しい道を作るって言うのは、時間もお金も掛かるし、賛同して
くれる人がいないと、中々その分野は成熟しないもので・・・へっぽこが何人束になっても、下手っぴって馬鹿にされるだけ。でもその下手っぴでも、何千、何万と広がると、金儲けしたい業者は山程いるから、雨後の筍のように出てくるはずなのね。ただ人は比べるからね・・・。
あれが良い、これが良いとね。ガッチリ比較されても良いような腕も必要だし、教える技術も・・・それは目に見える技術と、目に見えない技術って話になる。話を戻すと、つまり親父がタイル屋って事だから、俺は蛙の子は蛙ってなっただけで、最悪な選択は大工なら左甚五郎、左官なら、
伊豆の長八やら、今なら、はざとさんって鏝絵の名手だっている。そう考えれば、モザイクなんて不在の不在。助かったぁなのね。唯一、親父有難うって素直に言えるのね。それを古典で生きるなら、タイル屋の2世って生きるも良し。ただ俺はスーパー歌舞伎の道側を選んだだけ。
そうね、それとて家庭が無いからだけなのね。あったらやんないし、やれなかっただろうね・・・生活を支えないとならないだろうし、きっと迷う事無く、予定調和で続けられたろうからね。でもどうやらそうでは無かったんだろうね・・・俺はさかなクンを見ていてつくづく思うのね。
ずっと魚が好きだっただけ。それを海辺で育てば誰でもそうか?って言ったら、そこにもサラリーマンな人はいるだろうし、違う生き方も沢山あるだろうね。だから単なる魚好きなら、漁師でも、魚屋さんでも、缶詰工場でも、飼育員でも、アクアリウムのショップでも、何でも出来たはず。
でもね、結論としては学者さん・・・そんなのそこの町で勧めた人は恐らくいないだろうね。でもきっとさかなクンに携わったら、きっと学者になろうよ・・・って言って貰えるだろうね。選択肢が大きく増える。あぁなりたいんだろうね・・・俺は。まずは、だけれどね。
人の歩いた道を歩きたい訳じゃ無いから。誰もやった事の無い方に行きたいのね。まぁそれを天邪鬼と人は呼ぶんだろうけれど、それは出る杭は打たれる的な話で、人は見た事の無いものを簡単には受け入れないのね。特に日本はね。パフォーマンスの良し悪しよりも、何かと比較だから。
それが同じ分野ならまだしも、食べ物と娯楽みたいに・・・ね。ただそれとて、さっきの叔母さんの話と同じで、そう言う場所で生きようとするからであって、そこでは無い場所でも同じ扱いをされるか?となると、もしかしたら・・・って話で、自分がみにくいアヒルの子と思い込んでいるだけ。
笑っちゃうわなのね。自分の姿を良く見ないと、自分だけ白鳥だと、虐められたでは無く、虐めてたのはどっち?って話になるのね。一人だけその群れから離れるのだから。俺はそうなりたいと思っているし、新作落語なら、たった一人の白鳥なんて襲われてあっと言う間に死ぬわって思うのね。
やっぱラドンやキングギドラくらいにはならないと・・・ね。どうせ飛ぶなら。しかも町を破壊する位の威力があるって自覚すれば、そーっと歩くし、気も使わないと行けないだろうし・・・羽ばたくだけで町は崩壊って事になるしね。いずれにしてもそうなりたい。
まぁどんな人でも先人って言うのは、馬鹿にされてそれを克服した人だけが生き残る。仕組みは何処でも一緒。誰もがやらないって言う話は、紙一重なのね・・・良ければ誰もがやるから。ただ、ラドンやキングギドラになれれば、ゴジラくらいじゃ無いと、止められないだろうしね。
まぁこの老人たちが長生きしてくれれば、俺の姿がどんなもんだか見届けて貰えるだろうし・・・この先、何が見せられるか?って言うのは、俺の楽しみでもある。
先日、さくらが来た時に、さくらのお父さんが亡くなった事を聞いた・・・それをキウイも聞いたので、どうする?って事になり、でもさくらの都合もあるだろうし、お通夜やお葬式に出る話でも無く・・・色々と相談した結果、今夜キウイと伺う事になったのね。
そんな訳で朝、お花を頼みに行ったのね・・・花瓶の必要の無いようにアレンジしてと・・・。その足で中学生の下地の材料を買いにコーナンに。ただ流石に人の家に伺うのに、下地を彫ってホコリだらけに・・・って訳には行かないから、アトリエで時間を持て余したりしていて・・・。
一応やるべき事は・・・と、今後の材料の手配だったり、予定だったり、あれこれ考える事はあって、ただ行動に移すと、汚れる事ばかりなんで、準備だけして時間が経つのを待っていたんだけれど、こんな時の時間って言うのは、何か考えないように・・・って時間にしたいのね。
それは、明日は我が身だから。お互いに年老いた両親を持てば、必ずその日が来る。感受性が豊かって言うのは、あれこれと考えてしまう・・・自分の両親の事もそうだが、当然さくらの事、せがれの事、そしてお母さん・・・そして今後の人生・・・これから起こり得る事・・・あれこれ。
そんな事を一通り考えた上で、一体俺はさくらに何が出来る?・・・でもこれは俺ファーストの考え方であって、さくらファーストが同じとは限らない。とは言っても、聞いた所で素直にこうして欲しいとも言わないだろうし・・・まぁ弟子って言うのは中々面倒なお付き合いだったりする。
こう言うと、勘違いする人がいるが、面倒なんて表現を悪く取る事が一般的には多いのね。しかし、良い人ね・・・なんてのが、本当は一番最悪な表現であって、良い人って言葉の響きこそ良いが、それは自分に取って都合の良い人の事であって、ある意味、俺には奴隷って言葉にも思えるのね。
例えば使い方としては、一体どんな時に、どんな事になると、良い人ね・・・と言いたくなるか?って言うと、あの人は何でも断らずにやってくれるし・・・とか、自分の都合を満たしてくれる人。では逆に面倒なんて言うと、良い人とは対局に聞こえたりするから、厄介な人とも言える。
所が厄介な人って言うのは、何故厄介か?となると、何かこっちにも都合があるのに、ごめんね・・・とは断れない大事な人だからであって、このまま帰したくないと思うからであって、そうなると、何としても・・・と自分に不都合が生まれたとしても・・・になったりする。だから厄介なのね。
これが逆に良い人って言うのは、自分の都合の良い人だから、ごめんね・・・今度ね、といとも簡単にたった4文字で片付けられる。こう言う考え方だったりすれば、厄介な人がおわかりになると思うのね。勿論、押し付けるつもりは無いから、お好きな解釈で結構なのね。
まぁ簡単に断れるか?断れないか?の違いとでも言うのかな。そう考えたら伝わるかな・・・そんな気分。いずれにしても、そんな1日。
今日は本当に大家さんと新潟に作品の納品に行く・・・確かに若かった頃にスキーとか行った事はある。遊びで行けるのだから、仕事で行けないはずは無く・・・でも、だとしても、大家さんには今回は関係無い事なんだけれど・・・別に良いじゃんって・・・何か軽いノリな感じで・・・。
そんなこんなで約束は6時。当然30分前にはアトリエにいて・・・そろそろかな・・・と準備して下に降りると、おはよう・・・って。すーさん。これがまた偶然のような話で、すーさんは今日、諏訪湖の方に日帰りの出張に行くらしく・・・そんな話をしていると大家さんが来て・・・出発。
本当に出掛けちゃったのね。俺はただ乗っているだけ・・・・流石にタダって訳にも行かないと思って、少ないけれど・・・ってお金を渡そうとすると、売れてからしっかり貰うから・・・って。また借りが出来ちゃったのね。ちょくちょくこんな事が俺には起こるのね・・・何だか・・・。
そんなこんなで渋滞も左程無く、朝飯でも食べようか・・・って事になり、まぁ大抵職人のこんな場面は、サービスエリアで蕎麦なんて事になるんだけれど、大家さんが見ているメニューはアジフライ定食・・・それなの?って言うと、迷わずうんって言うから、それ2つと便乗して・・・。
そんなこんなで走り出すと、ほぼ渋滞が無く、予定よりも早い到着になりそうなんで、かぐやに先方に連絡を入れて貰って・・・到着すると、お若いオーナーさんが、建築屋さんとお話していて・・・まぁ俺のカッコも不思議なんで、すぐに見つけてくれて・・・納品って事に。
そんなこんなで作品を見せると、やっぱり生は凄いって・・・とても喜んで頂いて何よりって結果になり、2人でいらしたんですよね・・・と、大家さんのお土産まで頂いて・・・そんなこんなで納品終了。この時点でお昼前なんだけれど、ここからは大家さんタイム。
実はここから100キロ走った所に、カーブドッチってワイナリーがあって、そこのぶどうの木のオーナーさんらしいのね。ただそれもこのまま順調に進むと早いから、やっぱ日本海でしょ・・・って。大家さんは近頃ルアーマンなのね。まぁ俺も釣りは好きなんで・・・こうなる。
若干曇ってて、あっちにさぁ・・・薄っすら見えるでしょ?って正面を見ると、何か島っぽいシルエットがあって、あれが佐渡ヶ島って。何だか観光地に来たって気がして来た。例えば、さっきだってガーラ湯沢とか通って来たんだけれど、最高の状況ってトンネルを抜けると雪・・・みたいに、
雪があっての景色であって、スキーをする場所が緑って事になると、薄っすらであっても、佐渡ヶ島って・・・。腕に二重線の人が行く島じゃ無かったっけ・・・何でも良いんだけれど、見える見えないはともかく、何しろ日本海を見るのは2度目で、初めての時は金沢あたりだったかな?
何かとても荒れてた感じで、演歌な感じってこれかぁ・・・みたいに思ったんだけど、今日は穏やかで、千葉の富津?って感じで、しかも竿からして、恐らくキス釣りだろうな・・・って言う人が何人かいたのね。そんなこんなで途中下車の旅を終えて、いよいよ本題の場所に到着。
子供の頃、友達の親戚の家に泊まった事があって、山梨のぶどう畑だったのね。最初は下に落ちているぶどうを拾って、ワインを作るカメに入れるなんて事をさせられたが、収穫もやらせて貰って、そのコツが、白いすすけみたいなものを触らないように・・・って言うのが上手く出来たようで、
褒められて、帰る頃には中々の戦力だわって言われた覚えがあるが、こんなにぶどうの木を見るのはそれ以来なのね。
ぶどうの畑が広いのは当然だろうが、スバや宿泊施設、レストランやカフェ、お土産のショップだったり、そんな場所もそこそこな広さなのね。それでkatsuちゃんここへ入るよ・・・って言われたんだけれど、男2人でここ・・・・お洒落過ぎじゃ無いの・・・。ここはデートする場所では・・・
だって・・・
コース料理だったりして・・・しかもご馳走になっちゃった訳で・・・。恐縮過ぎるわ。そんなこんなで大家さんの珍道中も終わって帰宅となるのだけれど、750キロ・・・大家さんお疲れさまでしたと、ご馳走様でした・・・ってすっかりお世話になった非日常でした。
今日は朝イチにコーナンで、体験教室用の下地の補充と中学生の下地をやってから、両親をランチに連れて行って、ちょっとドライブ。老人2人の気分転換も兼ねて・・・。退屈だろうしね。そんなこんなで3時過ぎには戻ったんで、本日2度目のコーナンへ。今度はりょうさんの下地の補修。
何か木が反ってしまってね。それをすーさんに相談してからの補修。まぁ何とかなりそうなのね。先日も大家さんに言われたんだけれど、板って言う字は木が反るって書いて板だって・・・ごもっとともなのね。そんなこんなで、アトリエに戻ってプチっと金魚の壁画。
今日は昨日の深海生物を元に戻す・・・祭の後始末みたいな事から。しかもミズウオの背びれを破損したから、その直しも・・・。かぐやはかぐやで、コープみらいさんの日程やら予約変更、その他の連絡みたいな事で忙しく、何だか地味に事務仕事。
ただこんな時間の切り替えは中々難しいもので・・・何しろ種を撒かないと花は咲かない。けれど、すぐ咲くものでは無い。けれど結果をすぐ欲しくなるものだったりもする。だから種から撒かずに苗を買ったりする。当然、育て方を失敗する確立だってあるのだから、苗から始めれば、失敗は少ない。
こんな事が予定調和なら、農家は農協に米を収める的な考え方になる。これが安心と。つまりこれに頼り過ぎると、何も考えなくなる。しかも安定って結果が付いて来たから。ただ新しい事って言うのは、その予定調和を崩す行為なのね。それが道の駅やネット販売って事になると、今までとは違う
方法が出て来たりする。勿論、最初は変わり者扱いとなるが、結果が出ると次々に参加者が増えると賑わいを見せる。賑わえば目立って来るから、人の目にも留まる・・・そんな仕組みだったりする。ただ、予定調和が悪い訳でも無いのね。そもそもその予定調和が無かった時代は、不安定な事が、
あったから、安定を考えて作ったルールだろうし。ただ時代が変わると、ルールが時代に合わなくなったりするが、それでも恩恵のある者は続けたいし、恩恵の無い者は変えたいし・・・保守と革新の関係だったりする。そう言う事からも、今回は依頼を待つって予定調和では無く、営業って言う
革新な事をしに行ったのだから。そして、あの規模の社長さんとお話をするって言う事も、記憶の限り初めてだったと思うのね。だから気持ちも疲れたし、高速の運転って言う肉体的にも疲れた・・・気が張っていたものが、気が抜けたって感じだったのね。そんな気持ちで、種の話に戻すと、
その規模の社長さんって言うのを外すと、営業に出る・・・って行為は、何度と無くやっているので、いつも通りなのね。だから普通。つまり問題があるのは、この話を伝えた人達がどの程度、理解してくれて、どの位、同じ気持ちをキープしてくれるか?の方の心配なのね・・・。
勿論、何かあったら良いと思ってはいるけれど、けれどね・・・無い事もある。いや、むしろ多い。ただ、もし、であっても、あの規模の社長さんとお話をした・・・だけは残るのね。いつかもっと・・・って言うのなら、横綱と手合わせをした・・・そんな気分だったりする。
つまり営業としての俺は格下だから、そんな気分なのね。ただ作り手としては、それ程、格下気分は無いんで、今までの作品の写真を見て頂いた時点で、生では無いとは言え、施設内のモノと比較されて遜色は無いと思ってはいる。ただ持って行った作品では無かったかな・・・と。
こうした気分や気持ちを生々しく話すと言うのは、きちんと真に受ければ、一喜一憂する気持ちにさせてしまうのね。場合に寄っては、そんな事を聞き慣れていない人は、残念だったのかぁ・・・って直ぐに答えの出なかった事に、俺以上にマイナスな気持ちになってしまう事も多々ある。
例えばそれが、何かのイベントの担当者だったりすると、満員なら自分の事のように喜んでくれるし、逆に思った以下だったりすると、ダメージを受けたり、場合に寄っては呆れられるって事になり、次が無い。まぁそれはテレビやラジオの番組改変のような話ね。引き続きなのか?終了なのか?
だから、またお願いします・・・の、または、感謝を意味するし、またの機会に・・・の、または二度と無い事、つまりさようならを意味する感覚になったりもする。これらは単純に判りやすいが、日本語は難しく、どちらにも当てはまらない言葉もあったりするのね。
その場合、ある一定の期間は時間が掛かるもので、それはいつ?って言えば、期限は判らない。ただ、いつまでもそのままって訳にも行かないから、次の行き先を探さないとならなくなるのね。アトリエにずっと置いて置くものでは無いからね。ただ少なくとも今では無いけれどね。
でも、次の手も考えないとならないし・・・いずれにしても、緊張感から開放されたって1日。
今日はかぐやと沼津港深海水族館へ営業活動。ただ朝、積み込みの最中にミズウオの背びれを破損して・・・応急処置をしてからの出発となり、予定よりも遅れたが、余裕を持っていたんで特に問題は無し。そんなこんなで、久し振りの高速の運転となるけれど、スピード違反で捕まる事は一切無い
運転なんで、安全ではあるものの時間が掛かるのね。しかも知らない道を通るんで、間違える事もあるだろうし・・・まぁそれもこれも特に何も無ければ、施設を見る時間を十分に考えてある余裕は見ていたのね。そんなこんなで、まずは施設内を見て置かないと・・・って事で。
ここは水族館の他にお土産屋や食事処など、一角が街のように作られていて、そこを佐政水産さんって会社が運営しているのね。
これが入り口。
かぐやに調べて貰っていたから、ここはシーラカンスに特化しているって言うのは知っていたが、こうした看板からここまでお金を掛けているのか・・・って言うのは正直驚いたし、期待を持てるのか?って取るか、逆にここまで掛けるって事は、そんな余裕は無いかな?って取るか?
どっちかなぁ・・・そんな横には、
撮影スポットがあったのね。これにしても、良く田舎の施設にある顔を出すような簡易的では無く、本格的で・・・力の入れ具合を感じられる。ただそこでは無くて、施設の前に気になるのは、既にあるモザイク。かぐやから情報は得ていたが、何せ画像が悪くて・・・。
結構大きかったのね。
石で作られていて・・・なるほどね、こうなっていたのね。これなら話は判るが、この石の部分がクラッシュだったら、それほど興味は沸かなかったが、これはタイル屋さんでは無く、恐らく作家さんであろう、工事では無く作品と思われるのね。その下にもあった・・・
まぁこれなら、もしかしたらネットで張れるから、タイル屋さんでも出来るかな?とも思えるが、何はともあれ、少し安心もしたのね。理由はさっきのオブジェは、会社に頼む形になるものであって作品では無いが、このモザイクは作家さんの作品であるから、大量生産ものでは無いと思うのね。
ただいずれにしても、ただ単にお洒落にお金を掛けると言うのなら、例えばこの乱形の石をもっと増やすとか、グレードを上げる事も出来るのに、オブジェにお金を掛ける考え方なんだな・・・って言う事が伺えるし、作家にもお金を掛けるのかぁ・・・って言うのは、凄いなと思ったのね。
例えばこんな所。看板にシーラカンス。他にも電気の傘がメンダコなんてものもあったのね。では施設内。
こんな感じに冷凍保存なんてものだったり、全部で5匹もあったのね。余談ではあるけれど、こんなのもいたのね。
チンアナゴは見た事はあるけれど、まさかこんなに長い生き物だったとは知らなかったのね。そんなこんなで、時間のある限り周辺も回って、最後にその敷地内の喫茶店で時間を潰す事になったんだけど、会社の前なのね・・・今からあそこに行くんだな。
170人からの会社へ行くのかぁ・・・本当に社長さんと会えんのかな?って半信半疑ではあったが、お会い出来たし、作品もお見せ出来た。それ所か見ていない施設内もご案内して貰ったりして・・・。
何か新しい施設でVRって何か色々装着して映画みたいなの見るみたいで・・・凄かったのね。そんな中、イタリアンの店にも案内されて、そこには、シーラカンスをモチーフにありとあらゆる作家さんの作品が飾られていて・・・その中にこれがあったのね。
さっきとは別の人らしいが、そう来たかぁ・・・。そうね、何が言いたいか?って言うと、例えば、水族館に小物販売として置いて貰うとか、オブジェとして販売促進に役立てて頂くとかなら、持って行った作品でも十分だと思うのね。勿論、欲しいと思って頂く事もあるだろうけれど・・・。
ただこう言う作家色濃い作品を見せられると、喫茶店やレストラン内には、本気な作品で無いと、可愛いな・・・では無く、どんな小物作品であっても、斬り掛かって来るような気迫ある作品にお見受けしたのね。まぁ簡単に言えば、持って行った作品は、可愛いねと言うものだから、触りたくなる。
しかもしながわ水族館さんでは、そんな事を前提に小さな子が触れる位の低い位置の設置だったのね。つまり寄せる作品。でもここにあった作品の大半は作品の都合上、触らないで・・・なのね。つまり寄せ付けないって言う神々しさが要求されている訳で・・・。
まぁここに合わせて作ったものでは無いし、こんなものが作れるって知って頂く機会の時間だったんで、これはこれで仕方無いが、作家って言う部分では、ちょっと温度差あったかなぁ・・・・とも思う部分があったが、ご興味無しとは思えなかったけれどね。
いずれにしても、社長さん自ら、かなりの時間を割いて下さりご案内して頂いたのね。流石にいきなり何か決まるとは思わないが、それ以上の方にお会いする事が無いんで、やるべき事は終わった感はある。